第4章・第16話:星室の攻防
逃げ場のない地下の最深部。
清浄な空気に満たされていた『白亜の星室』は、今や数十人の暗殺者が放つ濃密な殺気によって、息が詰まるほどの極限状態にあった。
「あのデカブツごと、女を蜂の巣にしろ。『鍵』は死体から拾えばいい」
片目の隊長が、残忍な笑みと共に無慈悲な命令を下す。
「撃てッ!!」
数十人の特務部隊が一斉に魔導銃の引き金を引いた。
薄暗い地下貯水池から、星室の入り口に向けて、絶え間ない銃口の閃光が瞬く。放たれた無数の高圧縮魔力弾が、豪雨のようにシエルとバルドへ殺到した。
「お嬢、俺から離れるなッ!!」
バルドが巨体を躍らせ、シエルの前に立ち塞がる。
彼は右腕の外套を完全に引きちぎり、真鍮の義手を巨大な盾のように前へと突き出した。
ガガガガガガガガッ!!!
無数の魔力弾が真鍮の装甲に直撃し、凄まじい衝撃音と共に激しい火花が散る。
常の金属ならば一瞬でひしゃげ、融解してしまうほどの凄まじい熱量。しかし、老職人によって極限までチューンナップされたバルドの義手は、内部の歯車を悲鳴のように軋ませながらも、その凶悪な弾幕を正面から弾き返していた。
「ぐおおおおッ……! さすがに、数が多すぎやがる……ッ!」
バルドの巨体が、着弾の衝撃でじりじりと後退させられる。鏡のように磨き上げられた瑠璃色の床タイルが、彼の踏みしめるブーツの底でメキメキとひび割れた。
「バルド、あと十秒だけ持ち堪えて! この部屋の『環境』、そっくりそのまま利用してやるわ!」
シエルはバルドの背中に隠れながら、手に入れたばかりの『3つ目の金の鍵』をトランクの奥底へ厳重にしまい込み、代わりに自らのマスターキーである『銀色の魔導鍵』を抜いた。
アメジストの瞳が、冷徹なハッカーの輝きを帯びる。
彼女の視線が捉えたのは、足元に広がる鏡のように美しい瑠璃色の床と、部屋の中央に鎮座する純度の高い水晶の祭壇だった。
(数十人を正面から相手にするのは愚の骨頂。なら、相手の視覚と認識をバグらせればいい!)
「いくわよ! ――事象解除!! 屈折率の制限を解除!」
シエルは祭壇の水晶に向けて、銀の鍵を突き出した。
彼女の魔力が流れ込んだ瞬間、水晶の祭壇が『プリズム』の役割を果たし、シエルが持っていた照明用魔導石の光を限界まで増幅・乱反射させたのだ。
ピシャァァァァァンッ!!!
「な、なんだッ!?」
「目が……ッ、ぐあああっ!?」
星室の床と天井、そして水晶の祭壇が、強烈なフラッシュバン(閃光弾)と化して地下空間を白く染め上げた。
暗闇に目が慣れていた特務部隊の男たちは、突如として放たれた絶対的な光量に網膜を焼かれ、悲鳴を上げて銃撃の手を止める。
「今よ、バルド!!」
「ハッ、流石はお嬢だ! 視界が潰れたモグラ共なんざ、ただの的だぜ!」
目を細めて強烈な光に耐えていたバルドが、地を蹴った。
彼は背中の巨大なスパナを引き抜くと、義手の出力を最大まで引き上げ、目隠し状態で混乱する敵陣のど真ん中へと突撃した。
「オラァァッ!! 邪魔だ、退きな!!」
ドゴォォォォンッ!!
バルドのフルスイングが炸裂し、先頭にいた数人の男たちが、まるで枯れ葉のように貯水池の水面へと吹き飛ばされる。
水柱が上がり、陣形が完全に崩壊した。
「ええい、怯むな! 適当に撃ちまくれ! 逃がすな!!」
片目の隊長が怒号を上げ、盲撃ちで二丁の魔導銃を乱射する。
しかし、シエルの環境操作は光だけでは終わらない。
「私の戦場に入ったことを後悔しなさい! ――事象凍結!!」
シエルは銀の鍵を反転させ、今度は入り口の外――特務部隊の男たちが足を踏み入れている、貯水池の浅瀬へ向けて魔力を叩き込んだ。
カチンッ!
