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あなたは何しに迷宮へ?

「どなたを探しておられるのです?」


「腐れ縁の幼馴染。名前はリナナ。前回の遠征に参加して、それから戻ってきてない」


「その方も、探求師だったのですか」


「キャリアは彼女のほうが上だったさ。前のめりな人間だった。それに、口喧嘩も普通の喧嘩も強かった。想術師って点でも、俺より優秀だったと思う。ただ、ここじゃそれも通用しなかったらしい」


 第二次遠征には謎が多い。というより、判明している事実のほうが少ない。


 計画に関する情報は、正規隊員の身分となってなお、めぼしいものは入手できなかった。上層部から緘口令が敷かれているためか、企画進行の立場にある連絡役にも、ろくな知識が持たされていないようだった。


 閲覧可能な資料であっても、そのほとんどはべったりと黒塗りされていた。そもそも大部分が歯抜けばかりで、遠征計画の全容を把握することは不可能だった。個人が携帯していた日誌にすら厳しい検閲の手が及んでいたらしく、また史上稀にみる凄惨な結果を招いたということもあり、計画上層部は界隈からの反感を買っていた。


 国家間の学術研究を飛躍的に進歩させるためにあらゆる垣根を越えて実施され、多くの金と物資と人材とがつぎ込まれた結果、さしたる成果も得られず失敗に終わった。それ以上のことは、杳としてうかがい知れないのである。


キラめきの勇者』クラリネ率いる主力部隊を筆頭に、遠征隊は浅層《カタコンベ層》をなんなく突破。どうやら彼女らは迷宮の中枢区画へと歩を進め、そこで大きなアクシデントに見舞われ、撤退を余儀なくされたらしい。


 巷間でまことしやかに囁かれる噂についても、その程度の抽象的なものに留まっていた。


 送還陣ベイルアウトで生還した者は少なからず存在するらしいが、遠征参加者と目される探求師の大半は蘇生後症候群を発症しており、彼らの発言は信憑性に欠けるものばかりであるため、当事者から情報を得るということも困難だった。重度の記憶障害に苛まれ、日常生活が困難になった探求師たちが集められる公営シェルターも探りを入れたものの、幸いというべきか、こちらにはリナナの姿はなかった。


 誰にも顧みられず、薄暗い穴倉の中で惨めに転がる幼馴染の亡骸を思い浮かべると、それが無性に腹立たしかった。


 なぜそんな馬鹿なことをしたのか、と。


 なぜ分の悪い賭けに命まで擲ってしまったのか、と。


 信頼できない潜行計画に、なぜ身をゆだねるようなことをしてしまったのか、と。


『なぜ俺は、あのときリナナを引き留めることができなかったのか』と。


 そんな感情を抱えながら、ワイナはここ数か月をエドラズワース地方で過ごしていた。細かな依頼で食い扶持を稼ぎ、暇ができれば盛り場に出向いてリナナ、ひいては第二次遠征についての情報を集める日々を送っていた。第三次深部遠征隊募集の報せは、渡り船だといえた。


 今回の遠征も、大失敗に終わりそうだというのがなんとも救われないところだ。


「だから、探求師らしくないっていうのは正解なんだろうな。ただ俺は、俺のことをよく知ってたリナナのことを看取ってやりたいだけなんだ。真面目に一攫千金を狙ってる連中には悪いが、深部遠征隊なんか口実だ」


 久遠の花嫁、あるいはそれに類する珍品稀品は、確かに迷宮深部に眠っているのだろう。そうでなくとも、エドラズワースという最難関の制覇は、たとえ高価な秘宝に巡り合うことができなかったとしても、世間的には評価の対象たりえる偉業といえる。


 だが、そんなことには驚くほどに関心がわかないのだ。


 広大な迷宮で、どこで果てたかすらわからない女の死体を、ただただワイナは求めている。それ以外は何もいらないし、恵まれたとしてもはねのけるだろう。施しを受けるべき人間は、自分のほかにごまんといるのだから。


「愛しておられたのですか? そのリナナという方を」


「こんな地の底の薄暗がりでほっとかれるのは、さすがに気の毒だろ?」


 嫌いじゃないが、愛してるというわけでもない。


 自分の人生に、できることなら居てほしい人間、とでも評すればいいだろうか。


「骨でもなんでも地上に持ち帰って、ダメもとで蘇生術かけてもらって……それで無理なら、遺灰を弔ってやる。身寄りのない者どうし、長いこと一緒にバカやってたからな。そうしてやるのが筋なんじゃないかって。今はそう思ってる」


