第4章・第9話:迷いの砂丘
イグノタフの末端部隊を鮮やかに退けたシエルとバルドは、市場の老婆から得た言葉を頼りに、南に広がる禁忌の砂漠――『迷いの砂丘』へと足を踏み入れていた。
「……暑い。王都の魔導温室とはレベルが違うわね。空気が熱線そのものだわ」
シエルは眩しい太陽光を遮るように、白いフードを目深に被りながら額の汗を拭った。衣服の隙間から入り込む熱風が、アメジスト色の髪を容赦なく揺らす。
「泣き言を言うなよ、二十歳のプロウォーカー様。だが……確かにこの砂丘の気流は異常だ。さっきから風の向きと砂の流れが完全に逆行してやがる。まるで巨大なすり鉢の底へ、俺たちを引きずり込もうとしてるみたいだな」
バルドが大きな革ブーツでザクザクと砂を踏みしめながら、警戒するように右腕の真鍮の義手をギリリと鳴らした。内蔵された歯車が、周囲に満ちる異常な魔力濃度を感知して細かく振動している。
二人がすり鉢状の砂丘の最深部へと辿り着いたその時、眼前に想像を絶する光景が広がった。
うねるような流砂の渦の中心に、漆黒の輝きを放つ黒曜石で造られた荘厳な両開きの扉が、半ば砂に埋もれるようにしてそびえ立っていたのだ。
「あれが『砂の書館』……。でも待って、扉のすぐ隣に何かあるわ」
シエルが駆け寄り、手で激しく砂を払いのけると、風化を免れた古い石碑が姿を現した。石碑の表面には、複雑な幾何学模様をベースにした古代語の碑文と共に、【7つの鍵】を円形に並べたような奇妙なレリーフが深く刻み込まれていた。
「……古代語ね。王都の学園でレインと一緒に山ほど古い文献を解読したから、これくらい朝飯前よ」
シエルは白手袋をはめた指先で石碑の文字をなぞりながら、頭の中で瞬時にコードを翻訳していく。
「『七つの黄金が揃いし時、銀の導きによりて記憶の深淵は開かれる。……鍵を持たざる者、砂の海に沈むべし』」
「七つの黄金……? おいお嬢、それってまさか」
バルドが分厚い眉をこれ以上ないほど不機嫌そうに歪めた。
「ええ、そのまさかよ。どうやらこの『砂の書館』は、ただの経由地じゃないみたい。時計台の書館の深部――お兄ちゃんの記憶が囚われているシステムの中枢と直接繋がっている『メインサーバー』のような場所だわ。だから、世界に散らばる7つの『金の鍵』をすべて集めてこないと、ここの扉は絶対に開かない仕組みになってるのよ」
「マジかよ。俺たちが持ってるのは、水上都市で見つけたやつを含めてまだ二つだけだぜ。ってことは、残り5つを揃えるまで、ここは完全に行き止まりってわけじゃねえか」
「……正規の手順なら、ね」
シエルは背負っていたトランクを砂の上に下ろすと、迷いなく懐へ手を差し入れた。そして、一筋の美しい銀光を引いて、彼女のマスターキーである『銀色の魔導鍵』を厳かに引き抜いた。
「おいお嬢、まさかまたその無茶なキーでこじ開ける気じゃねえだろうな? 相手は旧時代の防壁だぞ」
「私のこの銀の鍵は、すべての書館のシステムに強制干渉できるバックドアの雛形よ。七つの鍵が揃っていなくても、私の魔力と演算能力でセキュリティを書き換えれば、扉の事象を『解除』できるかもしれないわ。レインやエレナ、それにカイルだってすべてを失いながら王都で戦ってる。ここで足踏みしてる暇なんてないの!」
シエルは自信に満ちた笑みを浮かべると、黒曜石の扉の中心にある巨大な窪みへ、銀の鍵を躊躇なく突き刺した。
アメジストの瞳が冷徹なハッカーの輝きを帯び、彼女の全身から青白い魔力が爆発的に立ち昇る。
「システム・オーバーライド! ――事象解除!!」
シエルが鍵を力任せにカチリとひねり、魔力を一気に叩き込んだ瞬間、扉と石碑のレリーフが一斉に眩い黄金色に発光した。内部の巨大な歯車がズゴゴゴゴ……と重々しい音を立てて回り始める。
「開く……! 私の計算通りよ!」
しかし、勝利の確信は一瞬で打ち砕かれた。
「ガギギギギッ!! ピィィィィン!!」
突如として歯車が耳を裂くような不協和音を立てて停止し、石碑に描かれた「足りない5つの鍵」のマークが、血のような赤色で激しく点滅し始めた。強烈な警告音が砂丘に響き渡る。
