第4章・第11話:華やかな夜の町
昼間のすべてを焼き尽くすような熱波が嘘のように、夜の『アイアン・サント』は華やかな活気に包まれていた。
砂漠を渡ってきた行商人のキャラバンが、色とりどりのガラス細工のランタンを町のあちこちに灯している。メインストリートには所狭しと屋台が立ち並び、香ばしく焼ける肉の匂いや、強烈なスパイスの香りが夜風に乗って漂っていた。
「兄ちゃん、いい砂漠蛇の串焼きがあるぜ! 砂丘を歩くなら精をつけていきな!」
「こっちの果実酒はどうだい! 冷えたやつを樽で開けたばかりだよ!」
「ちょっと! 値切るんじゃないよ、この赤スパイスは南のオアシスから魔獣の群れを抜けて、命がけで運んできたんだからね!」
「ガハハ! ならその命の値段、銅貨三枚で買わせてもらおうじゃねえか!」
あちこちに張られたテントや路地裏の居酒屋では、商人と傭兵たちの豪快な笑い声や、威勢の良い値切りの声が交差している。過酷な砂漠の環境だからこそ、人々は夜の訪れを心から祝福し、享楽に身を委ねるのだ。
「ほら、道空けな! ぶつかるぞ!」
そんな喧騒の中を、迷いの砂丘から無事に帰還した二人の姿があった。
バルドが巨体を揺らして人混みをかき分ける。酒の入った荒くれ者の傭兵たちが「なんだぁデカブツ?」と絡みそうになるが、彼の鋭い眼光と、鈍く光る真鍮の義手を見て、慌てて道を譲っていく。
「ヒィッ……あ、ああ、通れ通れ!」
「チッ、なんだあのゴツい義手の男……。背中に女なんか背負ってやがるぞ」
ひそひそと囁き交わす町民たちの視線を他所に、シエルはバルドの広い背中におんぶされたまま、トロンとした目で周囲の屋台を眺めていた。
強固な防壁プログラムを銀の鍵で部分的にハッキングし続けた反動で、彼女の魔力と体力は限界近くまで消耗しきっていたのだ。
「……ふわぁ。なんか、すっごくいい匂い……」
「おいシエル、あんまり背中でモゾモゾ動くんじゃねえよ」
バルドが少しだけ早口になって、低く唸るように言った。普段は「お嬢」と呼ぶ彼が、珍しく名前で呼んでいる。
「だって……バルドの背中、ゴツゴツしてて寝心地が悪いのよ。それに、真鍮の義手がひんやりしてて……ちょっと寒いの」
シエルは文句を言いながらも、無意識のうちに温もりを求めて、バルドの首筋にギュッと頬をすり寄せ、胸を背中に強く密着させた。
「ばっ……! だから、そんなにくっつくな! ったく、お前は無防備すぎるんだよ」
バルドの褐色の頬が、ランタンの灯りのせいだけではなく、ほんの少し赤く染まる。
彼は大きく咳払いをすると、呆れたような、それでいて少し困ったような声を出した。
「いいか、お前は一応、二十歳の立派な女なんだからな。いくら相棒とはいえ、こんなに無防備にくっつかれたら、俺だって狼になっちまうぞ」
「……狼?」
シエルは背中の上で、きょとんと首を傾げた。
「何言ってるの、バルド。あんたは人間でしょ。それに、この町に狼型の魔獣なんて出るの? 昼間はそんなの全く見かけなかったけど」
「……は?」
「もし狼が出たとしても、バルドの背中なら安全でしょ。最悪、私が銀の鍵でカチンと事象凍結してあげるから、安心して屋台まで進みなさい」
シエルは得意げにフンスと鼻を鳴らし、バルドの背中をポンポンと叩いた。
その純度百パーセントの的外れな返答に、バルドは思わず歩みを止めた。
「……お前、マジで言ってんのか?」
「何がよ」
「……いや。お前、頭の回転は学園の秀才並みにキレるくせに、そういう俗なことにはとことん疎いんだな。没落したとはいえ、大事に育てられた箱入りのお嬢様だったってのは本当らしい」
バルドはやれやれと深い深いため息をつき、空を見上げた。自分が一瞬でもドギマギしてしまったことが、酷く馬鹿らしく思えてきたのだ。
「ちょっと、どういう意味よ! 私のこと子供扱いしてるでしょ! 私はもう二十歳の――」
「はいはい、立派な大人で一流のプロウォーカー様だろ。わかってるよ。ほら、着いたぜ。美味そうな肉を焼いてる屋台だ。腹減って死にそうなんだろ?」
「あ……」
シエルの抗議の言葉は、目の前の屋台から漂ってきた極上の匂いによって一瞬でかき消された。
鉄板の上では、厚切りの肉が特製の甘辛いタレと絡み合い、ジュージューと暴力的なまでの音を立てている。
「おじさん! そのお肉、一番大きいのを二つ! あと、冷たい果実ジュースも!」
シエルはバルドの背中からヒラリと飛び降りると、さっきまでの疲労も忘れて、アメジストの瞳をキラキラと輝かせてカウンターに身を乗り出した。
「おっと、元気のいいお嬢ちゃんだ! 今日は特別にデカい『砂漠牛』の厚切り肉だぜ! 兄ちゃんも座席はそこを使いな!」
恰幅の良い店主が陽気に笑いながら、布巾で丸太の椅子を拭いてくれる。
すると、隣でジョッキを傾けていた赤ら顔の行商人が、シエルを見てニカッと笑いかけてきた。
「お嬢ちゃん、随分とべっぴんさんだねぇ! 砂まみれってことは、南の砂丘のほうから帰ってきたのかい? あそこはすぐ迷っちまうから、素人は近づかない方がいいぞ!」
シエルは果実ジュースを受け取ると、肉を待ちながら得意げに胸を張った。
「ふふん、私をただの素人だと思わないでよね。私たちはプロウォーカーよ! 『迷いの砂丘』の無限ループの仕掛けなんて、私の銀の鍵にかかればあっという間に解除なんだから!」
「ははは! そりゃすげえ、こりゃあ頼もしいお嬢ちゃんだ! おい皆、プロウォーカー様の無事の帰還に乾杯といこうじゃねえか!」
行商人が上機嫌にジョッキを掲げると、周囲の屋台の客たちも「乾杯!」「お嬢ちゃんに乾杯!」とドッと湧き上がり、あちこちで木製のジョッキがぶつかり合う陽気な音が響いた。
「フッ……まあ、今は腹ごしらえが先だな」
バルドも隣に腰を下ろし、義手で硬貨を弾いて店主に渡した。
「ほら、おっさん。釣りはとっときな」
「まいどあり! さあ、焼きたてだ、火傷すんなよ!」
受け取った分厚い肉にシエルが勢いよくかじりつき、至福の表情を浮かべる。
「んんっ……美味しい! さあバルド、お肉を食べたら、この酒場のみんなから残り『五つの鍵』の情報を洗いざらい聞き出すわよ! 二十歳のプロウォーカー様の華麗な交渉術、見せてあげるんだから!」
「当然だ。お兄ちゃんの記憶のためにバリバリ働いてもらうぜ」
夜の喧騒に包まれたアイアン・サント。
豪快な町の人々の笑い声と、美味しいご飯。頼れる相棒との、少しだけ噛み合わないやり取り。
過酷な砂丘を越えた二人の夜は、賑やかに、そしてどこか温かく更けていくのだった。




