第4章・第3話:バルド
「ちょっと、そこの油まみれ! 何を素人みたいな力技でシステムをこじ開けようとしてるのよ!」
時計塔の最下層から響いたシエルの鋭い声に、上空の足場にいた男――バルドがガバッと振り返った。
「あぁん!? なんだお前、王都の迷子か!? ここは今、街ごと大爆破しかけてんだ、ガキは引っ込んでろ!」
剥き出しの白熱灯に照らされたバルドの容姿は、まさにこの鉄と蒸気の街を体現したかのような無骨さだった。
年齢は二十代半ば。幾度となく鉄の火花を浴びてきたのだろう、端正ながらも野生味のある顔立ちには、左の頬から顎にかけて一本の古い傷跡が刻まれている。短く刈り込まれた漆黒の髪は、汗と機械油で額に張り付き、その奥にある琥珀色の瞳は、獰猛な肉食獣を思わせる鋭い光を放っていた。
何より目を引くのは、その異常なまでの体躯だ。ボロボロのタンクトップの上からでも分かる、岩のように盛り上がった肩周りと、厚い胸板。煤で汚れたその肌には、強靭な青筋が浮き出ている。
極めつけは彼の右腕だった。肘から先が、真鍮と鋼鉄の「機械義手」に置換されており、彼が指を動かすたびに、内部の小さな歯車が**チチチ……**と精密な音を立てて噛み合っていた。
「ガキじゃないわよ、プロフェッショナルに向かって失礼ね!」
シエルは激しく上下に揺れる鉄骨の階段を、身軽に駆け上がっていく。頭上では、巨大な主歯車が噛み合わせを狂わせ、火花を雨のように降らせていた。
「システムが完全にフリーズ(膠着状態)を起こしてるわ。バルド、あなたのその無骨なスパナじゃ、そのロックは外せない!」
「このメインバルブを力ずくで回さねえと、あと二分でこの塔は木っ端微塵だ!」
「退きなさい!」
シエルはバルドの巨躯をすり抜けるようにして、赤く点滅する制御盤の前に滑り込んだ。目の前の画面には、複雑な魔導の暗号コードが、滝のように高速で流れ落ちている。
「……なるほどね。ただの機械のオーバーヒートじゃない。この街のエネルギーになっている『金の鍵』が、システム暴走を検知して自動的にガチガチの防壁を張っちゃったんだわ」
シエルは腰から『魔導鍵』を引き抜くと、制御盤の接続口に迷わず突き刺した。
「おい、それを引き抜く気か!? それをやったら街の動力を動かしてる『金の鍵』が外れて、街全体が完全に真っ暗になっちまうぞ!」
バルドがシエルを止めようと、真鍮の義手を伸ばす。だが、シエルは不敵に微笑んだ。
「大丈夫、街の電気は落とさないわ。この『金の鍵』は、元々この街を動かすためのものじゃない。古代のシステムが、鍵の持つ凄まじいエネルギーを勝手に盗んで、街の動力に流用しているだけよ」
シエルの指先がキーボードの上を弾むように踊る。
「だから、鍵を引き抜くのと『同時に』、この時計塔の地下に眠っている本来の地熱エネルギーの回路を開放して、街の電線に直接繋ぎ直せばいいの。そうすれば、街の動力は止まらないわ!」
「なるほど、中身のすり替え(ホットスワップ)か……!」
バルドの琥珀色の瞳が驚愕に揺れた。彼は単なる修理工ではない。この街の構造を誰よりも理解している一級のエンジニアだからこそ、この少女が今、どれほど正気の沙汰とは思えない「神業」を成し遂げようとしているかが理解できた。機械の回路を完全に把握し、その流れを一瞬で書き換える圧倒的な頭脳。
「だがお嬢ちゃん、そんな一瞬の切り替え、タイミングが神がかってなきゃ回路が焼き切れるぞ!」
「だから、あんたの出番よ、バルド。私がシステムを切り替えた『その一瞬』に、そこの巨大なレバーを最大まで引き下げて回路を固定しなさい。遅れは1ミリ秒も許されないわよ」
バルドはシエルの意図を完全に理解すると、不敵に笑ってレバーに両手をかけた。機械義手の内部構造が、高出力の魔力供給を受けてギュリリリッと凄まじい駆動音を立てる。
「……フン、機械のタイミングを合わせるのなら、俺のこの右腕の領分だ。王都の天才様、俺のロジックに遅れるんじゃねえぞ!」
「いくわよ。3、2、1……アンロック!」
シエルが魔導鍵を回すと同時に、制御盤からパチィン!と青い火花が弾けた。一瞬、塔内の明かりがフッと暗くなりかける。
「今よ、バルド!」
ガコンッ!!!
