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【姫】無自覚の独占欲と恐ろしい兄妹愛

 クロノイアに手紙を送って表立っては何もなく数日が過ぎていた。相変わらずなんとなく気分が晴れず、遠征の準備に集中することで気を紛らわせている。それだって早い段階でできる準備などたかが知れたもの。前倒しの公務だってやり過ぎてしまえば敏い従者に何を言われるか。頭を悩ませていたその時、階下に伝令の馬が入って来たのを目に留め、変事かと足早に移動する。……もちろん背後には勤勉優秀な従者がいる。


 「あら?」

 「リシュレイア姫殿下! ご無沙汰しております。」

 「貴方、クロノイア兄様の……兄様に何か?」

 「いえ、ご機嫌伺いと…………ラグナス様、姫様への荷は届いておりますか?」

 「荷? いいえ。配送先が離宮宛になっているかもしれませんね。」


 遠征に行っているはずのクロノイア付の従者陣の1人だ。年若いが身軽で兄のお気に入りの1人と記憶していた。ご機嫌伺いの言に苦笑し、労いの言葉をかけようとする前に背後への掛けられた質問に目を瞬かせる。あの兄が配送先を間違えることがあるだろうか。

 通常ならば確かに間違いが発生しやすいのだ。実母であるロゼリアはリシュレイアを身籠った時に自身と腹の子の安全を考えて離宮に移り、レイアは物心がつく頃まではそちらで育っている。一時は第二王妃マリアージュとクロノイアも共に生活していて公務が日常となるまでの拠点は離宮だったと言っても差し支えはなかった。その為、荷物を離宮宛にしてしまう者が結構多いのだった。


 「では、同行して確認、回収をお願いするわ。……兄様からの荷よ。信のある者に行ってもらいたい。いいわね?」

 「仰せのままに。では、アイシャを呼びます。」


 訝りつつも好都合と命を下せば、恭しく頭を下げながら目で不服を伝えてきてその技量にあきれつつも感心した。どうやったらそこまで器用なことができるのやら。離宮との距離は馬で往復40分くらいだろうか。やや短い気はするが視界からラグナスがいなくなってホッとしたような、更に落ち着かないような。


 「姫様?」

 「なんでもないわ。……アイシャ、手解きを願える?」


 アイシャには時折護身の手解きをしてもらっていた。同じ女ということで貴重な知識も得られる。男と女の戦い方は違う。同じようで体力、体躯などの差がある分工夫が必要で、如何に巧く補える技量が培えるかで男とも渡り合うことが可能となる。体術でいえば受け流す、避けるが主になろうか。

 どんなものにでも言えることだが気が散じていては効率は悪い。動きが悪くなるのは当然で、貴重な時間なのにと思えば自己嫌悪も増す。相手にも失礼だ。


 「………姫様、休憩しましょう。」

 「ええ、……ごめんなさい。」


 如何なる時にも対応できるように、敢えて動きやすい格好での訓練はしない。ドレスの裾が絡んで動けない、ヒールによって不覚を取るなど致命的なことにならぬよう日常の状態で対応できるようにする。これはマリアージュの助言だった。

 中庭の木陰にあるベンチに座って汗を拭いながらため息をついて空を見上げていると冷たい飲み物を手にしたアイシャが戻って来た。その表情は柔らかく、咎めるような色は皆無で自然と笑みが浮かんだ。軽くベンチの横を叩けば少し困ったように眉をあげ、ゆっくりと腰掛けた。断ったところで私が「命令よ」ということはわかっているから。渡された飲み物は氷が入ってよく冷えたミントの香りがするシロップ割だ。すっとして気持ちが良い。


 「調子が悪い時は誰にでもありますよ。」

 「……調子が、悪いのかしら。私。よく、わからないのよ。アイシャはそういうことないでしょうね。」

 「ありますよ。…………なんで自分が落ち込んでいるのか、何を気にしているのかわからない。焦っても答えが出るものじゃありません。でも、やらなきゃいけないことはあるし……困りますよね。」

