閑話:灰色の空と、隣を歩く影
放課後の静寂に包まれた学園の屋上で、俺は柵に寄りかかり、遠くで赤く染まり始めた王都の空を眺めていた。
隣では、レインがいつも通り、何かの魔導部品を細い針金でいじくり回している。機械油の微かな匂いが、心地よいほど鼻をくすぐる。
(こいつは、俺が持っていないものを全て持っている)
俺は貴族として生まれ、騎士として育てられた。幼い頃から「高潔であれ」「誇りを持て」と教えられ、その言葉を疑うことさえ許されなかった。俺の人生は、常に「正しさ」という名の、美しくも冷徹な檻の中での演舞だった。
だが、レインは違う。あいつは泥の中を這い回り、ルールを笑い飛ばし、誰かに認められることなど求めずに、自分だけの「筋」を貫いて生きている。
初めて会った時、レインは俺を「退屈な聖人君子」だと切り捨てた。
俺もまた、レインを「何処にも属せないならず者」だと見下していた。理解し合えるはずがない、交わるはずのない二人――そう思っていた。
けれど、あの日。
自分の過去が呪いだと知り、絶望の淵で立ち尽くしていた俺に、最初に手を差し伸べてくれたのは誰だったか。
高貴な騎士でも、崇高な理念でもない。泥だらけの靴を履き、不敵な笑みを浮かべた、このならず者だった。
「……何見てんだよ、カイル。俺の顔に何かついてるか?」
レインが視線にも気づかずに声をかけてくる。あいつは俺を見ない。常に、その先にある何かを見ている。
「いや。……ただ、お前がいなかったら、今の俺はどうなっていたんだろうなと思ってな」
俺は言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。
レインの指先が止まる。あいつはあえてこちらを見ず、遠くを眺めたままふっと鼻で笑った。
「決まってんだろ。イグノタフの操り人形として、その綺麗な白銀の剣を誰かのために汚して、最後は使い捨てられて終わりだ。……ま、俺がいなけりゃ、それこそお前の望む『平和』だったかもな」
そう言って笑うレインの横顔には、時折、俺には計り知れない深い孤独が影のように差す。
あいつは俺を救ったと言うけれど、俺もまた、あいつに救われているんだ。
俺が騎士としての「光」を演じようとするなら、レインは俺の「影」として、その光が照らせない暗闇をすべて引き受けてくれている。光は影の存在を知ることで輪郭を保ち、影は光の存在によって初めてその居場所を見つける。
「……レイン。お前は時々、自分を酷く低い位置に置くが、俺にはお前が誰よりも高く見えているよ」
俺の言葉に、レインは肩をすくめ、わざとらしく大きな溜息をついた。
「へいへい。報酬は高くつくぜ、騎士様。……ま、俺も一人で歩くよりは、お前の背中を追いかけてる方が、少しは面白い景色が見える気がするしな」
レインは立ち上がり、柵に手をかけて空を仰いだ。
夕焼けが、俺たちの影を屋上に長く、重なるように引き伸ばしていた。
俺たちが結んだ契約は、誰にも言えない共犯関係だ。
王都の支配者たちを突き落とし、自分たちの居場所を勝ち取る。その果てに待っているのが、名誉なのか、あるいは破滅なのかさえ分からない。
それでも、こいつの隣にいようと決めている自分に、少しだけ驚いている。以前の俺なら、こんなにも容易く「誇り」以外のものを優先することはなかっただろうから。
「おいカイル、日が暮れるぞ。エレナが待ちくたびれて、風紀委員の権限で校門を封鎖する前に帰るか」
「ああ、そうだな」
レインの背中が、少しだけ前を行く。
俺はその背中に続いて、屋上の出口へと歩き出した。
カツ、カツと響く俺のブーツの音と、軽快なレインの足音。そのリズムを聞きながら、俺は初めて、自分の足でこの世界を歩いているという実感を得ていた。
こいつが俺の影なら、俺はこいつの光でありたい。
そう願えるだけで、俺の心は驚くほど軽かった。
たとえ世界が俺たちを拒絶しようとも、この夕暮れに伸びた二つの影が重なっている限り、俺たちはどこへだって行ける――そんな確信に近い予感を胸に、俺たちは夜の気配が混じる学園の廊下へと足を踏み入れた。