 そういえば、リナナは俺が死んだら、それくらいのことはしてくれただろうか。考えたこともなかった疑問が、石鹸のしゃぼんと同時にふわふわ湧き上がってきた。


「ふふ、うふふ」


 肩を震わせて、ペシェがくすくす笑った。


「くく、うふふふっ、すばらしい、ぐふふ、素敵です、やはりワイナは探求師です! みずから探索し、そしてみずから求道する者が、探求師でないはずがありません!」


「……そういうものか?」


「ええ、ええ、もちろんそうです、小生はそういう方をこそ、勇者と呼び表すに相応しいと思っていますから!」


「勇者って。盛りすぎだ、さすがに」


 出逢ってから数時間、ことあるごとにこの寸足らずのバケツ頭は勇者、勇者と口にする。勇ましき者、ワイナ自身そんな自認で暮らしているわけではないし、そもそも昨今において勇者というのはある種の称号や形容に近い言葉なのではなかろうか。

 

 ワイナが知る限り、勇者というものは二通り存在する。


 ひとつは升天教の聖典に登場する、聖なる剣をたずさえた救世主。


 かつて大陸世界をおびやかした人外魔族の王に敢然と立ち向かい、死闘の末に魔の者たちと和睦を果たし、混迷の世に希望と融和の道を示したとされる大英雄。現在でも勇者いさびと信仰は大陸圏ではポピュラーであり、各地の都市や聖堂、ひいては多くの職業の守護聖人として崇敬を集める存在である。


 もう一つは、現代最強の想術師、義姉クラリネを指す称号。融和や協働といった概念には無縁だが、常人離れした彼女を形容するにあたっては、勇者という言葉ほど的確なものは、今のところ存在しまい。


「クラリネならまだしも、俺はただの場末のチンピラもいいところじゃないか」


「ご謙遜を! あまねく人々に、勇者の才能というものは眠っているのです。強くあれ、善良であれ、美しくあれ! どんな人も、きっとそうした願いのもとに生まれ落ちてくるのですから!!」


「それも、その……プリンツェなんちゃらの受け売り?」


「それは……受け売りでもあり、小生の考察の結果でもあるといいましょうか。もしやワイナは、『天かける姫勇者プリンツェステラ・ブレイブリー』をご存じでない?」


「名前は知ってるけど……読んだことはないな」


 ドーバーを越えた先、はるかブリタニアはロンドン発の児童向け小説。それ以上の知識は持ち合わせていない。必要に迫られなければ読書などしないし、ましてやそういったジャンルの小説に手を伸ばすことなどなかった。帝国語、ブリタニア語、それにガリア語と、三つの言語をごてごてくっつけた、取り留めのないタイトルだな、くらいの印象しか持ち合わせていなかった。


 鼻息をふんふんさせながら語るペシェの説明によれば、異世界から現れた謎の少女が、持ち前の義理人情で人々と絆をはぐくみ、無鉄砲さが原因で巻き起こる珍道中を描いた作品、とのことらしい。


「ある日、仕事を終えた時計技師の青年が自宅の屋上で目にしたのは、まばゆいばかりに輝く一筋の銀光! それは、はるか天の国より反逆者の汚名を着せられ、星を追われた仮面の少女だったのです! 大地に落ちた衝撃で、少女はすべての記憶を失いますが、心優しき青年とのふれあいで、少しずつ気高き姫勇者としての素質を育んでいくこととなるのです!」


「すげえ熱量。プレゼンの練習とかしたことある?」


「ええ、何度か! ご希望なら、第二巻までは全文諳んじることができます!」


 つぎはぎだらけのポーチの中から、ペシェは何やら革の帯に包まれたものを取り出した。帯の中から出てきたのは、木板が表紙に使われた小さな本である。重厚な留め金具を外して、ペシェは羊皮紙に記された内容を開帳してみせた。


「小生、絵心には恵まれずつたないですが、こればかりは想像通りに描けたのではないかと自負しています。こちらが主人公の姫勇者プリンツェステラ、こうして分厚い鉄の仮面で顔を覆っておりますの。それで、こっちが時計技師のニルス氏、いつも技師として働いているから、煤やオイルで顔が真っ黒なのです。彼の姓はフィッシャーといって、きっとまばゆい星の海から姫勇者を釣り上げた者、という意味が込められていて……」


 なんのことはない、ペシェ手製の落書きが、数十ページにわたって描かれているだけである。この手のいわゆる帯本ガードルブックなど、田舎の聖職者がたまに身に着けている程度でしかお目にかかったことはない。紙面の空白の多さから、おそらくは日課書や業務日報の用途で使われるもののように見えた。まさか子供の自由帳にされているものがあるとは。


