第3章・第14話:影を動かす令嬢
「……やはり、正面から情報ギルドに圧力をかけるのは悪手ね」
王都の一角に佇むバレンシュタイン侯爵邸。その広々とした私室で、エレナは机上の書類を指先で叩いた。
普段、学園の風紀委員長として周囲の不埒な視線を跳ね除けるために身に纏っている、紺碧の学園騎士服は今はない。私邸の中ということもあり、身に纏っているのは柔らかな生地の私服のドレスだ。
しかし、私服であってもその圧倒的なプロポーションは隠しきれない。豊かな胸元がドレスの胸当てを内側から強く押し上げ、しなやかな腰の曲線を引き立てていた。
「お嬢様、やはり情報ギルドを動かすのは容易ではございません。彼らは中立を謳う組織。我らバレンシュタイン侯爵家と、カイル様の生家であるイグノタフ侯爵家……二大巨頭のパワーバランスが崩れることを最も恐れていますから」
長年彼女を支える侍女のマルタが、静かに紅茶を差し出しながら現状を整理する。
この王都における権力構造は、いくつもの組織が絡み合い複雑を極めている。
軍事と伝統を司るバレンシュタイン侯爵家。
そして、魔導技術と国家の枢密を握るイグノタフ侯爵家。
この二つの大貴族が天秤の左右に座し、その均衡の狭間で、国家の法にも縛られない大小様々な『ギルド』が活動している。冒険者ギルド、商人ギルド……情報ギルドも、数多ある専門ギルドの一つに過ぎない。しかし、その網の目は王都の裏社会に深く根を張っていた。
イグノタフ家が「カイルの反逆」という大義名分を情報ギルドに流せば、ギルドは即座にそれを『事実』として処理し、高額な賞金首の依頼として街の裏社会にばら撒く。今のカイル君とレインは、大貴族の権力とギルドの追跡網の双方から追われる最悪の状況に組み込まれてしまっていた。
「だったら、その『中立』という建前を逆に利用してやるわ」
マルタの前だからこそ、エレナは毅然とした風紀委員長としての仮面を緩め、年相応の、だが不敵な令嬢の笑みを浮かべた。レインたちの前でしか見せないような、心を許した者への柔らかな表情。
「マルタ。情報ギルドが最も嫌うのは何かしら?」
「……『偽情報』による、顧客からの信用失墜、でございますね」
「そうよ。イグノタフ家が流した『カイルが実父を殺害した裏切り者である』という情報。これがもし、現当主による『捏造』だった場合、それを鵜呑みにして大々的に指名手配を仲介した情報ギルドは、大貴族の私怨に加担したとして王家や他のギルドからの信用を完全に失うわ」
エレナは立ち上がり、壁に掛けられた自身の『騎士剣』に手を伸ばした。
彼女の戦闘スタイルは、その豊満な体躯からは想像もつかないほどの『神速』。一瞬で間合いを詰め、敵の認識が追いつく前にすべてを両断する、圧倒的な速度に特化した騎士剣術だ。その苛烈な剣技と同じように、彼女の知略もまた、敵の隙を突く神速の踏み込みを見せる。
「ギルドの幹部に匿名で『重大な規約違反の可能性』として警告状を送りなさい。内容は『イグノタフ家がギルドに提出した容疑者データには、意図的な事実の改ざんが含まれている。バレンシュタイン家は独自にその証拠を掴みつつある』という脅しよ」
マルタは目を見開いた。
「それは……狂言でございますか? 我が家にはまだ、その証拠は……」
「いいえ、ただのハッタリ。でも、情報ギルドの連中なら、バレンシュタインの名でそこまで言い切られたら、万が一の破滅を恐れて事実関係の再調査に動かざるを得ない。その間、カイル君たちの捜索優先度は最低ランクまで落ちるわ」
情報ギルドが機能を停止すれば、イグノタフ家は裏社会のネットワークを失い、自前の私兵や暗殺組織しか動かせなくなる。裏社会全体を敵に回す最悪の状況からは、確実にレインたちを救い出すことができるはずだった。
「わたくしの目の届く場所で、理不尽な罠に苦しむ生徒を見過ごすわけにはいかないもの。……それに」
エレナは騎士剣の柄を握り締め、少しだけ頬を染めながら、窓の外の遠い空を見つめた。
「レイン、カイル君……。あなたたちが仕組まれた罠をブチ壊して戻ってくるまで、王都の闇はわたくしが抑え込んでみせるわ」
一人の令嬢としての誇りと情熱を胸に、エレナは静かに、しかし確実に王都のパワーバランスを揺るがし始めていた。




