第4章・第20話:樹冠の道と、捕食者の森
「……案内してくれるのはありがたいけど、タダってわけじゃないんでしょ?」
シエルが疑わしげに目を細めると、ティオは悪びれる様子もなく、琥珀色の瞳をニカッと輝かせた。
「当然! アタシたち『樹冠の案内人』は命懸けで空の道を拓いてるんだから。銀貨十枚、もしくはそれに釣り合う魔導具。……あ、でも、さっきの毒蛇の牙を譲ってくれるなら、今回は特別にタダにしてあげてもいいわよ?」
「いいわ。交渉成立よ」
シエルはあっさりと頷いた。未知のテリトリーで優秀な現地ガイドを得られるなら、倒した魔獣の素材など安いものだ。
「よし、決まりね! じゃあアンタたち、これを使って。アタシのお手製の予備装備よ」
ティオは腰のポーチから、緑色の光を放つ強靭な『跳躍蔦』と、先端に鋭い魔導フックがついた装備を二つ取り出し、シエルとバルドに放り投げた。
「使い方は簡単。フックを上の太い枝に引っ掛けて、蔦の伸縮力と振り子の遠心力で飛ぶの。地面の毒霧や幻覚植物を避けるための、この密林の基本移動術よ。……落ちたら一貫の終わりだからね!」
ティオはふふんと笑うと、自身の跳躍蔦を上空の枝に向けて軽やかに射出した。
少女の体が風の魔力と共に空高く舞い上がり、瞬く間にうっそうと茂る樹冠の中へと消えていく。
「ハッ、おもしれえ! ターザンごっこなら子供の頃に嫌ってほどやったぜ!」
バルドは渡されたフックを真鍮の義手でガッチリと掴み、内部の歯車を全開にして強引なパワーで蔦を引き絞り、大木を蹴って空中へ躍り出た。彼が生み出す凄まじい遠心力は、風を切るというより空気を破壊するような豪快さだ。
「ちょっと、二人とも早いわよ! ……もう。事象解除! 対象、トランクの重力係数!」
シエルは銀色の魔導鍵を愛用のトランクに突き立て、質量を一時的に風船のように軽くした。そして、彼女はプロウォーカーとしての優れた身体能力と演算予測を駆使し、木々の間を流れるように滑空し始めた。
地上から数十メートルの上空。そこは、薄暗い地表とは全く違う、エメラルドグリーンの木漏れ日と爽やかな風が吹き抜ける、美しい『空の道』だった。
「すごい……! 地上にいたら絶対に分からない景色ね」
シエルは空中で弧を描きながら、眼下に広がる果てしない樹海と、正面にそびえ立つ『巨樹』の威容に息を呑んだ。
「でしょ? これがアタシたち飛空猟兵の特等席よ! アンタたち、よそ者のくせになかなか筋がいいじゃない!」
前の枝で蔦を巻き取りながら、ティオが嬉しそうに振り返った。
その時だった。シエルとティオの目が、同時に異常を感知した。
「ティオ! 右の枝、擬態してるわ!!」
「えっ!?」
シエルの鋭い警告の直後。ティオが着地しようとしていた巨大な「緑の枝」が、突如として縦に裂け、無数の鋭い牙が並んだ巨大な口腔を現した。
『擬態食虫植物』。
「ウソッ、こんな上層に!?」
空中で体勢を崩したティオは回避できず、巨大な顎が彼女を丸呑みにしようと迫る。
「嬢ちゃん、危ねえッ!!」
ティオの真後ろから豪快にスイングしてきたバルドが、空中で自らの蔦を強引に切り離し、食虫植物の巨大な顎とティオの間に自らの巨体をねじ込んだ。
ガギィィィィィンッ!!!
