第4章・第13話:機械腕の流儀と、誇り高き相棒
脳髄を直接ハンマーで殴られているような、酷い頭痛だった。
容赦のない砂漠の太陽が、宿屋の薄い布カーテンを通り抜けて、俺の顔面をジリジリと焼いている。
「……ッ、痛てぇ……」
ベッドから身を起こすと、右腕の真鍮の義手が、油の切れたような軋む音を立てた。
昨夜、砂丘から生還した安堵感と、町の連中の陽気な空気に飲まれすぎた。行商人のオッサンたちのペースに付き合って、樽ごと果実酒を空けたのが間違いだった。
だが、俺以上にヤバいのが、隣の部屋で寝ているはずの「お嬢」だ。
あいつは甘い果実酒をジュースだと勘違いして、水のようにガブ飲みしていた。王都の温室育ちのお嬢様には、砂漠の酒は毒に等しい。
「……おいお嬢、生きてるか。ほら、地下水で冷やした水だ。飲んでシャキッとしな」
部屋に入ると、案の定、お嬢はベッドの上で毛布にくるまり、芋虫みたいに丸まって低い呻き声を上げていた。
普段はツンケンして大人ぶっているくせに、こういう時は本当にただの小娘にしか見えない。
「……バルドこそ、足元ふらついてるじゃない。機械の右腕まで、油が切れたみたいにギシギシ鳴ってるわよ」
毛布から這い出してきたお嬢は、俺の渡した水袋を両手でひったくると、喉を鳴らして飲み干した。
俺は軽く悪態をつきながら、内心で少しだけ反省していた。王都で命がけの盤面を動かしているレインの坊主に「シエルの背中は俺に任せろ」と大見得を切っておきながら、二日酔いでダウンさせてどうする。
だが、俺のそんなちっぽけな心配は、数秒後には見事に裏切られることになる。
「効率よく情報を集めるために、今日は二手に分かれましょう。バルドは職人街や裏ギルド、酒場を中心に荒くれ者から情報を集めて。私は市場や居住区を回って、商人や町民から『金の鍵』や怪しい遺跡の噂を洗い出すわ」
両手でパンッと頬を叩いた瞬間、お嬢の顔つきが劇的に変わったのだ。
さっきまでの酔っ払った小娘の顔はどこにもない。そこにあったのは、アメジストの瞳に冷徹な知性を宿した、一流の『プロウォーカー』の顔だった。
(……ハッ。こりゃあ、俺が心配するだけ野暮ってやつか)
「何かヤバいことになりそうなら、すぐに通信機で呼べよ。絶対に無理すんじゃねえぞ」
そう忠告する俺に、お嬢は「自分の身くらい自分で守れるわ」と鼻で笑ってみせた。
その頼もしい小さな背中を見送った後、俺はまず自分の機械腕の悲鳴を止めるため、町の西側にある『職人街』へと足を向けた。
立ち並ぶ工房からは、朝からけたたましい槌音と、魔導炉の熱気が吐き出されている。むせ返るような鉄と機械油の匂いが、不思議と俺の頭痛を和らげてくれた。
俺は目当ての看板――歯車とスパナが交差した紋章が描かれた、古びたからくり工房の扉を蹴り開けた。
「邪魔するぜ。ちょっと急ぎのメンテを頼みたい」
「……朝っぱらから騒々しい野郎だ。どこの馬の骨かと思えば、随分と年代物の義手をつけてやがるな」
奥から顔を出したのは、油まみれの分厚い前掛けをした、筋骨隆々の白髭の老職人だった。
俺がカウンターに真鍮の右腕を乗せると、親父は面倒くさそうな顔を一変させ、職人の目になって工具箱を持ち出してきた。
「こいつはひでえ。砂漠の砂が関節部に噛んでやがるし、駆動油もすっからかんだ。昨日、よっぽど無茶な使い方をしたんだろ」
「まあな。命からがら、迷いの砂丘から逃げ帰ってきたところだ」
「そりゃあご苦労なこった。じっとしてな」
親父が手際よく装甲カバーを外し、細かい砂をエアで吹き飛ばして、特上の駆動油を関節の隅々にまで注ぎ込んでいく。
チャキ、カチリ。
滑らかな歯車の噛み合う音が戻り、腕の重さがスッと消える。完璧な仕上がりだ。