男たちの足元を浸していた冷たい地下水が、シエルの魔力によって瞬時に『絶対零度の氷』へと事象変換される。
「な、足が……ッ! 凍りついて……!」
「動けねえ! 氷が装甲にまでへばりついてやがる!」
床を完全に凍結され、足元を拘束された男たちは、次々とバランスを崩して転倒していく。
バルドはその隙を絶対に見逃さず、動けない敵を容赦なくスパナで叩き伏せ、次々と昏倒させていった。
「おのれ……ッ、小賢しい真似を!!」
次々と部下が倒れていく中、片目の隊長だけは凄まじい脚力で氷の床を蹴り砕き、空中へと跳躍した。
彼の二丁の銃口に、これまでとは比較にならないほどの禍々しい、漆黒の魔力が収束していく。
「死ねッ! 障害物ごと消し飛べ、『黒極の魔弾』!!」
放たれたのは、対魔導防壁を貫通するために極限まで圧縮された、特大の質量弾。
それはシエルの張った氷の床を容易く粉砕し、一直線に二人へ向かって迫り来る。
「お嬢ッ!!」
「バルド、避けて! あれは義手でも受けきれないわ!」
シエルが叫んだ。
しかし、後ろには『金の鍵』が置かれていた水晶の祭壇がある。ここで避ければ、旧時代の遺物が粉々に吹き飛んでしまう。
(……なら、相殺するまでよ!)
シエルは一切の恐怖を見せず、迫り来る漆黒の魔弾に向けて、銀の鍵を真っ直ぐに突き出した。
「事象解除!! 対象、頭上の『魔導送水管』の全バルブ!!」
バギィィィィィンッ!!!
シエルが鍵をひねった直後、星室の入り口の真上――天井を通っていた旧時代の極太の配水管が、彼女のハッキングによって内部から強制破裂した。
「な……ッ!?」
隊長の顔が驚愕に歪む。
何百年分もの水圧を溜め込んでいた大量の地下水が、まるで巨大な滝のように、星室の入り口へ向けて垂直に落下してきたのだ。
ズドドドドドドォォォォォンッ!!!
凄まじい水量の壁が、隊長の放った『黒極の魔弾』を飲み込み、そのエネルギーを水中で強引に相殺・爆発させる。
同時に、その凄まじい鉄砲水は、足元を凍らされて身動きが取れなかった残りの特務部隊の男たちを、隊長ごと一網打尽にして貯水池の奥深くへと押し流していった。
「ぐわあああぁぁぁ……ッ!!」
怒号と悲鳴が、激しい水音にかき消されていく。
「……ふぅ。これで全員、水遊びのお時間ね」
シエルは銀の鍵を空中でくるりと回し、乱れたアメジストの髪を優雅にかき上げた。
数秒後、鉄砲水が落ち着き、星室の入り口には大量の水が滝のように流れ落ちるだけの状態となった。
貯水池の奥へ流された男たちが体勢を立て直すには、まだしばらく時間がかかるだろう。
「ハッ……ハハッ! マジでとんでもねえ女だぜ、お嬢は。この巨大な遺跡のインフラ全部を、自分の手足みたいに使いこなしやがる」
バルドがスパナを肩に担ぎ、呆れたように、しかし最高に誇らしげな笑顔で笑った。
「当然でしょ。私は学習する天才プロウォーカーなんだから。……でも、さすがに魔力を使いすぎたわ。あいつらが戻ってくる前に、ここからズラかるわよ」
「おう。だが、入り口はあの滝と、その奥の貯水池だぞ。どうやって逃げる?」
「フフン、心配無用よ。この手の遺跡のメインルームには、必ず『管理者用のメンテナンス通路』が隠されているものなの」
シエルは迷いなく、部屋の中央にある水晶の祭壇へと歩み寄った。
そして、祭壇の裏側にある小さな歯車を、銀の鍵の先端でカチリと弾く。
ゴゴゴ……。
祭壇の奥の白亜の壁が静かにスライドし、大人一人がようやく通れるほどの、上へと続く隠し階段が姿を現したのだ。
「なるほどな。そりゃあ助かる」
「さあ、急ぎましょう、バルド! 『3つ目の金の鍵』は確実に手に入れたわ。次は、一度王都の通信局を経由して、レインたちと情報交換よ!」
「ああ、頼んだぜ、俺の相棒!」
迫り来る追っ手の足音と水しぶきを背に、二人は隠し階段へと飛び込み、重い石の扉を内側から固く閉ざした。
イグノタフの執拗な追撃を機転と力で完璧に退けたシエルとバルドは、次なる鍵の行方を求めて、暗い地下水路からの脱出を果たすのだった。