 「どうするの? そういう時。」

 「やらなきゃいけないことをやりつつ、ひたすら考えます。それか、話を聞いてもらいます。話している内にわからないまま解決してしまうって案外多いんですよ。」

 「…………ラグナスは、そういうこともないんでしょうね。いつでも完璧で。」

 「隊長ですか? ……確かにいつでも完璧で、隙はないし、苦手なことはないのかと聞きたくなるほどに優秀な方だと思います。」

 「貴女から見てもそうなのね。……もてるの? あれは。」

 

 アイシャも悩むことがあるというのは人として当然かもしれないけれど、直に聞けば意外さと親近感が湧いた。ぽつりぽつりと迷いながら漏らす言葉に返る誠実な声音はそれだけでささくれだった気持ちが凪いでいくようだった。基本的に男社会といってもいい城内でアイシャも自分とは立場は違えど信念を持って立っている女性であり、どこかで仲間意識のようなものがある。それに母親特有の包容力というものがにじみ出ている気がする。だからこそ、ラグナスのことを聞いてみようと思ったのだが恐怖に似た心地がして僅かに身を強張らせた。その耳に届いたのは、


 「近しい者にはもてないかと思います。あ、勿論、尊敬とか、敬愛は多いですよ?」

 「え?」

 「隊長は本当に誰から見ても完璧ですし、容姿も端麗です。だから噂や遠目で見る人は素敵だと熱をあげます。でも、近くにいればいるほど優秀過ぎて恋愛対象にはならなくなる。……私が言ったとは内緒にしてくださいね?」


 意外な言に凝視しているのに気付いたアイシャが苦笑を浮かべて口止めを願う。こくりと子どものように頷いて小さく唸る。優秀過ぎてもてないってどうなんだろう。確かにあれは結婚する気は毛頭ないようだし、職務に支障が出なくて良いと思うべきなのか。


 「…………もし、完璧じゃない隊長の顔を知っている人がいるとすれば、その方が特別なんでしょうね。」

 

 独白のように呟かれた言葉に鼓動が跳ねた。じわりと体温が上がっていくように感じるのは不快ではない。幼馴染だから知っていて当然かもしれないけれど今ではクロノイアの前だって完璧な態度を見せる。無礼で、不遜で、腹立たしくて……なのに、うれしいと思うなんて自分はどうかしている。


 「感謝するわ。なんだかすっきりしたみたい。」

 「それはようございました。」


 数日間の欝々とした気持ちが嘘のように晴れた足取りは軽く、休憩を挟んで再度行った護身術も今度はうまくいった。着替えを終えたタイミングで帰還したラグナスは両手で抱えるほどの荷を携えていて、クロノイアの従者は既に辞したことを伝えてきた。自分を差し置いて労われることを良しとしない兄の心情を慮ってのことだろう。


 「いったい何を送ってきたんだ、あいつは。」

 「便せん数種と、本が5冊……あら?」

 「どうした。」

 「貴方宛てがあるわ。」


 早速荷を解いて中身を改めているとやや重たい小箱に二つ折りのカードが貼り付けられているのを見つけて示せば、ラグナスが傍らにやってきて一緒にのぞき込む。中身を確認して2人は沈黙した。横目で伺い見れば、当然の如く気分を害した顔がある。おそらく私がラグナスに声をかけることを見越してわざと離宮に届くようにした。更にこれだ。上等な果実酒の瓶。


 『親愛なる幼馴染へ。

  遠征の折にはいつも以上に世話になると思う。

  レイアを宜しく頼むよ。くれぐれも』


 カードから何かどす黒いものを感じるのは何故だろう。先日送った手紙はそつなく問題なかったはずだけど、あの恐ろしいシスコンの兄は気持ちのブレに感づいたということか。妹の不調→近しい者が原因もしくは監督不行き届き→警告というのはあり得る。ラグナスの矛先が向く前にため息ひとつ。手紙の返信を見抜かれた時のささやかな反撃もかねて肩を竦めた。


 「兄様は相変わらずのようね。きっと、珍しく兄様を気にした言を地獄耳で聞きつけたのよ。」

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