第4章・第12話:二日酔いの朝と、銀光の路地裏
翌朝。容赦のない砂漠の太陽が、宿屋の薄い布カーテンを透かして強烈な熱線を部屋に投げ込んでいた。
「……ううっ、頭がガンガンするわ……太陽が眩しすぎる……」
シエルはベッドの上で毛布を頭からすっぽりと被り、芋虫のように丸まりながら低い呻き声を上げていた。
昨夜、死と隣り合わせの『迷いの砂丘』から生還した解放感と、アイアン・サントの町民たちのあまりにも陽気な空気に飲まれ、二人は完全に羽目を外してしまっていた。
「甘くて飲みやすい果実酒」という言葉に騙されてジョッキを煽り続けた結果が、この凄まじい二日酔いである。
「……おいお嬢、生きてるか。ほら、地下水で冷やした水だ。飲んでシャキッとしな」
部屋の木の扉が軋む音と共に開き、バルドが頭を片手で押さえながら入ってきた。強靭な肉体を持つ彼でさえ、いつもより顔色が悪く、目の下にはうっすらと隈ができている。
「……バルドこそ、足元ふらついてるじゃない。機械の右腕まで、油が切れたみたいにギシギシ鳴ってるわよ」
シエルは毛布からモゾモゾと這い出し、バルドから受け取った革の水袋を両手で持って、ゴクゴクと喉を鳴らした。冷たい水が荒れた胃の腑に落ちていき、熱を持った脳がようやく少しだけクリアになる。
「うるせえ。あの行商人のオッサンたちの恐ろしいペースに巻き込まれた俺が馬鹿だったんだ。……まったく、二十歳のプロウォーカー様も、酒の耐性はまだまだヒヨッコだな」
「うっさい! あんなにジュースみたいに甘いお酒、王都の学園にはなかったんだから仕方ないでしょ! 計算外よ!」
シエルはぽんぽんに膨らませた頬を押さえながら抗議したが、自分の大声が頭に響いて顔をしかめた。
「まあいい。……時間は有限だ、お嬢。王都じゃレインの坊主やエレナの嬢ちゃんが、命がけでイグノタフの連中を抑え込んでる。俺たちも、早く残り五つの『金の鍵』を見つけ出さねえとな」
「ええ、わかってるわ」
シエルは両手でパンッと自分の頬を叩き、気合を入れる。
その瞬間、昨夜までの「酔っ払った少女」の顔は消え去り、一流のプロウォーカーとしての冷徹な知性がアメジストの瞳に戻った。
「効率よく情報を集めるために、今日は二手に分かれましょう。バルドは職人街や裏ギルド、酒場を中心に荒くれ者から情報を集めて。私は市場や居住区を回って、商人や町民から『金の鍵』や怪しい遺跡の噂を洗い出すわ」
「おう、わかった。だが、イグノタフの追っ手がいつ湧いて出るかわからねえ。前衛の俺がいないんだ、何かヤバいことになりそうなら、すぐに通信機で呼べよ。絶対に無理すんじゃねえぞ」
「ふふん、誰に言ってるの? 自分の身くらい自分で守れるわ」
身支度を整えた二人は、宿屋の前で拳を軽く突き合わせると、それぞれの目的地へと別れていった。
強い日差しが降り注ぐ中、シエルは市場の裏通りを歩いていた。
二日酔いの頭痛を堪えながらも、彼女は一切の隙を見せず、商人や地元の老人たちに声をかけ、時には銀貨を握らせて巧みに情報を引き出していく。
「黄金の鍵? さあ、そんなものは見かけねえなぁ……。でも、東の『風鳴りの谷』で、最近妙な発光現象が起きてるって噂なら聞いたぜ」
「少し前に、黒い外套を着たよそ者の集団が、この町の地下にある『旧水路』の地図を買い漁ってたねぇ。あんな薄暗い場所に何があるっていうんだか……」
断片的な情報を繋ぎ合わせ、シエルの頭脳が高速で次の目的地を演算していく。
――その時だった。
周囲の商売人たちの喧騒が、不自然なほどスッと遠ざかった気がした。
色鮮やかな日よけの布幕が頭上を覆う、入り組んだ薄暗い路地裏。シエルの前後の退路を塞ぐように、音もなく複数の人影が現れた。
「――見つけたぞ、プロウォーカー。今日はあのデカブツの相棒は一緒ではないようだな」
黒い外套に身を包んだ屈強な男たち。その胸元には、イグノタフ家の紋章が鈍く光っている。昨日退けた追っ手の別動隊、あるいは彼らが合流しようとしていた本隊の先遣隊だろう。
「……イグノタフの犬ね。朝からご苦労なこと。ちょうど二日酔いで機嫌が悪かったところなのよ」
シエルは一切の動揺を見せず、アメジストの瞳を冷たく細めた。
「強がるな。いくら貴様が天才だろうと、前衛なしで我々特務部隊の包囲を抜けられるはずがない。大人しく『銀の鍵』を渡せば、命だけは――」
「前衛がいないと、私が無力だとでも?」
シエルの唇が、不敵な弧を描く。
彼女は流れるような動作で懐へ手を差し入れ、一筋の光を引いて『銀色の魔導鍵』を引き抜いた。
「撃てッ!!」
男たちが一斉に魔導銃を構え、引き金を引いた。
銃口の魔力陣が展開し、空気を焼き焦がすような鋭い音と共に、高圧縮の魔力弾が四方八方からシエルへと殺到する。常人ならば反応すらできない速度。
「――事象凍結!!」
カチンッ!
