第4章・第14話:廃街の探索
中央広場の屋台で腹ごしらえを済ませたシエルとバルドは、容赦なく照りつける太陽の下、アイアン・サントの町を外周へと向かって歩いていた。
華やかな市場や活気ある職人街を抜けると、景色は徐々に荒み始める。
立ち並ぶのは、砂風に削られて崩れかけた土壁の家々。道端には得体の知れないガラクタが山積みにされ、日陰からは虚ろな目をした住人たちが、よそ者である二人を値踏みするように見つめていた。
「……随分と空気が悪いわね。王都のスラム街より酷いかもしれないわ」
シエルは白いフードを深く被り直し、周囲の不穏な視線を遮るようにバルドの大きな背中へと身を寄せた。
「気を引き締めろよ、お嬢。この辺りは『アイアン・サントの掃き溜め』だ。法もへったくれもねえ。……チッ、何見てやがる」
バルドが鋭い眼光で睨みつけ、真鍮の義手をギリリと威嚇するように鳴らすと、影に潜んでいた者たちは蜘蛛の子を散らすように奥へと引っ込んでいった。
「それで、お嬢。俺が裏ギルドで聞いた『旧水路』への入り口だが、この辺りにあるってこと以外、正確な場所まではわからなかった。見当はついてるのか?」
「ええ、任せて」
シエルは足を止め、脳内に記憶したアイアン・サントの町全体の地図を展開した。アメジストの瞳が、プロウォーカーとしての冷徹な演算を開始する。
「旧時代の水路インフラは、重力を利用して町全体に水を巡らせるように設計されているはずよ。だから、入り口となる取水施設やメンテナンス用のハッチは、必ずこの町の『最も標高が低い場所』に集約されている。……つまり、あっちよ」
シエルが迷いなく指差したのは、スラム街の中でもさらに一段低く窪んだ、まるで巨大なすり鉢の底のような区画だった。
迷路のように入り組んだ路地を、シエルのナビゲートに従って進んでいく。
「……おい、お嬢。止まれ」
不意に、バルドがシエルの肩を掴んで足を止めさせた。
彼がしゃがみ込み、砂に半分埋もれていた『何か』を拾い上げる。それは、黒い布の切れ端だった。
「これ……イグノタフの連中が着ていた外套の布ね。ちぎれたばかりだわ」
「ああ。しかも、よく見ろ。この先の地面、複数のブーツの足跡が重なって、奥の行き止まりに向かって続いてやがる」
バルドの言葉にシエルが視線を向けると、路地の突き当たりには、巨大な瓦礫と鉄屑の山が築かれていた。一見するとただのゴミ捨て場だが、足跡は明らかにその瓦礫の山へと吸い込まれている。
「なるほど、巧妙にカモフラージュされているわけね。退いて、バルド。私が『銀の鍵』で一網打尽に――」
「いや、ここは俺に任せな」
バルドはシエルの前に出ると、ニヤリと笑って右腕の外套をバサリと脱ぎ捨てた。
「せっかく親父に最高のメンテをしてもらったんだ。ウォーミングアップにはちょうどいい」
バルドが真鍮の義手の出力レバーを弾く。
ギガガガガッ!!と内部の歯車がけたたましい咆哮を上げ、金属の筋肉が極限まで収縮した。
「オラァァァァッ!!」
バルドの分厚い真鍮の拳が、瓦礫の山に叩き込まれる。
ズガァァァァンッ!!という爆発音と共に、数トンはあるであろう鉄屑とコンクリートの塊が、吹き飛ぶように左右に散らばった。
土煙が晴れた後には、地面に埋め込まれた巨大な『錆びた鉄格子』と、その奥へと続く暗い螺旋階段が姿を現していた。
「……本当に、相変わらず無茶苦茶なパワーね。メンテの効果はバッチリみたいじゃない」
「ハッ、だろ? さあ、特等席へご案内だぜ、お嬢」
二人は顔を見合わせると、躊躇うことなくその暗闇の階段へと足を踏み入れた。
