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勇者は剣をたずさえた

「送還陣が開通したら、冒険はおしまいなんですよね」


 ペシェの一声が急に耳朶を打ち、もう一人の自分のおしゃべりがいったん止まった。


「そうだ。さっさとこんなところから出て、違う仕事……いや、学校にでも通うといい」


「やです」


「言いたかないが、君みたいなのがやっていけるほど、迷宮仕事は良いものじゃない。早死にするだけだ」


「でも小生は、久遠の花嫁に会いたいです。前人未到の財宝です。痛いのも死ぬのも怖いけど、それ以上に、小生は冒険がしたいです」


「今度は名前を忘れるだけじゃすまないかもしれないんだぞ。いや、名前だけで済んだのがそもそも幸運だったんだ。あの遺灰筒ソウルシリンダーに収まってる連中の何割が社会復帰できると思う? 立つことも歩くことも、喋ることもできなくなって、ただ死ぬのを待ってるだけの手合いだってざらにいるんだ。それでもいいのか」


「ワイナも、リナナを探すために残るのでしょ」


「俺のことはどうだっていい」


「どうだってよくないです。小生は、小生によくしてくれたワイナのことを忘れるのは、やです。でも、ワイナが小生のことを忘れてしまうのも、やっぱりやですもの」


 リナナのことも、それと同じじゃなかったか?


 理路整然とした探求師の自分に向けて、ようやくワイナは反論できた気がした。


 リナナは糞女だった。ベルペラと同じくらい口は悪かったし、手が出るのだって早かった。法務官の娘だけあって、学も教養もあった。本を読んでいて、読めない言語や知らない単語があるとすぐさま煽り散らかしてくるし、想術の熟達も向こうのほうが早かった。思い出すだけでも忌々しい。恐ろしく頑固で、恐ろしく融通が利かない性格の女である。あれで多少は情に厚いところがなかったら、イビキをかいている横で寝首をかいて殺していたと思う。


 そうだ。情には、厚かったのだ。


 リナナとは、クラリネに続いて、お互いを社会の爪弾き者だと認め合って、世の中クソだと吐き捨てた仲である。同じ獲物を狙って殺しあったこともあれば、同じ敵を狙って肩を並べたこともある。組合の長であるクラリネが無責任に請けてきた割に合わない依頼に、いやいや付き合わされた仲である。


 同じ窯で焼いたパンを食った仲である。横柄な態度の雇い主をブン殴ってしまい、クラリネに雷を落とされた仲である。後輩の探求師に死なれ、ともに肩を落とした仲である。ある迷宮で三百年前の埋蔵金を回収し、ささやかだがまとまった金になったとき、喜びを分かち合った仲である。


 人付き合いが得意でなくても、少なくとも自分は、リナナを邪魔だとか、疎ましいとか思ったことは不思議となかった。曲がったことが大嫌いで、道義に悖ることであれば、あのクラリネにだって物申す。はっきり言葉にするのは難しかったが、彼女が居なくなってから、どうにも調子を崩すことが増えた。


 自分を知っている人間が、この世界から消えてなくなった。それがよほど堪えたのだろう。生きた人間である自分がこの世に打ち込んだ錨のようなものが、煙となって消え失せた。人間は一度死んだらおしまいなのだということを、ワイナはそのとき久しぶりに実感した。蘇生術の普及で麻痺していた感覚に、いきなり活きた神経が繋げられたような気分だった。


「俺も、俺を知ってる誰かに死なれるのは嫌だ」


 調髪を終え、ベージュの髪束にブラシがけをしながら、ワイナはつぶやいた。


「蘇生術を頼りにして死ぬことを前提にした仕事をする奴が増えたし、させる奴も増えた。それで、君みたいな無謀な子供もわんさか増えた。俺もリナナも、そういうのが大嫌いだった」


 文字通り、周囲は羊の毛を刈ったあとのようだった。少女の見てくれは清潔とはやや言い難いが、鉄兜を脱がせた直後に比べれば雲泥の差である。市井で普通に学校に通うぶんには問題のない程度には、こぎれいに仕上げることができたはずだ。


「それでもまだ俺は探求師だ。リナナを探すことはやめないし、君の無謀な宝探しを止める権利もない。そんな野暮をする気は毛頭ない」


 一通りの施術を終え、短くなった髪の毛先を手でもてあそぶ少女の横に、ワイナはひざまずいた。ケープの奥のショルダーハーネスからナイフシースを取り外す。納刀されている短刀ごと、ワイナは鞘を彼女の膝に置いた。


「ワイナ、これは」


「大丈夫だ。さっき検めてみたが、そこまで危険なものじゃない。ただ持っている分には、悪さはしないはずだ。抜いてみてくれ」


 ワイナに促されると、少女はおそるおそる『ケバルライ』の鞘を手に取り、その黒刃を恭しく抜き放った。


「きれいです」


「どこで拾ったか忘れておいてなんだが、けっこうな業物だ」


 妖しく黒光りする抜き身があらわになると、研ぎ澄まされた刀身が少女の瞳を映した。使い手を見定めるように、刀身に彫られた金色の直線的なレリーフが輝いていた。


「刀剣自体に『リビドー』の残滓が染みついている場合、その刃で斬られた傷が治りにくくなったりする呪詛が付与されていることが多い。まともな術師なら、刀から発される想を察知できる。君自身が想術を扱えなくとも、それがあればいきなり襲われたり、足元を見られるようなことはなくなるはずだ。少なくとも、俺なら気持ち悪くて諦める」


「きもちわるいですか」


「ただし、基本的にはお守りだ。武器として使うことは考えるな。調子こいてこっちから仕掛けたりするな。どうせ仕掛けた瞬間殺される」


「ころされますか」


 また少し言葉選びを間違えた気がする。きっとあの口汚いリナナのせいだ。奴とクラリネに影響されてしまったから、こんな苦労を強いられる羽目になったのだ。


「いただいてしまってよいのですか?」


「どうせ丸腰なんだろ。本当に久遠の花嫁を探しに行くなら、それくらい持っていて損はしない」


「ああ……ああ、ありがとうございます。小生、すごく……すごくうれしいです」


 刃を鞘へと戻すと、まるでぬいぐるみにそうするかのように、ペシェは『ケバルライ』を頬におしつけた。


「剣、剣、剣……小生だけの、聖剣です……!」


 それからワイナが仕事道具をまとめている間、ずっと彼女はケバルライを握りしめ、時には抜剣し、そのくろがね色の直線にうっとりと視線を這わせていた。無謀さに拍車がかかってしまったかもしれないなと、心の奥底でワイナは少し反省した。


 探求師としては愚かな行為だった。そして、いたいけな児童に救いの手を差し伸べようとした偽善者としても、決して褒められないおこないだ。合理にも道義にも反しているといっていい。


 ただ、今この時、そうすべきだと思ったからそうしただけだ。


 徹頭徹尾、見知らぬ誰かに褒められようと思ってやったわけではなかった。

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