完璧なタイミング――いや、シエルの予想を上回るほどの「0.1ミリ秒の狂いもない」速度で、バルドの機械腕がレバーを叩き込んだ。
その瞬間、時計塔の底から、先ほどまでの暴走とは違う、ズゥゥンという重厚で安定した駆動音が響き渡った。街の灯りがフッと戻り、さっきよりも一段と明るく、綺麗な真鍮色の輝きを取り戻す。
「……成功ね。完璧な切り替えログだわ」
シエルが息を吐くと、スロットから静かに浮かび上がった、精巧な細工の施された『金の鍵』が彼女の手の中に収まった。
「本当にやりやがった……。動力源を完全に切り離して、なおかつ街の出力を元より上げやがったぞ……」
バルドはメーターを見つめ、信じられないものを見るかのように自分の機械義手と、シエルの顔を見比べた。
「あんた……一体何者だ。その『金の鍵』ってのは、一体何なんだ」
バルドの問いに、シエルは鍵を大切に懐へしまいながら、少しだけ寂しげな、だが強い光を宿したアメジストの瞳を向けた。
「私はシエル。……この鍵は、世界に隠された『書館』の秘密。そして、眠り続ける私のお兄ちゃんの記憶を取り戻すための、唯一のコード(手がかり)よ。私はこれを集めるために、世界中を旅しているの」
「世界中の、暗号を解く旅、か……」
バルドは、肩に担いだ巨大なスパナを静かに工具ベルトへと戻した。彼の目が一人の技術者としての深い思索の色になる。彼は自身の真鍮の機械義手をじっと見つめ、服の袖を捲り上げた。
「……なぁ、シエル。この右腕、ただのサイバネティクス(義手)じゃねえんだ」
義手の生体接続部、バルドの肉体と真鍮が交わる境界の肌には、まるで焼き印のように**『金の鍵』と全く同じ幾何学模様のプロテクトコード**が刻まれ、鈍く拒絶の光を放っていた。
「数年前、俺の親父は大陸の『書館』へ潜り込み、このパーツを盗み出した。だが、防壁に引っかかって、心臓の生体コードを人質に取られた。親父は死ぬ間際、その呪いのような拒絶コードを俺の肉体に移植して、インフラの制御装置に偽装することで、この街に『世界の目』から隠れるための強力なファイアウォールを張ったんだ。……つまり、俺はこの街を守っていたんじゃねえ。この義手という檻に繋がれて、街の動力炉の生体プラグとして生かされてただけさ」
バルドの言葉に、シエルは息を呑んだ。彼がこの時計塔から離れられなかったのは、物理的・システム的に「街の心臓」として縛り付けられていたからだったのだ。
「だが、さっきあんたがこの塔のコアを『アンロック』した瞬間……長年、俺の肉体を焼き続けてた拒絶コードの負荷が、嘘みたいに消え失せた」
バルドは義手を強く握り締め、その感触を確かめるように何度も開閉した。内部の歯車が、これまで聞いたこともないほど軽やかに、滑らかな音を立てて回っている。
「あんたが『金の鍵』を引き抜き、システムを正常化してくれたおかげで、俺の右腕のプロテクトも解けた。俺は……親父の代から続いた呪いから、今、あんたに解放されたんだよ」
バルドはシエルの前に歩み出ると、真鍮の義手を差し出した。琥珀色の瞳には、もう檻の中にいた男の濁りはなく、一人の自由なウォーカーとしての強い光が宿っていた。
「この街のエネルギーシステムは、あんたの代替コードのおかげで、今後俺がいなくても永久に暴走しない。俺を縛るものは、もう何一つない。……だが、親父の命を奪い、俺の人生を檻に閉じ込めた『書館』の謎は、まだ何も解けちゃいねえんだ」
バルドの口元が、挑戦的な笑みに歪む。
「俺の親父の仇であり、あんたのお兄ちゃんを眠らせた原因……それはきっと、同じ『世界に隠された書館』だ。俺をあんたの旅にログインさせろ。この右腕が遺した技術が、世界の暗号にどこまで通用するのか……そしてあの『書館』の奥に何があるのか、この目で確かめるまでは、錆びついて死ぬわけにはいかねえ」
街を守る義務、そして肉体を縛る呪いから解放され、ついに父の因縁を断ち切るために世界の謎へと挑む覚悟を決めたエンジニア。その熱いドラマに、シエルは一瞬圧倒される。
しかし、彼女はすぐにいつもの不敵な笑みをプロテクトの裏から覗かせ、バルドの真鍮の手をしっかりと握り返した。
「いいわ。私の演算(計算)に遅れない自信があるなら、ついてきなさい。……でも、足手まといになったら、その義手ごとシステムから強制シャットダウンして置いていくからね、バルド」
「ハッ、言ってろ。俺の右腕の同期速度をナメんじゃねえよ、天才お嬢様」
こうして、失われた記憶を求める少女と、呪いから解き放たれたエンジニア。二人の旅路のコードが、火花散る時計塔の中で美しく噛み合ったのだった。
翌朝、シエルは『鉄錆と真鍮亭』でおかみさんが温め直してくれた、最高の羊肉スープをバルドと共に平らげ、次の目的地への切符を手に取った。
「見てなさいよ、レイン。私にはもう、こんなに頼もしいお供ができたんだから……!」
王都で留守番をしている相棒の顔を思い浮かべ、今頃あの風紀委員長とデータエラーな関係になっていないでしょうね、とお尻のアンロックの刑を再び心に誓いながら、シエルはアメジストの瞳を輝かせた。
(第4章・レイト・グリッド編:完。次は2つ目の金の鍵を求め、水上の都へ――)




