第4章・第25話:瑠璃色の庭園
白亜の大理石が敷き詰められた第35層・生態系管理ブロック。
【天空の箱庭】と名付けられたその空間は、シエルがこれまでのプロウォーカー人生で見てきたどの遺跡よりも、圧倒的で、そして狂おしいほどに美しかった。
天井に埋め込まれた巨大な魔導水晶(人工太陽)が、真昼のように柔らかく暖かな光を降り注いでいる。
見渡す限りに咲き乱れているのは、地上では決して育つことのない『瑠璃色の結晶花』だった。花びらの一枚一枚が薄いガラスのように透き通り、光を反射してプリズムのような虹色の輝きを放っている。
さらにシエルの目を奪ったのは、空間を流れる『水』の軌跡だった。
旧時代の反重力機関と植物の導管が融合した結果、清らかな小川は地を這うだけでなく、空中の見えない水脈を辿って**『無数の水滴』**となり、重力を無視してホタルのようにフワフワと宙を舞っているのだ。
「……なんて完璧な環境構築なの。数千年もの間、光、水、魔力の循環係数が、コンマ一ミリの誤差もなく維持され続けている」
空を舞う水滴の向こう側で、銀糸のような植物の蔓が神殿の柱に絡みつき、美しい緑と白のコントラストを描いている。
むせ返るような密林の匂いは一切なく、代わりにオゾンと甘い花の香りが混ざり合った、肺の奥まで浄化されるような澄み切った空気が満ちていた。
だが――その完璧な美しさは今、無骨な泥靴と硝煙によって無惨に踏みにじられていた。
「オラァッ! 邪魔だポンコツ庭師が! チェーンソーの出力上げろ!!」
「クソッ、次から次へと湧いてきやがる! 構わん、花壇ごと火炎放射で焼き払え!!」
外壁を爆破して侵入してきたイグノタフ侯爵家の特務部隊が、黒い重甲冑をガシャガシャと鳴らしながら、瑠璃色の結晶花を容赦なく踏み砕いていく。
彼らを排除すべく起動した『庭園の番人』たちが、蔦の絡まった丸太のような剛腕を振り下ろすが、特務部隊の圧倒的な火力と魔導チェーンソーの前に、次々と装甲を削り取られ、青白い樹液を撒き散らして崩れ落ちていった。
「あーあ、せっかくの綺麗な花畑が台無しね。あの黒い連中、野蛮すぎない?」
ティオが物陰から顔を出し、呆れたように琥珀色の瞳を細める。
「ああ。だが連中の装備、王都の正規軍並みかそれ以上だぞ。あの数とまともにやり合えば、いくら俺でも骨が折れるな」
バルドが真鍮の義手を軽く鳴らしながら、敵の陣形を油断なく睨みつけた。
「私たちは戦わないわ」
シエルは冷ややかな声で告げた。彼女のアメジストの瞳には、美しい数式を力任せに破壊する者たちへの、ハッカーとしての静かな怒りが宿っていた。
「まともに相手をして、この美しい庭をこれ以上汚す必要はないわ。……この箱庭の『環境』そのものを味方につけて、最短ルートで次のエレベーターゲートを抜けるわよ」
シエルはトランクを足元に置き、『銀色の魔導鍵』を引き抜いた。
「ティオ、上層の銀色の蔓ならアンタの装備で渡れるわね?」
「愚問ね。アタシを誰だと思ってるの?」
「バルドは私の護衛。流れ弾を弾き飛ばしてちょうだい」
「おう。大船に乗ったつもりで任せな!」
二人の頼もしい返事を聞き、シエルは宙をフワフワと舞っている『反重力の水滴』の一つに、銀の鍵の先端をそっと触れさせた。
「――事象解除。対象、第35層・水脈管理システムの環境係数。……反重力の出力を最大化し、水晶の光量と同期!」
ガチンッ!!