「いや、わかった。君がその、姫勇者が好きなのはわかった。それで、分かったうえで相談なんだが」


「はい! 本文でしたらいつでも披露できます!」


「それはまた今度聞かせてもらうとして……そうか。その姫勇者とやらにならって、その……汚いバケツをかぶってるってわけか」


「は、はい! お見苦しいでしょうが、何事も形から入るのが重要かと思って」


「問題なのは見た目じゃなくて」


 遺体にまかれてこびりついた死臭はひとまず石鹸で洗い流したが、こうなると次に気になるのは、横から漂ってくるかぐわしい異臭。すなわち体臭である。アンモニア由来の小便臭さだとか、そういった眉を顰めるような類のにおいではない。ないのだが、なんだか違和感を覚える乳臭さというか、そこに屋根裏部屋のカビ臭さと埃っぽさが入り混じった、奇妙な異臭がするのである。


 要は、この子は臭いのだ。


「それ、いつから被りっぱなしなんだ」


「さあ……いつからでしょう。被っていて困ることはありませんし、何より、身を守るには何より必要なものなので」


「気持ちはわかるが……」


 状況が状況だったため、まじまじ凝視してはいなかったが、あらためてペシェの身なりを見ると、本当に汚い。浮浪児に過剰なほどの清潔さを求めるのもおかしな話だが、しかし兜の内部から漂ってくるにおいは、正直いって耐えがたい。他人より鼻が利くたちなのもあり、とにかくワイナは、このにおいの源をなんとか解消してしまいたかった。


「それ、今から脱がせるからな」


「えッ!? えっと、いきなり、ですか」


「いきなりだ。こういうのは後回しにしておくべきではない。こんなこと俺はやりたくないが、今やらないと絶対つらくなる。俺も覚悟を決めるから、君もどうか覚悟してくれ」


 ワイナのすごんだ物言いにペシェが身じろぐより早く、彼の両手が円筒形の鉄兜へと伸びた。がしりと掴んだその手が、思い切り力を込めて上へと引っ張り上げられる。みしみし、みりみりといった音が、鉄板の内部から響いてくる。


 髪の脂や古い頭皮が固まっていて、それが徐々に剝がれてくる音、だろうか?


 最悪の想像を思い浮かべてしまい、背中に鳥肌が立つのを感じる。うわあ、やっぱやめときゃよかった。しかしもはや後戻りはできない。怖気が走る背筋に鞭打って、ワイナは勢いよく、バケツめいた形状の兜を取り払った。


 ばふんと音を立てて現れたのは、伸びに伸び切ったペシェの頭髪である。垢だか煤だか埃だかで汚れ切ったそれは、もうもうと細かな塵を巻き上げて鎮座している毛の塊だ。毛刈りをさぼられ、放置されすぎた羊のようなありさまである。


「うわわわ」


 今の今まで鉄板で隠されていた姿を開け広げにされて戸惑う彼、あるいは彼女の気持ちもわからないでもないが、今のワイナにそんな余裕はなかった。なるだけ鼻は使わず、半開きの口で小刻みに呼吸しながら、懐から裁縫用の端切れと、さきほどまで使っていた石鹸を取り出した。


「幸い、濡れても火には困らない作業場だ。まずは君の丸洗いを優先する」


「あ、あの、ちょっと、やだ、やです、や、嫌ではありませんけど、今じゃないと、いけませんか」


「だめだ。こんなに綺麗な水源があるなんて、普通じゃ考えられない。贅沢は言うものじゃない。それに、このままでは俺の鼻が限界だ。耐えられない。臭いんだ君は」


「う、うぐ」


「こればかりは率直に言わせてもらうが、俺はきっと、勇者は臭くないと思う。姫勇者ならなおのこと、身なりを気にしない勇者など、余所が認めても俺は認めないからな」


「く、く、そ、そんな、ことは……」


「無駄だ。俺の勝ちだ。なぜなら君のわがままを通せば、その……姫勇者プリンツェステラはろくに水浴びもしない小便たれプリンセスにということになるし、そんな臭い女に好きこのんでかかずらう時計技師も、変わった嗜好の持ち主になってしまうからだ」


「でも小生、体を濡らすのあんまり好きじゃないです。残念だけど、いくらワイナの言うことでも、それだけは」


「問答無用だ」


 小癪にも距離を取ろうとしたペシェの手首をひっつかむと、ワイナはそのまま小川の浅い箇所めがけて、小柄な体躯を投げ飛ばした。

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