第4章・第34話:金の鍵と、変わり果てた騎士様
カイル・イグノタフが去り、静寂を取り戻した黄金の玉座の間。
「黄金の根」の硬い表面の上で、シエルは深い闇の底から浮上するように、ゆっくりと目を覚ました。
「……う、ううん……」
アメジストの瞳が微かに開き、焦点を結ぶ。
視界に映ったのは、無重力の闇ではなく、穏やかな青白い光を放つ世界樹のコア。そして、心配そうに自分を覗き込む、ティオの琥珀色の瞳だった。
「シエル! シエル、気がついた!? よかった……!」
ティオが泣きそうな顔でシエルに抱きついた。
「ティオ……? 私は……ヴェインの雷撃を受けて……?」
シエルは痺れの残る体を強引に起こした。記憶の最後にあるのは、回避不可能な雷の弾幕に貫かれた瞬間だった。
「ああ。とんでもねえ電撃を食らって、丸焼けになるところだったぜ」
少し離れた場所で、折れた肋骨をポーションで治療していたバルドが、力なく笑った。彼の左腕も、ヴェインの魔法でひどく裂けている。
「……ヴェインは? 私は負けたの……? 世界樹のシステムは……ルートアクセスはどうなったの?」
シエルは最悪の事態を想定し、青ざめながらメインコンソールへと視線を向けた。
しかし、そこに表示されていたのは、赤黒いエラーログではなく、完璧に正常化された、美しく流れる青い数式だった。
「な……!? 全システムが復旧してる……? それに、この汚いスパゲティコードが、跡形もなく消去されて、最高位の浄化プロトコルで上書きされている……!」
シエルが驚愕に目を見開く。
「誰が……? レインが外からやったの?」
「違うよ。レインは停止コマンド(シャットダウン)を叩き込んだだけ。シエルが気絶した後、別の人が現れて……」
ティオが事の次第を話し始めた。
気絶したシエルを、ヴェインがとどめを刺そうとした、まさにその瞬間。
突然現れた、純白の聖騎士服を纏う二刀流の剣士。
ヴェインをただの一撃で沈め、無言のまま玉座に聖剣を突き立ててシステムを完全に正常化させた、沈黙の男。
バルドの話が進むにつれ、シエルの表情はこれまで見たこともないほど、驚愕と混乱に染まっていった。
「純白の聖騎士服……聖剣と魔剣の二刀流……。バルド、その男の名前は……カイル・イグノタフと言ったの……?」
「ああ。ヴェインの奴が気絶する前に、そう叫んでたな」
「…………!!」
シエルは言葉を失い、銀の鍵を持つ手を震わせた。
カイル・イグノタフ。
その名前に、シエルは強い違和感と驚きを隠せなかった。
王都での学園で相棒であるレインを勝手に軽視し、何かと目の敵にして突っかかってきていた、真面目だが融通の利かない青年。
かつて『時計台の書館・第3階層』の攻略の際、シエルが容赦なく捨て駒の囮として使い倒した、あの純粋で「頼りない騎士様」だ。
(あのカイルが……ヴェインを一撃で沈めた? しかも、一切の感情を交えずに、ただ淡々と?)
バルドの語るカイルの姿は、シエルの知る彼とは、まるで別人のようだった。
しかし――無理もないのかもしれない。
レインの通信によるカイルの数奇な運命を耳にしていた。
イグノタフ家の恐るべき闇に触れ、何者かに精神を操られ……狂気の中で、自らの手で実の父親を殺害してしまったという、凄惨すぎる真実。
現在は一族から逃走し、独立部隊を率いて行方をくらませているはずだった。
(父様を殺してしまったという事実が、あの頼りなかった騎士様を、そこまで冷酷な剣士に……別人のように変えてしまったというの……?)
シエルは胸の奥が冷たくなるのを感じた。
かつて自分たちがからかい、囮にした生真面目な青年はもういない。そこにあるのは、深すぎる絶望と闇を抱え、ただ静かに刃を振るう修羅の姿だ。
「……シエル? どうかしたのか?」
考え込むシエルを、バルドが不思議そうに覗き込む。
「……ううん、なんでもないわ。少し、昔の知り合いだったから驚いただけよ。随分と……変わってしまったみたいだけれど」
シエルは小さくかぶりを振り、感情を押し殺して立ち上がった。
ひとまず、世界樹の危機は去った。
暴走していた「神鳥の巣」のシステムは完全に正常化され、ヴェインは魔力回路を断ち切られた状態で黄金の根に簀巻きにされている。
「……さて。お嬢、カイルの思惑はともかく、俺たちの仕事は完遂しようぜ」
バルドが言い、ティオも力強く頷いた。
「ええ。……神樹は、正常化のお礼として、私たちに『最高管理者アクセス権限(金の鍵)』をくれたわ」
シエルは玉座から溢れ出す、眩い黄金の光を見つめた。
それは、世界樹の根幹、第1層から第100層まですべてを統べる、真の管理者パスワード。レインが求めていた、この世界のあらゆる情報を引き出せる究極のデータベースへの鍵。
「……これを持って、街に戻りましょう」
三人は玉座から溢れる光の中から、『金の鍵』を受け取り鍵束にしまいこんだ。
世界樹の頂を覆う青白い星空。
宇宙空間のような静寂の中で、プロウォーカーたちは、多くの負傷と、変わり果てたかつての「頼りない騎士様」の影を胸に抱きながら、自分たちの居場所――マーサの親分の店がある、活気ある街へと向かって下層へと降り始めた。
ひとまず、最悪の危機は回避された。
しかし、シエルの胸の中には、黄金の鍵よりも重い、カイル・イグノタフという新たな謎が、解消されないノイズのように深く刻み込まれていた。
父親殺しの罪を背負い、一族から逃走中の身である彼が、何を思ってこの場に現れ、神樹を救ったのか。
その漆黒と白銀の双刃が次に断ち切るものは、果たして世界のバグか、それとも――。
プロウォーカーたちの冒険は、まだ終わらない。




