時には浮かぶよくない考え
子供相手の散髪は、久しぶりだった。
こと身体が濡れたり、ヘタに髪に触れることを嫌ってぐずりだしそうな『彼女』をなんとかなだめながら、ワイナは散切り頭をひたすら刈っていった。一度は水と石鹸で汚れを洗い流したものの、こびりついた汚れをすべて落とすまでには至っておらず、なんともこぎたなく黄ばんだベージュ色の髪束に、ワイナは向かい合っていた。
理髪のノウハウは、かつて在籍していたクラリネの組合【駄菓子屋通り兄弟団】で培ったものである。年下の子供がやたらと多く、そのほとんどがみすぼらしい身なりをしていたことから、その面倒をみてやるようにと、たびたびクラリネからは世話をおしつけられていた。繕い物から簡単な調理に始まり、やがて鋏と剃刀を握って理髪師の真似事までやらされるようになったというわけだ。
きっかけはちびどものお守りの延長だったが、探求師として活動するようになってからは、主に路銀を稼ぐのに役立っていた。露天商に並んで適当に看板を掲げておけば、意外なほどに客が来る。プロの腕には及ぶべくもないものの、工兵ゆえに刃物の取り扱いには習熟していたこともあり、客からの評判は上々だった。そもそも、整髪や髭剃りをするにあたって細かな注文を申し付けてくるような繊細な者はそう多くない。とにかく急ぎでこの鬱陶しい髭をとっぱらってくれなんてオーダーもあるので、この界隈ではエセ理髪師の腕前で十分なほどなのだ。
剃髪を戒律として定めている聖職者、あるいは想術師なんかも少なくないため、エドラズワースを訪れてからの食い扶持のほとんどは、もっぱら髪結いで稼いでいるといった状況だった。
しゃきしゃきと音を立てながら、散髪を進める。無秩序にからまりあっていた彼女の頭は、多少は見栄えのするような形を取り戻していく。
「それで、いつからそんな生活してるんだ」
手持無沙汰になり、いつしかうとうとし始めたペシェに向かってワイナは言った。
「よく、おぼえてないです」
「頼れそうな大人はいないのか」
「いないです。おぼえてないです」
「……覚えてないか」
そうしてワイナは、今まで感じていた疑問をそれとなく口にした。
「自分の名前もか」
「おぼえてないです」
手つきはそのままに、ワイナは唇をかんだ。
名前がない浮浪児などはごまんといる。迷宮を中心とした経済圏の場合、行きずりの関係でできた子供が遺棄されるのは日常茶飯事である。そうした児童が探求師の下働きとして生きていくにあたっては、通りの名前や既存の人名、地名から名を拝借して自分の通り名とすることが多い。仮に名付け親がいなくとも、自分には名前がない、と自己紹介する者はいない。
いるとするなら、どこかで名前を脳みそからこぼしてきたような者だけだ。
蘇生後症候群。
不慮の事態で命を失い、不完全な蘇生を果たしてしまったために、重篤な記憶障害を併発した者。彼女もまた、そうしたいきさつを持った子供の一人なのではないか。
納得のいく仮定ではある。年齢にしては不自然な口調と語彙。小部屋でベルペラとミハイの諍いに待ったをかけたときから、ずっと奇妙な違和感はあったのだから。
世の中クソだな。そう内心で毒づいた。クラリネが評したとおり、しょっちゅうワイナはそうやって胸中で唾を吐いていた。三歩歩けば浮浪児にあたる一部地域において、人足として雇った子供が事故かなにかで死んだところで、わざわざ亡骸を治癒術師のところにもっていって蘇生させてやる、なんて親切な人間は、まず迷宮の周辺にはいない。
その子供が、生かすに値する肉体、あるいは容姿であれば、その限りではない。彼女の柔肌と未発達な体躯を、商材として憎からず扱っていた者がいた。だから彼女は蘇生を果たすことができた。この場においては、そう考えるのが自然だった。
だが真にこの場で抱くべきなのは、彼女への感傷的な同情などではない。喫緊の問題として横たわっている遠征隊壊滅の原因、すなわち聖剣獣との関連である。ベルペラと同じくワイナも、最悪のケースとして殺人自体を目的としたイカれた愉快犯が迷宮内に存在する可能性を半ば認めており、ヘルガとのやりとりもその想定を前提としておこなってきた。
ペシェに記憶の欠落がみられるのなら、身の上を疑わざるを得なくなっていた。
考えを重ねつつ、髪の長さを調えていく。牛角製の櫛で乾いたばかりの癖毛を梳かし、それから無心で像を彫りすすめるかのように、ひたすら余計な髪束を刈り取っていった。
今なら殺れるか。騒がれずに。
手なりで鋏を動かし続ける中で、ふとワイナの頭にそんな合理的な思いが浮かんだ。小刀から鋏にいたるまで、刃物の手入れは欠かしたことがない。無防備な子供の頸動脈をかき切ることなど造作もなかろう。それで危険の目を潰せるのであれば安いものだ。
思えば、なぜ自分はこんな薄汚い身なりの無能な子供を、生かしてこんな場所に連れてきたのだ。身銭を切ってヘルガ相手に口利きするような真似までした。この子供が優れた治癒術師だったならそれもいいだろうが、夢見がちなだけの小娘相手に、ここまで手を尽くしてやるメリットがどこにある。
探求師としての自分が、至極まっとうで正しい意見を繰り出してきた。反論の余地が一切ない、完璧な正論がワイナの思考を包みだす。頭蓋骨の内側で、存在しないはずの自分が、不愉快な小声でぼそぼそと囁いてきた。
そうだ。殺っちまったがほうがいい。
殺れよ。殺っとけ、あと腐れなく。
そうすりゃベルペラやヘルガのご機嫌取りにもなるだろ。
それもそうだな。地上に戻ったら、しばらくはエドラズワースへの再挑戦はおあずけだ。ヘルガへの負債に加え、第三次遠征に参加する際に加入した保険料の分納まで負担しなければならない。またリナナの弔いが遠ざかってしまうではないか。ガキのお守りまでする余裕などないのだ。それにここで殺しておけば、余計な救助費用をまかなわなくて済む。
同じ自分にしては、もっともな理由を並べてくれるじゃないか。




