閑話:不器用な庇護者と、風見鶏亭の休日
樹層街ウッド・ベースの4階、『飛空猟兵の拠点』エリア。
木彫りの鳥が風でクルクルと回る看板が目印の宿『風見鶏亭』では、神鳥の巣での死闘を終えたプロウォーカーたちが、賑やかで穏やかな休息の時間を過ごしていた。
「ほらバルドさん、遠慮しないでどんどんお食べ! 怪我を治すには、よく食べてよく寝るのが一番の薬だからね!」
「おう! ありがたく頂くぜ、マーサさん!」
宿の1階にある食堂。大きな木製のテーブルには、マーサが腕によりをかけた絶品料理が並べられていた。
主役は、分厚く切り分けられた**『大猪の骨付き肉の香草ロースト』だ。香草と蜂蜜の特製ダレを幾重にも塗って香ばしく焼き上げられた肉は、表面はカリッと琥珀色に照り輝き、ナイフを入れた途端に透き通った熱い肉汁がじゅわっと滝のように溢れ出す。
その隣には、とろみのある『黄金キノコと木の実の濃厚ポタージュ』**が湯気を立てていた。森の恵みがドロリと溶け込んだスープは、一口すするだけで五臓六腑に染み渡る強烈な旨味と、大地の豊かな香りが鼻腔をくすぐる。
「んん〜っ! ほろほろの肉に甘辛いタレが絡んで、こいつは最高だぜ!」
バルドは新調したばかりの銀色の右腕の具合を確かめながら、左手で豪快に肉にかぶりついた。
「えへへ、でしょ! アタシもポタージュおかわり!」
隣に座るティオは、両手で自分より大きな木の器を持ち、リスのように両頬をぷっくりと膨らませてハフハフと熱いスープを頬張っていた。美味しいご飯に琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、無我夢中で食べるあまり、小さな鼻の頭にはちょこんとポタージュの雫が跳ねている。
「おいおいティオ、お前これで四杯目だぞ。いくらなんでも食わせすぎだ。少しは落ち着いて食え」
バルドが呆れたようにため息をつく。
「いいじゃないか、バルド。こいつは上層で死にかけた分、生命力を欲してるんだろ」
厨房の奥のテーブルから、巨大な刃を手入れしていた大柄な青年――ティオの兄であるジンが、ニヤニヤと笑いながら声をかけてきた。
軽口を叩いているジンだが、その視線は手元の刃ではなく、何度もチラチラと妹の姿を確認していた。
彼女が部屋の隅に置いた立体機動用の革ハーネスには、鋭利な刃で削られたような生々しい傷がいくつも刻まれている。熟練の猟兵であるジンが、それを見逃すはずがなかった。
(……あの傷の深さ、あと数センチずれてたら完全に腹を抉られてたぞ……)
「上層で襲われた」という言葉が、どれほどの死線を意味しているか。無邪気に笑いながらご飯をねだる妹の姿に心の底から安堵しつつも、ジンの心臓の奥は、失うかもしれなかった恐怖で未だに冷たく強張っていた。
「だがなティオ、そんなに食って丸々と太ったら、立体機動のワイヤーが体重制限で切れちまうぞ。猟兵の引退も近いな」
心配を悟られまいと、ジンはあえて意地悪な声色でからかう。
「むーっ! アタシは太らない体質なの! お兄ちゃんのバカ!」
ティオが顔を真っ赤にしてスプーンを振り回し、ぷくうっとこれ以上ないほど頬を膨らませて抗議した。その愛らしい仕草に、マーサが厨房からお玉でジンの頭を軽く小突く。
「はいはい、ご飯中に喧嘩しないの!」
賑やかな家族のやり取りに、バルドは思わず吹き出した。
「がははっ、相変わらずいい兄妹だな! ……ほら、また口の周りにスープついてるぞ。子どもか、お前は」
文句を言いながらも、バルドは懐から清潔な布切れを取り出し、身を乗り出してティオの口元の汚れと、鼻の頭についた雫を無造作に拭き取ってやった。
「えへへ、ありがとうおじさん!」
ティオが花が咲いたような満面の笑顔を向ける。
その自然すぎる庇護者のような手つきを見て、ジンは刃を拭く手を止め、小さく息を吐き出した。
「……へえ。あの凶暴なミミックをぶっ飛ばした豪腕のプロウォーカー様も、妹の前じゃ随分と世話焼きな『親父殿』になるんだな」
