第4章・第1話:地平線の向こう、機械仕掛けの揺り籠
星詠みの旅路 ―七つの金の鍵と、眠れる兄―
これまで王都の閉鎖的な権力闘争の中で生きてきたシエル。しかし、兄を昏睡から救うという新たな目的のため、彼女は初めて広大な大陸へと足を踏み入れる。そこは、情報の断片である「金の鍵」を求め、各地の書館を攻略していく、オープンワールドのような壮大な旅路だった。
プラットホームに立ち込める、蒸気と魔導の匂いが混ざり合った白煙。
国際列車の発車を告げる重苦しいベルの音が、駅舎の高い天井に反響する。窓越しに見えるレインの姿を、シエルは最後の瞬間まで見つめていた。
「――いい、レイン。私がいないからって、あの爆乳風紀委員長にうっかりハメられて、お婿さん(バレンシュタイン家)に就職しちゃうなんてデータエラー、絶対に許さないんだからね?」
生意気な口調とは裏腹に、彼女の瞳にはレインと離れることへの言いようのない寂しさと、嫉妬にも似た焦燥が揺れている。レインはそんなシエルの不安を見透かすように、いつもの気だるげな笑みを浮かべ、彼女の頭にポンと手を置いた。
「しないっつーの。俺が一番面白いと感じる相棒は、今目の前でふくれてる奴だけだろ」
その言葉に顔を赤くしつつも、シエルはトランクを強く握りしめる。
兄の意識を呼び戻す旅――。それは、これまで二人で数々の窮地を脱してきたシエルにとって、初めて迎える「本当の意味での孤独な戦い」だった。
列車がゆっくりと車輪を軋ませ、動き出す。小さくなっていくレインの背中に、シエルは窓越しに手を伸ばした。
(ねえ、レイン。……私がいない間にバレンシュタインの女に魂を抜かれてたら、帰ってきた時にあんたのお尻をアンロックしてやるんだから……)
そんな物騒かつ不名誉な罰を思いつきながら、彼女は慌てて首を振った。泣かない。そう決めたのは自分だ。二日前、レインと共に攻略した国境の書館で、兄の記憶の一部を解放することには成功した。だが、彼はまだ眠りの中だ。兄を呼び戻すには、世界各地の書館に隠された『金の鍵』をすべて回収しなければならない。
列車は大陸北部の霧深い山あいへと向かった。
ようやく辿り着いたのは、地図に「忘れられた領域」と記された、蒸気と歯車の町『レイト・グリッド』だった。
町に降り立ち、シエルは振り返る。王都の方角にはもう、レインの姿も、兄の眠るあの場所も見えない。
(待ってて、お兄ちゃん。必ず、七つの『金の鍵』を見つけてみせるから)
アメジストの瞳に強い意志を宿し、シエルは迷宮のような町へと足を踏み込んだ。
路地裏からは蒸気の音が響き、町全体がひとつの巨大なクロックワークのように脈動している。王都の洗練された魔導とは全く異なる、無骨で圧倒的なエネルギーに満ちた世界がそこには広がっていた。
「まずは現地調査ね。この町に馴染んでいれば、嫌でも『書館』の噂は耳に入るはずだわ」
トランクを引きずりながら、シエルは散策を兼ねて町の人々と対話し、この地の「流儀」を学び取ることにした。
広場を歩いていると、ゼンマイ仕掛けの木馬を石畳の隙間に挟んで泣いている少年を見つけた。
「壊れたんじゃないわ。構造上のデッドロック(膠着状態)を起こしているだけ」
シエルはしゃがみ込み、少年に微笑みかけると、隠し持っていた『魔導鍵』を差し込み、カチリと音を鳴らす。一瞬にして内部構造が最適化され、元通り元気に走り出した木馬を見て、少年はパッと顔を輝かせた。
さらに路地を進めば、過負荷で煙を吹き上げている職人の魔導炉を見つける。
「ちょっとそこ退いて。基幹回路がオーバーヒートしてるわ」
シエルはすれ違いざまに魔導鍵を空間にかざし、流れるような演算でエラーコードを書き換え、一瞬にして炉の出力を安定させてみせた。
「おい、今のは一体……!」
驚愕する職人たちを尻目に、シエルはふふんと勝ち誇ったように胸を張って歩き去る。彼女の卓越した技術と、環境を味方につける応用力は、この機械仕掛けの町の複雑なインフラと抜群に相性が良かった。
人助けを繰り返するたび、町の人々の警戒は感謝へと変わり、シエルのもとには少しずつこの町の「生きたデータ」が集まり始める。
(誰もが必死にこの継ぎ接ぎの文明を動かしている。……でも、この膨大なエネルギーの供給源はどこ? この町自体が、何か巨大なものを隠すための防壁のようね……)
夕日に染まる時計塔を見上げながら、シエルはプロウォーカーとしての直感を働かせる。レインとの別れという寂しさを胸の奥に仕舞い込み、彼女は兄の記憶を、精度を高めるための第一歩を、この見知らぬ街の地肉に深く刻み込むのだった。
これは、孤独だけど独りじゃない、シエルの長い旅の始まりのログ。