シエルが銀の鍵を虚空でひねった瞬間、絶対的な静寂が路地裏を支配した。
彼女の周囲の空間そのものが、青白い幾何学模様の陣に覆われる。直前まで凄まじい熱量と速度を持っていたすべての魔力弾が、シエルの鼻先わずか数センチの空中で、ピタリと静止したのだ。
弾丸に込められた致死のエネルギーが、行き場を失ってブルブルと空中で震えている。
「なっ……魔力弾が、空中で止まっただと!?」
物理法則を完全に無視した光景に、驚愕で足を止めた男たち。
しかし、シエルの戦術は「防御」だけでは終わらない。
「私の戦術は、バルドを壁にするだけじゃないのよ。――そこ、退きなさい!」
シエルは凍結した魔力弾の隙間を優雅なステップで縫うように駆け抜けると、路地の壁面に高く積み上げられていた、巨大な木箱の山へ向けて銀の鍵を突き出した。
木箱は太い鋼鉄のワイヤーで厳重に固定されている。
「事象解除!!」
バツンッ!!
シエルが鍵をひねると、鋼鉄のワイヤーを繋ぎ止めていた物理的な結合事象が「解除」され、けたたましい音を立てて弾け飛んだ。
バランスを失った数トンにも及ぶ積荷の山が、雪崩のように右翼の男たちの頭上へ降り注ぐ。
「ぐわああっ!?」
「うおおっ、避けろ――ッ!」
木箱の下敷きになり、鈍い音と悲鳴が路地裏に響き渡る。
混乱に陥る残りの男たち。しかし、彼らが体勢を立て直すよりも早く、シエルは空中に静止したままの魔力弾の背後へと回り込んでいた。
「さらに、おまけよ! 自分の撃った弾の味、存分に味わいなさい!」
シエルは、ブルブルと震える魔力弾に向けて鍵を突き出し、今度は逆方向へ強くひねる。
「アンロック!!」
静止させられていた魔力弾のベクトルが強制的に反転・解放される。
圧縮されていたエネルギーは撃ち出された時よりもさらに増幅され、逆流する光の矢となって男たち自身へと襲いかかった。
ズガァァァァンッ!!
路地裏に強烈な爆発が巻き起こり、凄まじい衝撃波が砂埃を巻き上げた。
数秒後、土煙が晴れた後には、壁は吹き飛び、気を失って折り重なるように倒れたイグノタフの特務部隊の姿だけが残されていた。
誰一人として、シエルの指一本にすら触れることはできなかった。
「……ふぅ。いい運動になったわ。おかげで頭痛もスッキリしたみたい」
シエルは手の中で銀の鍵をくるりと回して懐へしまうと、スカートの裾に少しだけかかった砂を優雅に払い落とし、倒れた男たちを一瞥もせずに路地を後にした。
太陽が真上に昇る頃。
待ち合わせ場所に指定していた中央の噴水広場へ向かうと、そこには既にバルドが腕を組んで待っていた。
「おう、お嬢。随分と遅かったじゃねえか。……なんだか、朝よりスッキリした顔してんな?」
バルドが怪訝そうに眉を寄せる。
「ええ、ちょっと路地裏で『ゴミ掃除』をしてきたら、二日酔いも吹っ飛んだわ」
「ゴミ掃除? ……ハッ、なるほどな。またイグノタフの連中が湧きやがったか。俺がいなくても無事だったってことは、流石は俺の自慢の相棒だ。前衛の足元にも火がつくぜ」
バルドはニヤリと不敵に笑い、シエルの頭をポンと無骨な手で撫でた。
「当然でしょ。それより、そっちの収穫はどうだったの?」
「ああ、バッチリだぜ。裏ギルドの顔役に少しばかり『物理的な交渉』をして聞き出した。この町の地下深く、旧水路の奥に、怪しい扉が隠されてるらしい。誰も近づかないようなカビ臭い場所だ」
バルドの言葉に、シエルの脳内で先ほど集めた情報がピタリと合致した。
「ビンゴね。私が聞いた情報でも、イグノタフの連中が地下水路の地図を買い漁ってたそうよ。間違いなく、そこに『3つ目の金の鍵』の手がかりがあるわ」
「よし、なら次の目的地は地下水路で決まりだな! 飯を食ったらすぐに出発だ!」
王都からの執拗な追跡を、鮮やかな戦術で単独突破してみせたシエル。
過酷な砂漠の地下深く、冷たい水が流れる旧水路に眠る次なる謎へ向けて、二人は再び歩みを進めるのだった。