直後、シエルが流し込んだ魔力を何倍にも増幅した、凶悪な反発エネルギー(リバウンド)が扉から弾け飛んだ。それと同時に、周囲の砂丘が意思を持ったように激しく脈打ち、巨大な砂の津波となってシエルへ襲いかかった。
「きゃあっ!?」
「お嬢ッ!!」
バルドが凄まじい反応速度で巨体を躍らせ、シエルの身体を組み伏せるようにして砂の直撃から庇った。ズドォォォン!と激しい衝撃波が走り、凄まじい砂嵐が二人の視界を完全に奪い去る。
数分後。ようやく砂嵐が収まり、周囲に静寂が戻った。
「ごほっ、ごほっ……! な、何よこれ、お兄ちゃんの時よりセキュリティが固すぎるわ……」
バルドの太い腕の中から顔を出したシエルは、頭からすっかり砂を被り、自慢のアメジスト色の髪を真っ白にしながら忌々しそうに咳き込んだ。黒曜石の扉は、何事もなかったかのように再び固く閉ざされている。
バルドはのっそりと身体を起こすと、衣服についた砂をバサバサと豪快に払い落とした。そして、その強面の顔を鬼のように怒らせて、シエルを思い切り睨みつけた。
「おいお嬢!!! てめえ、さっき石碑になんて書いてあるか自分で読んだばかりだろうが!!」
地響きのような大声に、シエルは思わず肩をビクッと震わせる。
「『鍵を持たざる者、砂の海に沈むべし』ってハッキリ書いてあっただろ!! なのに何がシステム・オーバーライドだ! あと一歩で文字通り砂の底へ生き埋めになるところだったんだぞ! 自分の言った翻訳文くらい、3秒以上は頭に記憶させておけ!」
「うう……っ、だって! もしかしたらマスターキーの魔力波形なら、バグを突いて通れるかもしれないって思ったんだから……!」
「これだから、二十歳そこそこの若いお嬢ちゃんは無茶しやがるから怖えんだ。命がいくつあっても足りやしねえ。これじゃ王都にいるレインの坊主が、お前のお留守な足元を心配するわけだぜ」
バルドがやれやれと呆れたようにため息をついた。その「若いお嬢ちゃん」という言葉が、シエルのプライドの導火線に完全に火をつけた。
「な、何よそれ!! 年齢は関係ないでしょ!!」
シエルは飛び起きると、両手を握りしめて、ぷんぷんと怒りながらバルドの胸元を涙目でポカポカと叩いた。頬をこれでもかと大きく膨らませ、アメジストの瞳を潤ませて抗議する姿は、どう見ても「二十歳の大人のプロ」には見えなかった。
「私はこれでも、没落する前は最高の英才教育を受けた一流のプロウォーカーなの! 今回はちょっと、旧時代のシステムが私の想定を超えて頑固だっただけ! 年齢が若いから失敗したわけじゃないんだから! 」
「はいはい、悪かったよプロウォーカー様。とにかく、ズルは通用しねえってことが身に染みて分かっただろ」
バルドは苦笑しながら、シエルの頭に乗った砂を無骨な手で優しくポンポンと叩いて払ってやった。その温かい手の感触に、シエルはまだ頬を膨らませたまま、不満げにそっぽを向いた。
「……フン。でも、これでハッキリしたわ。ズルができないってことは、この扉を開けて、その先にあるお兄ちゃんの記憶を取り戻すには、世界に散らばる残りの5つの『金の鍵』を一つ残らず見つけ出すしかないのよ」
シエルは気丈に銀の鍵を再び懐へとしまい、トランクを拾い上げた。ハッキングによるショートカットは弾かれたが、目指すべき本当のルートは完全に定まった。
「出直しよ、バルド! 最終目的地を開けるための『残り5つの鍵』の行方を、泥臭く探してやるわ。まずはアイアン・サントの町に戻って、酒場や裏ギルドから鍵の情報を徹底的に洗い出すのよ!」
「おう! そうこなくっちゃな。怒って腹も減ったろ? まずは町に戻って、冷たい果実ジュースと美味い飯でも探しに行こうじゃねえか、お嬢」
灼熱の太陽が照りつける『迷いの砂丘』と、沈黙を守る巨大な黒曜石の扉を背に、二人は再び歩き出す。残り5つの鍵を求める、果てなき砂漠の旅がいよいよ幕を開けるのだった。