頭上から照りつけていた暴力的なまでの太陽の熱は、地下へ続く螺旋階段を下るにつれて、嘘のように消え去っていった。
「……ううっ、寒い。それに、カビとヘドロの匂いがすごいわね。さっきまでのスラムの暑さが恋しくなるくらいよ」
シエルは身震いしながら、肩を抱きしめた。
彼女の手には、周囲を青白く照らす拳大の『照明用魔導石』が握られている。その光が映し出すのは、果てしなく続く石造りの水路と、壁を覆い尽くす分厚い緑色の苔だった。
「文句を言うな、お嬢。砂漠の夜よりはマシだろ。……それにしても、ここは気味が悪いくらい静かだな」
バルドは真鍮の義手を軽く鳴らしながら、シエルの半歩前を慎重に進んでいく。
水路の底には、足首が浸かる程度の冷たい地下水がサラサラと流れていた。
かつてはこの町全体に水を供給していた旧時代の巨大なインフラ施設だったのだろうが、今は完全に放棄され、魔獣たちの棲家になっているという。
「……バルド、見て。あそこ」
不意に、シエルが照明の光を前方の壁際へ向けた。
光の先には、黒い外套を着た男がうつ伏せに倒れていた。
ピクリとも動かない。その背中には、鋭利な刃物で切り裂かれたような深い傷跡が三本、生々しく刻まれている。
「イグノタフの特務部隊……先遣隊の斥候ってところか。まだ死後数時間ってところだな」
バルドが死体を検分し、鋭い視線を暗闇の奥へ向けた。
「どうやら、俺たちがギルドで聞いた『黒い外套の集団』ってのは、既にこの奥へ進んでいるみたいだな。しかも、ただの探索じゃねえ。この傷……相当ヤバい魔獣とやり合った痕だぜ」
「……イグノタフの連中も、この奥にある『3つ目の金の鍵』を狙っているのは確実ね。急ぎましょう。あいつらに鍵を渡すわけにはいかないわ」
シエルはアメジストの瞳に強い決意を宿し、冷たい水の中をザブザブと進み始めた。
それから数十分ほど、入り組んだ水路の迷路を抜けると、ふいに視界が開けた。
そこは、ドーム状の天井を持つ巨大な地下貯水池だった。中央には真っ黒で淀んだ湖のような水場が広がり、その対岸には、荘厳な装飾が施された『石の扉』が鎮座している。
「お嬢、あれを見ろ! あの扉の意匠……間違いない、旧時代の遺跡だ!」
「ええ! きっとあの奥に『3つ目の金の鍵』が……」
シエルが対岸へ向かって一歩を踏み出そうとした、その時だった。
――ボコッ、ボコボコボコッ!!
静寂を破り、巨大な貯水池の水面が突如として激しく沸騰し始めた。
いや、沸騰しているのではない。水底から『巨大な何か』が浮上してきているのだ。
「お嬢、下がれッ!!」
バルドが咄嗟にシエルを背後へ突き飛ばす。
直後、水柱を上げて姿を現したのは、体長五メートルを超える巨大な甲殻の魔獣だった。
水晶のように透明で硬質な装甲。そして、大木すらへし折るであろう、巨大な二つのハサミ。
『水魔獣クリスタル・シザース』。旧水路の最深部に巣食い、近づく者を無差別に切り裂く水底の守護獣だ。
「シャァァァァァァッ!!」
魔獣が耳をつんざくような威嚇音を上げ、右の巨大なハサミをバルドへ向けて振り下ろした。
空気を切り裂く風圧。まともに食らえば、屈強なバルドでさえ両断されかねない一撃。
しかし、バルドは一歩も引かなかった。
「ハッ、ちょうどいい準備運動だ! 今朝メンテしたばかりの俺の右腕(相棒)、その切れ味を試させてもらうぜ!!」
バルドは真鍮の義手の出力レバーを親指で弾き、最大出力で振り下ろされるハサミを正面から迎え撃った。
ガギィィィィィンッ!!!