けたたましい金属音が樹冠に響き渡る。バルドが盾として突き出した『真鍮の義手』が、植物の圧倒的な咬合力を真っ向から受け止め、拮抗していた。
「ぐ、おおおおっ! 噛み合わせの悪い雑草が……俺の相棒を喰い千切れると思うなよ!」
バルドの義手から高熱の蒸気が吹き出し、植物の牙がメキメキと音を立てて砕け始める。
「バルド、そのまま押さえてて! ――事象凍結!!」
後方から飛来したシエルが、銀の鍵を植物の根本――樹液が激しく脈打つ茎へと突き出した。
青白い魔力陣が展開された瞬間、植物の内部を流れていた強酸性の消化液と水脈が、物理法則を無視して『絶対零度の氷』へと変貌する。
「ギ、ギャアァァァァ……ッ!?」
凍りついた顎を、バルドが義手の全出力で強引にこじ開け、ティオの首根っこを掴んで隣の太い枝へと放り投げた。
直後、内部から完全に凍結した食虫植物は、自重に耐えきれずに砕け散り、地表へと消えていった。
「……っ、何者なの……?」
着地したティオは、信じられないものを見る目で二人を見上げた。
「ただのプロウォーカーよ。……さあ、案内人さん。これでおあいこね。案内を続けてもらえるかしら?」
シエルは銀の鍵を回して懐へしまうと、悪戯っぽく微笑んだ。
「……っ、上等じゃない! いいわ、アタシの縄張りでアンタたちを死なせるわけにいかないもの。特急のルートで一気に『麓』まで連れてってあげる!」
ティオは立ち上がると、今度はどこか誇らしげに胸を張り、再び跳躍蔦を構えた。
「よし、アタシの背中から絶対に離れないでよ! ここから先は『絶対魔境』の本番なんだから!」
ティオが琥珀色の瞳を輝かせ、跳躍蔦を射出する。それに続くように、バルドの豪快なスイングと、シエルの軽やかな滑空が樹冠の空を切り裂いていった。
しかし、緑の空の道は決して平和な散歩道ではなかった。
擬態食虫植物を退けてから数十分後、周囲の空気が澄んだエメラルドグリーンから、淀んだ赤紫色へと変色し始める。
「ストップ! 前方、赤紫の霧……『痺れ花』の胞子群よ!」
先頭のティオが空中で蔦の軌道を変えようと叫ぶが、霧は上層の風に乗って広範囲に及んでおり、避けるルートが見当たらない。
「迂回している時間はないわ。そのまま突っ込んで!」
「正気!? 吸い込んだら一瞬で全身麻痺して、真っ逆さまよ!」
「大丈夫。私の魔法を信じなさい」
シエルはトランクを抱えたまま、銀色の魔導鍵を前方へ真っ直ぐに突き出した。
「――事象解除! 風脈の指向性を強制上書き!」
ガチンッ! という澄んだ音と共に、自然の風のベクトルがシエルの魔力によってハッキングされる。
三人の周囲にだけ、不可視の『風のトンネル』が形成された。猛毒の赤紫の胞子は強風の壁に弾き飛ばされ、彼らの通り道だけが完全にクリアな空間として切り拓かれたのだ。
「うそっ……風そのものを操ったの!?」
「ははっ、お嬢の魔法は相変わらず便利で規格外だな!」
ティオが目を丸くする中、バルドは豪快に笑いながら胞子のトンネルを一直線に駆け抜ける。
だが、胞子地帯を抜けた直後、今度は頭上の枝葉から耳障りな金属音が降り注いできた。
「チッ、休ませてくれねえな。今度は『刃羽鳥』の群れかよ!」
バルドが顔をしかめる。見上げれば、刃物のように鋭い鋼の羽を持つ数十羽の怪鳥たちが、侵入者を排除すべく弾丸のような速度で急降下してきていた。
空中に浮いている滑空状態では、回避は極めて困難だ。
「アタシが引きつける! 二人はその隙に――」
「嬢ちゃんは案内に集中しな! 雑魚の相手は前衛(俺)の仕事だ!」
ティオが言いかけるより早く、バルドが前に出た。
彼は空中で真鍮の義手の排気弁を全開にし、凄まじい高圧蒸気を噴き出しながら背中の巨大なスパナを振り回す。
ガガガガガッ!!
強烈な金属同士の衝突音が樹冠に響き渡り、火花が飛び散る。バルドの力任せのフルスイングが、襲い来る怪鳥たちを片っ端からボールのように弾き落としていく。
それでも網の目を掻い潜った数羽がシエルとティオへ迫るが、シエルは空中で冷静に鍵を反転させた。
「事象凍結!」
青白い陣が虚空に展開され、鳥たちの翼の関節に入り込んだ湿気が瞬時に氷結する。
「ギィヤッ!?」と悲鳴を上げ、石のように羽を硬直させた鳥たちは、そのまま遥か下の樹海へと真っ逆さまに落下していった。
その後も、息つく暇もなく次々と密林の牙が彼らに襲いかかった。
足場を偽装して獲物を誘い込む『幻惑の苔』は、シエルの魔力演算眼が事前にシステムの異常として看破し、ルートを瞬時に修正。
巨大な蔦が鞭のように襲い掛かってくるエリアでは、ティオの卓越した樹冠滑空のテクニックが活きた。彼女が踊るようにナイフで蔦の急所を切り払い、バルドが強行突破で道をこじ開け、シエルが環境の物理法則を書き換えて安全な軌道を確保する。
三人の長所が完璧に噛み合った、圧倒的な連携だった。
ティオは跳躍蔦で空を舞いながら、後ろを付いてくる二人に内心で舌を巻いていた。
(信じられない……。普段なら熟練の飛空猟兵が数人がかりで何日もかけて越える難所を、こんな短時間で、しかも無傷で突破するなんて……!)
数々の罠と魔獣を、力と知略と身軽さで完璧に退けながら、緑の空の道を駆け抜けること数時間。
やがて、鬱蒼とした木々の壁が不意に途切れ、視界が完全に開けた。
「……着いたわ。ここが、グリーン・フォールの終点」
ティオが息を切らしながら、太い枝の上で立ち止まる。
シエルとバルドもその後ろに降り立ち、前方を見上げた。
「こいつは……下から見上げると、一段と狂ったデカさだな」
そこにあったのは、もはや壁としか表現のしようがない、空を完全に覆い尽くすほどの『世界樹の根元』だった。
青白く脈打つ魔力のラインが、滝のように樹皮を流れ落ちている。そして、その巨大な根と根の隙間には、上空の都市へと繋がる、旧時代の荘厳な石造りの『巨大エレベーターゲート』が静かに眠っていた。
【巨樹の空中都市】――その真の入り口へと、シエルたちはついに辿り着いたのだった。