「お、親父って……俺はまだそんな歳じゃ……!」
「おじさん、顔真っ赤! あはははっ!」
マーサもカウンターの奥で嬉しそうに目を細めている。平和な笑い声が、木の温もりに溢れた食堂に響き渡った。
*
午後になり、バルドは義手の慣らし運転と武器のメンテナンス資材の買い出しも兼ねて、ティオの案内で下層のバザールへと出ていた。
……その後ろには、なぜか巨大な刃を背負ったジンが、用心棒のように並んで歩いている。
「お前、なんでついて来たんだよ」
「俺も刃の研ぎ石を買いに行くついでだ。……それに」
ジンはバザールの人混みを歩く小柄な妹の背中を、庇うように鋭い目つきで見つめた。
「うちの馬鹿妹がまたおっさんに迷惑かけないように、兄貴として見張っておく義務があるからな。……それに、あのバカを無事に連れ帰ってくれたこと、ちゃんと礼を言ってなかったからな」
最後の一言は、雑踏に消え入りそうなほどの小声だった。
「わぁっ! おじさん、お兄ちゃん、見て!」
ティオは色とりどりの屋台に目を奪われ、小動物のようにパタパタと駆け回っている。声を上げるたびに、新緑色の髪がふわりと揺れ、すれ違う商人たちも彼女の無邪気な笑顔に思わず顔をほころばせていた。
「あっちで『蜜林檎の飴』が売ってる! 買って買って!」
「お前、さっき宿でスープ腹一杯食ったばっかりだろうが……」
バルドが渋い顔をして財布の紐を解こうとした瞬間、ジンが横からスッと銀貨を店主に投げ渡した。
「ほらオヤジ、一番でかくて甘いやつを頼む。……よそ者のおっさんに、うちの可愛い妹がこれ以上借りを作るわけにはいかねえからな」
ジンが少しぶっきらぼうな手つきで、真っ赤な蜜林檎の飴をティオに差し出した。
「わーい! さすがジン兄ちゃん、太っ腹!」
飴を受け取ったティオは、大きな口を開けてパリッと小気味良い音を立ててかじりついた。
「ん〜っ! あまーい!」
「へへっ、だろ? やっぱり最後は実の兄貴が一番……」
「おじさんも一口食べる? すっごく甘いよ!」
「なんで一番最初にそのおっさんに勧めるんだよ!」
かじりかけの林檎を「あーん」とするような無防備な仕草でバルドに差し出すティオに、ジンが涙目でツッコミを入れる。バザールの喧騒の中で繰り広げられる、やかましい三人のやり取り。
「俺は甘いのは苦手だ。……ほら、また服にこぼすなよ」
バルドがまたしても布を取り出し、ティオの口元を拭ってやる。その手つきは、荒事ばかりをこなしてきた男とは思えないほど優しく、ひび割れた大きな手は、ガラス細工を扱うかのように慎重だった。
それを見ていたジンは、何か文句を言おうと口を開きかけたが――バルドのティオを見る眼差しが、決してただの仕事仲間ではなく、心から彼女を大切に思っている「家族」のそれだと気づき、バツが悪そうにフッと息を吐いた。
(……ちっ。まあ、こいつになら、背中を預けてもいいかもしれねえな)
「……ふふっ。不器用なお父さんに、素直じゃないお兄ちゃん。すっかり『家族』ね」
ふと、バザールの喧騒の少し離れた場所から、シエルの呆れたような、けれど温かい声が聞こえた。
彼女は太い枝の上に作られたカフェのテラス席から、三人のやり取りを微笑ましく眺めていた。
顔を赤くして「帰るぞ!」と大股で歩き出すバルドの背中を、ティオが「待ってよー!」と笑いながら追いかける。
振り返ったティオが、バルドの大きな左手と、隣を歩くジンの右手をそれぞれ取り、小さな両手でギュッと握りしめた。
バルドもジンも一瞬ビクッとしたものの、振り払うことはせず、互いに「仕方ねえな」という顔をしてそっぽを向きながら、ティオの小さな歩幅に合わせてゆっくりと歩き続ける。
巨大な世界樹の根が織りなす暖かな光の中。
血の繋がりを超えて結ばれた、不器用で優しく、どこまでも温かい絆の背中が、バザールの雑踏の中へと溶け込んでいった。




