第3章・12話:誰がための剣
ガガガガガガァァァンッ!!!
禁書庫の中央で、幾度目かの激しい剣戟が弾ける。
その圧倒的な衝撃に耐えきれず、カイルの身体は宙を舞い、冷たい石畳の上を無様に転がった。
「がはっ……ぅあッ!」
『どうした? その程度か。所詮は過去の栄光を捨てた敗北者だな』
視界の端で、限界を示す赤色の警告が不吉に明滅を繰り返している。全身の骨が軋み、聖剣を握る両手は麻痺しかけていた。
ゆっくりと歩み寄る己の影を前に、カイルは剣を杖代わりにして必死に立ち上がる。
シャドウの剣撃は重く、鋭く、そして一切の迷いがない。
カイル自身のデータから作られた最悪の敵との死闘。同じステータスであるはずなのに、打ち合うたびにカイルは押し込まれていた。
(くそっ……! やはり、今の俺では……)
激しい打ち合いの中で、カイルは痛感していた。
シャドウと比較して、今の自分の剣には確かに「迷い」がある。実の父親を殺めたという罪悪感に苛まれ、自分が本物の天才だという「イグノタフの誇り」もとうに失ってしまった。
対するシャドウは、血統にあぐらをかき、己を絶対の強者だと信じて疑わない過去の傲慢なカイルそのものだ。その迷いのなさが、圧倒的な力の差となって現れていた。
『終わりだ。独りよがりの偽物の誇りなど、我がイグノタフの誇りの前には無力だと思い知れ』
シャドウが漆黒の魔剣を上段に構え、すべてを終わらせる一撃のモーションに入る。
絶望的な圧力。心が折れ、膝を屈しそうになったその瞬間――。
カイルの脳裏に、死地へ向かう前のセーフティエリアでの光景が鮮明に蘇った。
『洗脳されて動かされただけのログを、いちいち自分の罪だと抱え込んでんじゃねえよ。それはお前の意志じゃねえ、他人が書いたクソコードだろ』
絶望して泣き崩れる自分に、温かい紅茶と干し肉を差し出しながら、レインは鼻で笑って言ったのだ。
『俺はお前みたいなお坊ちゃんの事情には興味ねえが……他人が組んだ「カイルをハメ殺す」っていう完璧なシステムを見ると、どうしてもその仕様をブチ壊したくなるタチなんだよ』
ただの天邪鬼な、世界の仕様への反逆。
だが、その不器用で乱暴な言葉が、凍りついていたカイルの心に猛烈な熱を灯す。
「……ははっ」
血の味のする口内で、カイルは思わず自嘲気味に笑った。
「貴族であるこの私が……よりにもよって、平民の言葉に背中を押されるとはな」
『何を狂ったように笑っている。バグ(エラー)ごと、ここで完全にデリートしてやる!』
シャドウが地を蹴り、漆黒の斬撃を振り下ろす。
だが、カイルは逃げなかった。重心を低く落とし、その瞳から一切の迷いを振り払う。
「確かに、俺の剣には迷いがあった。イグノタフの絶対的な誇りも、もう俺の中には無い」
カイルは静かに、しかし力強く宣言した。
「だがな……俺には、**『ノブリス・オブリージュ(高貴なる者に伴う義務)』**がある!」
『ノブリス……オブリージュ……?』
「そうだ! 力ある者は、力なき者を護るためにその剣を振るう! 誰よりも先に泥に塗れ、絶望の矢面に立ち、この背中を見せ続ける! 偽りの玉座でふんぞり返ることが貴族じゃない!」
自分のためだけに振るう傲慢な剣と、誰かを護るために振るう泥臭い剣。
迷いを捨てたカイルの瞳に、かつての鋭い剣気が、それ以上の熱を帯びて宿る。
『戯言を……ッ! 消えろォォォッ!!』
激昂したシャドウが、漆黒の軌跡を残して突進してくる。
右からの刺突、返す刃での薙ぎ払い、そして急所を狙った鋭い飛び込み。
だが――カイルは決して退かなかった。
ガキィィンッ! ギィンッ! カァァァンッ!!
数合の猛烈な打ち合い。これまで一方的に押し込まれていたはずのシャドウの連撃を、カイルは白銀の聖剣で完全に捌き切る。
迷いを断ち切り、護るべき者のために振るわれるカイルの剣は、過去の傲慢な己の重い一撃を正面から受け止め、そして確実にはじき返していた。
『な、ぜだ……! 出力は私の方が上のはず……ッ!』
「俺の背中には、もう一人じゃない強さがあるからだッ!」
カイルが渾身の力で剣を弾き返し、シャドウの体勢を大きく崩す。
焦燥に駆られたシャドウが後退し、すべてを呑み込む漆黒の絶華の構えに入った。
それに対し、カイルは限界を迎えていたはずの魔力をシステムの上限を超えて爆発させ、新たなる光の絶対奥義を解き放つ。
「これが俺の……本当の貴族の誇りだァァァァッ!!」
「――【真なる白銀の絶華】ッ!!!」
ズドゴォォォォォォォンッ!!!!
光の奔流と闇の波動が真っ向から激突する。
だが、拮抗したのはわずか一瞬だった。他者を護る覚悟を宿したカイルの白銀の光が、シャドウの漆黒の闇を完全に凌駕し、その黒き肉体を一気に呑み込んだのだ。
ザシュゥゥゥゥンッ!!!!
『ガ……ァ、アアァァァァッ……!!』
胸元から真っ二つに斬り裂かれたシャドウの身体から、ボロボロと黒いノイズが溢れ出す。
致命的な損傷を受け、その輪郭が次第に光の粒子となって崩壊していく。
自らを絶対と信じていた過去の亡霊は、ゆっくりと膝をついた。
だが、完全に消えゆく直前。シャドウは目の前でボロボロになりながらも決して倒れないカイルの『背中』を見つめ――。
微かに、その口角が上がった。
憑き物が落ちたような、どこか誇らしげな微笑み。それを最後に、過去の傲慢なカイルの残滓は、禁書庫の宙へと完全に霧散していった。
ガラン、と音を立てて、主を失った漆黒の魔剣だけが床に転がる。
静寂が戻った空間の中、カイルは限界を迎えた身体を支えきれず、その場に仰向けに倒れ込んだ。
「……あぁ、くそ。全身痛え……」
天井の古い石造りを見つめながら、カイルは静かに目を閉じる。
激痛すらも今は心地よかった。あの天邪鬼な仲間に背中を押され、見出した真の誇り。ノブリス・オブリージュを胸に刻んだ彼の心は、かつてのどの瞬間よりも気高く、澄み切っていた。




