第4章・第21話:巨樹の麓、息づく大樹の街(ウッド・ベース)
鬱蒼とした密林を抜け、ティオの案内に従って樹冠から地上へと降り立ったシエルとバルドは、目の前にそびえ立つ圧倒的な「壁」を見上げていた。
それは、空を覆い尽くす『世界樹』の巨大な根だった。
青白く脈打つ魔力のラインが、地脈の血液を吸い上げるように樹皮の谷間を走っている。その根と根の隙間は、まるで巨大な城門のようにポッカリと暗い口を開けていた。
「さあ、着いたわ。よそ者のアンタたちには、ただのデカい木の化け物にしか見えないでしょうけどね」
ティオは跳躍蔦のフックを腰のポーチにしまいながら、自慢げにふふんと鼻を鳴らした。
「この奥が、アタシたちの故郷。密林最大の拠点――**【樹層街ウッド・ベース】**よ!」
少女が先陣を切って、巨大な根の隙間へと足を踏み入れる。
シエルとバルドもそれに続いた。短い暗がりを抜けた瞬間――密林の静寂は唐突に終わりを告げ、鼓膜を打つようなすさまじい「喧騒」と「熱気」が二人を包み込んだ。
「いらっしゃい! 獲れたての『大王ヤンマ』の串焼きだよ! スパイス多めでどうだい!」
「おい、そこの荷車どかせ! 樹液の樽が通れないだろうが!」
「飛空猟兵のギルドから買取の要請だ! 純度の高い毒消し草を持ってる奴は4階へ持ってこい!」
シエルの目の前に広がっていたのは、むせ返るような熱気と、人々のエネルギッシュな生活の匂いだった。
そこはただの「巨樹の根元」などではなかった。天を突く世界樹の巨大な幹の空洞を丸ごと利用して築き上げられた、途方もないスケールの**『縦穴都市』**だったのだ。
「うおっ……! なんだこりゃ。外からじゃ密林の葉に隠れて全然見えなかったが、木の中に街がすっぽり入ってやがる……!」
バルドが目を丸くし、真鍮の義手で首の後ろを擦りながら、遥か上部まで螺旋状に続く街の構造を見上げた。
「ええ……信じられないわ。旧時代の生体サーバーの『冷却ダクト』や『配線ルート』だった空洞を、そのまま居住区として再利用しているのね……」
シエルはアメジストの瞳を輝かせ、プロウォーカーとしての鋭い分析眼で街の構造を見渡した。
スパイスの香ばしい匂いと、甘く焦げた樹液の匂いが混ざり合う独特の空気。
都市は下から上に向かって、巨大な吹き抜けを囲むように大きく五つの階層に分かれていた。
「驚いた? これがアタシたちの街よ」
ティオがシエルの横に並び、胸を張って上を指差した。
薄暗い密林から、無数のヒカリゴケのランタンが照らす明るい空間へと入ったことで、シエルは改めてこの小柄な案内人の容姿をはっきりと観察することができた。
彼女の髪は、密林の若葉を思わせる鮮やかな新緑色。樹冠の風を浴びて少し無造作に跳ねているのが、彼女の活発さを物語っている。
日光をたっぷりと浴びた小麦色の肌は健康的で、華奢に見える手足には野生動物のようにしなやかな筋肉が引き締まっていた。
身に纏っているのは、密林の気候と立体的な動きに最適化された民族衣装風の軽装だ。動きやすいノースリーブのトップスに短いボトムス、そして前腕とすねには、硬い木の皮と魔獣の革を組み合わせた軽量の防具がしっかりと装着されている。
猫のようにクルクルと表情を変える大きな琥珀色の瞳は、今は自身の故郷を誇るようにキラキラと輝いていた。腰のベルトには、先ほどシエルたちも使った『跳躍蔦』を収めた特製ポーチと、ツルを切ったり獲物を解体したりするための大小様々なサバイバルナイフが機能的に配置されている。