激しい金属音が地下空間に反響し、火花が散る。
老職人の完璧なメンテナンスによって、砂漠の砂を噛んでいた不具合は完全に消え去っている。義手の内部で幾重にも噛み合う歯車が、狂いなく極限のパワーを叩き出し、魔獣のハサミを力で押し返し始めたのだ。
「ギ、ギィィッ!?」
魔獣は右のハサミを抑え込まれながらも、今度は空いた左の巨大なハサミを大きく振り上げた。狙いは、バルドの背後にいるシエルだ。
「お嬢、危ねえッ!」
「心配無用よ! 私の戦場で、地の利を活かさない手はないわ!」
シエルは迫り来る左のハサミから軽やかにバックステップで距離を取ると、アメジストの瞳で地下空間全体を瞬時にスキャンした。
目に入ったのは、魔獣の真上、天井を這うように設置されている旧時代の巨大な『魔導送水管』。
水圧を制御するための鋼鉄のバルブが、長年の錆で強固に固着しているのが見える。
「そこね! ――事象解除!!」
シエルは手にした『銀色の魔導鍵』を虚空に突き出し、力強くひねった。
バツンッ!!
シエルの魔力が旧時代のシステムに干渉し、物理的な結合を強制解除された巨大バルブが、内側からの凄まじい水圧に耐えきれずに弾け飛ぶ。
「シャギィッ!?」
次の瞬間、送水管の中に何百年も圧縮されていた高圧の地下水が、まるで巨大な滝のように魔獣の頭上へと直撃した。
突然の猛烈な水圧に脳天から叩きつけられ、魔獣の体勢が大きく崩れる。
「流石ね、バルド! 今のうちに……って、まだよ!」
水圧で体勢を崩しながらも、魔獣の水晶装甲は傷一つついていない。だが、シエルの狙いは最初から『直接ダメージを与えること』ではなかったのだ。
「あの水晶の装甲は硬すぎるわ……でも、これで全身ズブ濡れよ! 関節部分の水滴には、たっぷりと隙ができたわ!」
シエルは魔獣の足元――滝のような水柱を浴びて、すべての装甲の隙間が水浸しになった関節部分に向けて、銀の鍵を再び突き出した。
「――事象凍結!!」
カチンッ!
澄んだ音と共に、青白い魔力陣が魔獣の巨体を包み込む。
その瞬間、魔獣の関節に入り込んでいた大量の水分が、物理法則を無視して『絶対零度の氷』へと事象変換・凍結された。
「シャ、シャギィィッ!?」
突如として全身の関節を氷の楔で完全にロックされた魔獣は、ピタッと動きを止め、バランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。
「ナイスだ、お嬢! その周りくどい小賢しさ、最高に助かるぜ!!」
バルドは拮抗していたハサミを弾き飛ばすと、肩のスパナを引き抜き、義手の全出力をそこへ乗せた。
ギガガガガガッ!! と、暴走寸前の歯車が限界の咆哮を上げる。
「オラァァァァッ!! 砕け散りな!!」
バルドの渾身のフルスイングが、身動きの取れない魔獣の頭部を覆う水晶装甲に直撃した。
パァァァァンッ!!!
ガラスの砕けるような美しい音と共に、強固な水晶装甲が粉々に吹き飛ぶ。
急所を完全に破壊された魔獣は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、巨大な水しぶきを上げて貯水池の底へと沈んでいった。
「……ふぅ。一丁上がりだ」
バルドは肩で息をしながらスパナを担ぎ直し、義手の熱を冷ますように息を吹きかけた。
「完璧な連携ね。王都にいるレインにも見せてあげたかったわ」
シエルも銀の鍵をくるりと回して懐へしまうと、得意げに微笑んだ。
魔獣の脅威が去り、再び静寂を取り戻した地下空間。二人の視線の先には、水をたたえた貯水池の対岸で静かに眠り続ける、荘厳な『石の扉』があった。
「さあ、お嬢。いよいよお宝の拝絹といくか」
「ええ。この奥にあるのは、間違いなく『3つ目の金の鍵』。イグノタフの連中が追いついてくる前に、私たちがいただくわよ!」
冷たい水路を乗り越えた二人は、いよいよ遺跡の最深部――隠された封印の扉へと歩みを進めるのだった。