「流石は本職だな。……ついでに聞きたいんだが、この辺りで『黄金の鍵』、あるいは怪しい遺跡の噂を聞かないか?」
俺がメンテ代に色をつけて銀貨を数枚、作業台に滑らせると、親父は油を布巾で拭きながらゆっくりと首を振った。
「俺たち職人が扱うのは、鉄と魔導石だけだ。お伽話の鍵なんて知らねえよ。……だが、妙な遺跡の噂なら別だ」
「ほう?」
「最近、柄の悪いよそ者がこの町を嗅ぎ回ってる。そいつらが欲しがってる情報なら、堅気の俺たちじゃなく、裏の連中が握ってるはずだ。……南の路地裏にある、カビ臭い地下酒場に行ってみな。命の保証はしねえがな」
「上等だ。釣りは取っときな、親父」
快調に動くようになった右腕の歯車を鳴らし、俺は工房を後にした。
親父の言葉通りに向かった先――アイアン・サントの裏ギルドが巣食う地下酒場は、昼間だというのにカビと安酒、それに紫色の煙草の匂いが充満していた。
「……なんだぁ、お前? 見ねえ顔だな」
カウンターの奥でふんぞり返っていた、顔に大きな傷のある男――この辺りの顔役が、俺を見るなり面倒くさそうに片目を細めた。
周囲のテーブルでカードゲームをしていたゴロツキどもが、一斉に立ち上がり、俺を囲むように立ち塞がる。
「悪いな、少し尋ね人だ。この辺りで『黄金の鍵』、あるいは古い遺跡に関する妙な噂を聞かなかったか?」
俺は懐から銀貨を数枚取り出し、カウンターに放り投げた。
チャリン、と軽い音が響く。だが顔役の男は、その銀貨を鼻で笑って床に叩き落とした。
「帰れ帰れ。ここはてめえみてえな堅気が来る場所じゃねえ。それとも何か? この町で商売する『みかじめ料』を、その腕ごと置いていくってんなら話は別だがな」
ゴロツキの一人がニヤニヤと笑いながら、俺の右肩を小突いてきた。
俺は深くため息をつくと、その男の手首を、隠していた右腕の外套越しにガシリと掴んだ。
「あぁ? なんだ、反抗する気――」
男の言葉は、最後まで続かなかった。
俺は職人にメンテしてもらったばかりの、真鍮の義手の出力レバーを親指で弾いた。ギガガガガッ!! と、内部の歯車がけたたましい咆哮を上げる。
メキッ、と骨の軋む鈍い音が響いた。
「ギャアアアアッ!?」
悲鳴を上げる男の胸ぐらを鷲掴みにし直すと、そのまま片腕で天井近くまで軽々と吊り上げた。
「おいおい、さっきまでの威勢はどうした? 俺は気が短いんだ。知ってることを全部吐くか、それともこのまま天井の梁とお友達になるか、三秒で選べ」
「や、やめろ! 撃て! そいつを撃ち殺せ!!」
顔役の男が叫び、周囲のゴロツキどもが慌てて魔導銃を構えようとする。
だが、遅い。
俺は吊るし上げていた男をボウリングのピンのように投げ飛ばし、銃を構えようとした連中ごとまとめて壁に激突させた。
メキィッ! という壁が割れる音と共に、数人の男が一瞬で沈黙する。
俺は砂埃を払いながら、腰を抜かして震える顔役の男の前に歩み寄った。
そして、逃げようとする男の頭部を、真鍮の分厚い掌でガシリと鷲掴みにした。
「ヒィッ……!?」
「さて、残るはお前だけだ。今から俺の義手の歯車を一段階ずつ上げていく。てめえの頭蓋骨が、熟れた砂漠の果実みたいにグチャリと弾け飛ぶ前に、知ってることを全部吐きな」
ギリ、ギリリ……ッ。
真鍮の指先が万力のように締め上げられ、男のこめかみに容赦なく食い込んでいく。
金属の圧倒的な質量と、駆動部から発せられる熱が、男に死の恐怖を直接叩き込む。
「あ、がああっ……! 待て、待ってくれ! 潰れる、頭が潰れるゥッ!」
「俺は『黄金の鍵』か、怪しい遺跡の噂について聞いたんだ。三秒だ。一、二……」
ギリリリリッ!!