「今アタシたちがいるこの一番下が、1階【大樹の市場】。密林で採れた希少な素材や食料は、全部ここに集まってくるわ。
その上の2階と3階が【居住と職人の層】。木々をくり抜いた住居と、樹液や魔導石を加工する工房が並んでるの。
さらに上の4階が【飛空猟兵の拠点】。アタシたち猟兵のギルドや酒場が集まる、一番賑やかなエリアよ」
「……なるほど。完全な階層型の立体都市というわけね。じゃあ、あの最上層――光が届かなくなっている**『5階』**は何があるの?」
シエルが吹き抜けのさらに上、暗がりに沈む最上階を見上げて問うと、ティオは少しだけ声を潜めた。
「あそこは**【神の扉の広場】**。誰も足を踏み入れない沈黙の層よ。……あの頂上(神鳥の巣)へ続くという、千年前から動かない石造りの巨大エレベーターが眠ってるの」
シエルはそれを聞き、口元に不敵な笑みを浮かべた。
(ビンゴね。そこが、私たちがハッキングしてこじ開けるべきメインルートだわ)
「おい、お嬢、ティオ! 上の階の解説もいいが、俺の腹の『エネルギータンク』がさっきからエンプティを告げてやがる。まずはこの美味そうな匂いの元をどうにかしねえか!」
バルドがバザールの屋台から漂ってくる強烈な肉の匂いに耐えきれず、腹の音を盛大に鳴らした。
「もう、おじさんは食い気ばっかりなんだから! ……でも、アタシもちょっとお腹空いたかも。ほら、よそ者さんたち! 命を預けた案内人の奢りで、この街の『名物』をご馳走してあげるわ!」
ティオに腕を引っ張られ、シエルとバルドは活気あふれる1階のバザールへと足を踏み入れた。
すれ違うのは、煤と油にまみれた職人や、巨大な獲物を担いだ屈強な猟兵たち。誰もが生命力に溢れ、逞しく生きている。頭上からは淡く発光する『ヒカリゴケ』を詰めたガラスランタンが無数に吊るされ、太陽の光が届かない幹の内部を、幻想的なエメラルドグリーンに照らし出していた。
ティオの姿を見ると、屋台の店主たちが次々と親しげに声をかけてくる。
「おう、ティオ! 今日も無事に帰ってきたか。またデカい獲物を仕留めたんだろう?」
「おじさん、あとで幻覚蛇の牙をギルドに卸すから、高く買い取ってよね!」
シエルはその微笑ましいやり取りを横目に、複雑な魔力配管が張り巡らされた木の壁面をそっと撫でた。木材の隙間に真鍮のパイプがねじ込まれ、蒸気と魔力が規則正しく脈打っている。
(この街自体が、巨樹の魔力ネットワークに寄生して生きている。大自然と機械が見事に調和した、生きた要塞……本当に素晴らしいわ)
「おーい、お嬢! この『大王ヤンマの串焼き』ってやつ、見た目はエグいが味は絶品だぜ! お前も食うか?」
バルドが、自分の腕ほどもある巨大な昆虫の串焼きを両手で持ち、バリバリと豪快に噛み砕きながら振り返った。
「……遠慮しておくわ。私はプロウォーカーとして、栄養素の正体が不明なものは口にしない主義なの」
シエルはわずかに顔を引き攣らせて即答した。
「あははっ! 王都のお嬢様には刺激が強すぎたかしら? じゃあ、もっとちゃんとした料理を食べに行きましょう。アタシの家が4階で宿屋をやってるから、そこへ案内するわ!」
ティオの明るい声に導かれ、シエルたちは木製の巨大な螺旋スロープへ足を向けた。
蒸気と歯車の音が鳴り響く、活気に満ちた大樹の街。この階層を登り切った先に、シエルたちを待ち受ける新たな出会いと、巨樹攻略への足がかりが待っている。




