第4章・第15話:白亜の星室
第4章・第15話:白亜の星室と、三つ目の黄金
巨大な魔獣が水底へと沈んだことで、地下貯水池は再び、耳鳴りがするほどの静寂を取り戻した。
天井からは、何百年という途方もない年月をかけて形成された巨大な鍾乳石が、無数の剣のように垂れ下がっている。その先端から時折滴り落ちる水滴が、「ポチャン……」と孤独な音を立てて、真っ黒な水面に美しい波紋を広げていた。
「すごい……。戦闘中は気がつかなかったけど、ここ、こんなに幻想的な場所だったのね」
シエルは手にした照明用魔導石の光を少し弱め、周囲の景色に感嘆の吐息を漏らした。
ドーム状に広がる巨大な地下空間の壁面には、淡い翡翠色に発光する『ヒカリゴケ』がびっしりと群生していたのだ。
一切の太陽光が届かないはずの絶望的な暗闇を、無数の星屑を散りばめたような青緑色の光のベールが、優しく、そして神秘的に包み込んでいる。
淀んだ水面にもその翡翠色の光が反射し、まるで足元にまで夜空が広がっているかのような錯覚を覚えさせた。
「見とれてる場合じゃねえぞ、お嬢。いつ特務部隊の本隊が追いついてくるかわからねえ。とっととあの扉を開けようぜ」
バルドがバシャバシャと冷たい水音を立てながら、先陣を切って対岸へと歩みを進める。
「わ、わかってるわよ。もう、バルドは本当に風情がないんだから」
シエルも急いでその後を追い、ついに二人は、貯水池の最奥に鎮座する荘厳な『石の扉』の前に降り立った。
近くで見上げるその扉は、周囲の無骨な岩肌や苔むした水路とは、明らかに異質な存在感を放っていた。
素材は、大理石よりもさらに滑らかに磨き上げられた白亜の石材。その表面には、流れる水脈と天体の運行を象った旧時代の幾何学模様が、恐ろしいほどの精度で深く彫り込まれている。
「……見事な意匠ね。それに、カビや苔が一切付着していない。扉の表面に、魔力による強力な自浄作用が施されている証拠だわ」
シエルは白手袋の指先で、ひんやりと冷たい白亜の扉をなぞった。
「で、どうやって開けるんだ? またあの銀の鍵で、無理やりこじ開けるのか?」
「強行突破は、最終手段よ。この遺跡のシステムは『迷いの砂丘』のメインサーバーと繋がっている可能性があるわ。下手に手荒な真似をして、中にある『金の鍵』ごと防衛システムで破壊されたら目も当てられないもの」
シエルは扉の中心――星のレリーフの中央にある、小さな鍵穴のような窪みに視線を落とした。
「このレリーフの配列……王都の図書館で解読した文献にあった『星巡りの水盤』の図と完全に一致するわ。鍵穴に魔力を流し込んで、歯車の回転を星の運行周期と同調させれば、正規の手順でロックを解除できるはずよ」
シエルは懐から『銀色の魔導鍵』を引き抜くと、それを乱暴に突き刺すのではなく、そっと鍵穴に添えるように差し込んだ。
そして、目を閉じて深く深呼吸をする。
「……事象同調。星の導きを、水底に」
シエルのアメジストの瞳が微かに発光し、彼女の指先から、清らかな魔力の波が銀の鍵を通じて扉へと流れ込んでいく。
カチッ……コト、コトコトコト……。
扉の内部から、幾重にも組み合わさった精巧な歯車が、シエルの魔力に呼応して滑らかに回り始める音が響いた。
表面に彫り込まれた幾何学模様が、下から上へと順番に、眩い青色の光を帯びていく。
やがて、すべての模様が完全に光り輝いた瞬間。
ズゴゴゴゴォォォ……ッ!
重々しい石の摩擦音と共に、何百年も閉ざされていた白亜の扉が、左右にゆっくりと開かれた。
「開いたぜ、お嬢! 流石だ!」
「ふふん、これくらい天才プロウォーカーの私にかかれば朝飯前よ」
扉の隙間から溢れ出したのは、カビ臭い地下の空気とは全く違う、清浄でひんやりとした無臭の風だった。
二人は顔を見合わせると、警戒を怠らずに、ゆっくりとその隠し部屋へと足を踏み入れた。
「……こいつは、すげえな」
バルドが思わず感嘆の声を漏らす。
扉の奥に広がっていたのは、外の荒廃した景色からは想像もつかないほど美しく、神聖な空間だった。
足元には、まるで本物の水面を歩いているかのように錯覚するほど、鏡のように磨き上げられた瑠璃色の床タイルが一面に敷き詰められている。
そして見上げれば、ドーム状の天井には色褪せることのない特殊な魔導塗料によって、旧時代の壮大な『星空』が精密に描かれていた。
「すごい……真空状態で保存されていたみたい。時間の流れが、ここだけ完全に止まっていたのね」
シエルは床に反射する星空の光の中を、導かれるように真っ直ぐに進んでいく。
部屋の中央には、純度の高い水晶で造られた美しい円形の祭壇がポツンと置かれていた。
その祭壇の中心で、ふわりと宙に浮いたまま、神々しい光を放っているものがある。
「あったわ……! バルド、見て!」
シエルが駆け寄り、両手で包み込むようにしてそれを受け取った。
『3つ目の金の鍵』。
水上都市で見つけた鍵とはまた違う、水とオアシスを象徴するような美しい意匠。純金で造られた鍵の持ち手部分には、透き通るような大粒のアクアマリンが埋め込まれており、それが優しい青色のオーラを放っていた。
「これで、俺たちの手持ちは三つになったな。残り四つだ」
「ええ。イグノタフの連中より先に回収できて本当に――」
シエルが達成感に満ちた笑みを浮かべた、その時だった。
「――そこまでだ、ネズミ共」
冷酷な男の声が、静寂の星室に響き渡った。
「ッ!?」
二人が弾かれたように振り返ると、開け放たれた白亜の扉の向こう――地下貯水池の対岸に、強烈な魔導ランプの光がいくつも灯っていた。
暗闇の中から次々と姿を現す、黒い外套に身を包んだ数十人の男たち。
その先頭に立つのは、胸元にイグノタフ家の重臣を示す『銀の鷲』の紋章をつけ、両手に禍々しい二丁の魔導銃を構えた、片目の鋭い男だった。
「隊長。先行した斥候部隊の死骸を確認しました」
「やはりな。路地裏で特務部隊を退けたと聞いて警戒して来てみれば……ご丁寧に、扉のロックまで解除して待っていてくれるとは。手間が省けたというものだ」
片目の男が、残忍な笑みを浮かべて銃口をこちらへ向けた。
「あの魔獣の死骸といい、貴様らの実力は認めてやろう。……だが、数十人の精鋭に完全に包囲されて、ここから生きて出られると思うなよ、プロウォーカー」
「……チッ。あの斥候の死体を見た時から嫌な予感はしてたが、随分と大所帯で来やがったな」
バルドが舌打ちをし、シエルを背後へ庇うようにして大きく前に出た。真鍮の義手が、臨戦態勢を告げるようにギリリと低く唸る。
「バルド……」
「安心しな、お嬢。手に入れた鍵は絶対に渡さねえ。ここからが、俺たち相棒の本当の見せ場だ」
清浄な星室に、冷たい殺気が充満していく。
逃げ場のない地下の最深部で、イグノタフの精鋭部隊との絶望的な死闘が、今まさに幕を開けようとしていた。