さらに一段階、出力を上げる。
「い、言う! 言うから離してくれェェッ!!」
男は涙と鼻水を流しながら、悲鳴まじりにまくしたてた。
「か、鍵のことは知らねえ! だが、数日前に黒い外套を着たよそ者の集団が、大金を積んで町の地下にある『旧水路』の地図を買い漁っていったんだ! あそこは魔獣の巣窟で、誰も近づかねえカビ臭い場所だってのに……! ほんとだ、嘘じゃねえ!!」
「……黒い外套の集団ね。なるほど、イグノタフの連中か」
俺はギリリと鳴っていた歯車の回転を止め、男の頭から手を離した。
男は床に崩れ落ち、頭を抱えながらぜえぜえと激しく咳き込んでいる。
パズルのピースは揃った。これ以上の長居は無用だ。
太陽が真上に昇る頃。
待ち合わせ場所に指定していた中央の噴水広場に、お嬢の姿が現れた。
「おう、お嬢。随分と遅かったじゃねえか。……なんだか、朝よりスッキリした顔してんな?」
俺は怪訝に思って尋ねた。
二日酔いで足元がおぼつかなかったはずの彼女が、まるで極上のスパにでも行ってきたかのように、清々しい顔で歩いてきたからだ。
「ええ、ちょっと路地裏で『ゴミ掃除』をしてきたら、二日酔いも吹っ飛んだわ」
お嬢はこともなげにそう言って、スカートの裾を優雅に払った。
その言葉の裏にある意味を理解した瞬間、俺は思わず口角が上がるのを止められなかった。
「ゴミ掃除? ……ハッ、なるほどな。またイグノタフの連中が湧きやがったか」
おそらく、俺が裏ギルドでゴロツキどもを締め上げていたのと同じ頃、彼女もまたイグノタフの追っ手――それも、おそらく完全武装した特務部隊に襲撃されていたのだろう。
だが、彼女の服には焦げ跡一つ、かすり傷一つついていない。
前衛である俺の壁がなくても、彼女はあの『銀色の魔導鍵』一つで、複数の暗殺者を完璧に返り討ちにしてのけたのだ。
(……本当に、とんでもねえ化け物だぜ、うちのお嬢様は)
王都の学園でレインの坊主が、どれだけこの小娘の知略と実力を信頼していたか。その理由が、痛いほどよくわかった。
彼女は守られるだけのか弱い姫君なんかじゃない。自らの手で運命を切り拓く、本物の天才プロウォーカーだ。
「俺がいなくても無事だったってことは、流石は俺の自慢の相棒だ。前衛の足元にも火がつくぜ」
俺は素直な称賛と、ほんの少しの悔しさを込めて、彼女の頭をポンと無骨な手で撫でた。
「当然でしょ。それより、そっちの収穫はどうだったの?」
ふんぞり返るお嬢に、俺は裏ギルドで得た『旧水路』の情報を伝えた。
お嬢が市場で集めた情報と完璧に合致したことで、次なる目的地は完全に定まった。
「よし、なら次の目的地は地下水路で決まりだな! 飯を食ったらすぐに出発だ!」
太陽の光を浴びてアメジストの瞳を輝かせる相棒の隣で、俺は万全の状態に仕上がった義手の歯車をカチリと鳴らした。
この先、どれだけ危険なギミックが待っていようと、どれだけイグノタフの追っ手が湧こうと関係ない。
この誇り高き相棒の背中を守り抜くこと。それが、俺の新しい流儀だ。