澄んだ金属音が箱庭に響き渡った瞬間。
空を舞っていた無数の水滴が、シエルの魔力ハッキングを受けてピタリと動きを止めた。
直後、小川から凄まじい勢いで水が空へと吸い上げられ、箱庭の上空に『数万個の巨大な水滴のドーム』が形成されたのだ。
「な、なんだぁ!?」
「水が浮いて……おい、上が眩しっ――!?」
特務部隊の兵士たちが異変に気づき、上空を見上げた。
その瞬間、天井の人工太陽の光が、極限まで密度を高めた数万の水滴レンズを通過し、**『致死量に近いほどの強烈な虹色の閃光』**となって、イグノタフの兵士たちの視界を完全に奪った。
「ぎゃあああっ!? 目が、目がァッ!!」
「何も見えん! 撃つな、味方に当たるぞ!!」
美しい瑠璃色の庭園は、光の乱反射によって天地の境目すら分からない、眩い万華鏡の迷宮へと変貌したのだ。
視覚センサーを封じられ、パニックに陥って同士討ちを始める黒甲冑の部隊。一方で、視覚ではなく『環境魔力』で敵を感知しているガーデナー・ゴーレムたちは、全く影響を受けることなく、混乱する兵士たちを次々と薙ぎ払っていく。
「今よ! 駆け抜けるわ!」
シエルが号令をかける。
「ひゅーっ! 最高に綺麗な目眩し(フラッシュバン)じゃない!」
ティオが跳躍蔦を射出し、銀糸の蔓を支点にして、光の乱反射の中を音もなく空中滑空していく。
地上では、シエルがトランクを抱えて一直線に駆け出し、バルドが真鍮の義手を盾にして、盲滅法に撃ち込まれる特務部隊の流れ弾をガキィィンッと全て弾き返した。
「そこをどきなさい、野蛮人たち」
シエルは立ち塞がった黒甲冑の兵士の足元の水脈に鍵を突き立て、局所的に『事象凍結』を発動。兵士の足首を一瞬で氷漬けにし、転倒したその背中を優雅に踏み台にして飛び越える。
光と水が織りなす圧倒的な美しさを武器に変え、シエルたちは大混乱に陥る戦場を文字通り『すり抜け』てみせた。
「着いたわ! これが次のエレベーターゲートね!」
箱庭の最奥。先ほどの広場と同じような、巨大な石扉の前に三人が到着する。
シエルはすかさず、純生琥珀をコーティングした『偽装鍵』をアクセスポートに突き立てた。
「――事象解除! 権限認証、第一種アクセス! ゲート開門!」
カチャリ、と小気味よい音が鳴り、青白い魔力光と共に石扉がスムーズに開いていく。
中には、さらなる上層へと続く二つ目のガラスの昇降機が待機していた。
「よし、乗り込むわよ!」
三人が昇降機に飛び込み、ガラスの扉が静かに閉まりかけた――その時だった。
『――害虫の強制排出を実行します』
箱庭全体に無機質なシステム音声が響き渡った。
シエルのハッキングによって環境係数が極大化された箱庭の『植物たち』自身が、システムに沿って容赦のない「大掃除」を開始したのだ。
「う、うわあっ!? 足に何かが絡み――っ!」
「ヒィィッ! 助けてくれ、引っ張られ――!!」
神殿の柱に巻き付いていた銀糸の蔓が、意思を持った大蛇のように素早く動き出し、盲目状態の兵士たちの手足に次々と巻き付く。さらに瑠璃色の結晶花が太い根をうねらせ、重甲冑の兵士たちをまるでゴミ屑のように軽々と宙へ持ち上げた。
そして――兵士たちは、先ほど彼ら自身が爆破して開けた外壁の「大穴」へと、豪快なスイングで容赦なく放り投げられていった。
「ああああぁぁぁぁっ――!!」
先ほどシエルに踏み台にされた氷漬けの兵士も、蔓にグルグル巻きにされ、見事な放物線を描いて空の彼方へとホームランされていく。
美しい環境を力任せに破壊した報いとして、自らが開けた穴から空へ凄まじい悲鳴と共に強制ダイブさせられるという、あまりにも皮肉で痛快な結末だった。
完全に閉ざされたガラスの扉の向こうで、その大掃除の様子を見届けた後。
『――第35層、出発します。次は、第70層・気象制御ブロック』
エレベーターが無音で再び急上昇を始める。
シエルは少しだけ乱れたアメジストの髪を整えながら、眼下で光り輝く瑠璃色の庭園に向かって、ふっと得意げな笑みをこぼした。
「美しいシステムには、泥靴の兵隊じゃなくて、スマートな魔法こそが相応しいのよ」




