第3章・第7話:デバッグ開始
「――おいおい、いくらなんでもパッチ(修正)の当て方が雑すぎだろ。昨日潜った時より、遥かに禍々しくなってんじゃねーか……」
『時計塔の書館』1階に足を踏み入れた瞬間、レインの口から出たのは、呆れと警戒が混ざった本音のぼやきだった。
わずか一晩。それだけの時間しか経っていないというのに、この空間を満たす空気の重さは完全に別次元へと変貌していた。館長という絶対的な管理権限者を失ったこの空間は、セキュリティのセーフティ(安全装置)が完全に焼き切れ、侵入者を文字通りデリート(抹殺)するためだけの、凶悪な自動強化モードへと突入していたのだ。
うろついている『猟犬』は、昨日までのただの魔獣から、剥き出しの赤黒い肉塊に魔導回路が寄生したようなおぞましいバグ個体へと変貌を遂げている。さらに天井を見上げれば、かつてはただの照明だったランタンが、巨大な『人間の眼球』へと書き換わり、ぎちぎちと不気味な音を立てて空間を走査していた。
だが、ウォーカーであるレインの目を引いたのは、その狂ったギミックそのものではなかった。
通路のあちこちに散らばる、真新しい戦闘の痕跡だ。
本棚に深く刻まれた鋭い剣撃の跡。床にぶちまけられた、猟犬のバグった赤黒い体液。さらに、点々と続く、重い金属鎧の歩行ログ――。
(学園騎士団の白銀の聖剣の軌道……それに、この不器用なまでに真っ直ぐな踏み込みのフレーム数。間違いないな。カイルの野郎、ここに逃げ込みやがったか)
実家のハメ技(追っ手)から逃れるために、よりによって最もセキュリティの狂ったデッドゾーンを選ぶとは、騎士の割にいい度胸をしている。
「まぁ、いい。あいつがカカシになってヘイト(敵対心)を集めてくれてる間に、俺は俺のデバッグの続きをさせてもらう」
レインは不敵に唇を吊り上げると、コートの裏から黒銀の魔導銃を引き抜いた。
道中、頭上の『注視のランタン』がギチリと瞳孔を開き、レインをロックオンしようとしたが、それは持ち前の跳弾バグでクリアした。ランタンの正面ではなく、通路の遙か先にある姿見の鏡に向けて発砲し、直角に折れ曲がった魔弾で真後ろから眼球を粉砕。隠密を維持したまま、レインは滑るように奥へと進む。
だが、2階への階段の手前――1階のボス格である『処刑人』の前に差し掛かった時、レインの計算に狂いが生じた。
いつも通り、本棚の「影」に隠れて処刑人の視界の死角を通り抜けようとした、その瞬間。
「――ギ、ギギギッ!!」
鉄の鎖で顔を縛られた処刑人が、突如としてレインのいる暗闇へ正確に向き直り、身の丈を超える断頭斧を狂った速度で振り下ろしたのだ。
(――しまっ、コリジョン(衝突判定)がデカすぎる……っ!?)
激しい風圧とともに床のレンガが爆散する。レインは紙一重のフレーム数でバックステップを踏み、大爆発に巻き込まれるのを回避した。だが、息を整える暇もなく、処刑人は視覚を持たないはずの顔でレインをピタリと捉え、二撃目を水平に薙ぎ払ってくる。
「チッ……!」
レインは黒銀の銃身で大斧の腹を受け流そうと滑らせるが、その圧倒的な質量に腕の骨が軋む。以前の処刑人とは明らかに別物――ステータスに関係なく肉体を強制終了させる即死のエラーコードを纏っている。さらに、影に隠れても、呼吸を止めても、処刑人は正確にレインの間合いを詰めてくる。
(なぜだ? 視線の術式は通してねえ。隠密コードも生きてる。なのに、なんで居場所が完璧にバレて――)
三度目の縦振りを、体を捻ってスタイリッシュにかわす。その際、飛び散った雨水の滴が、処刑人の甲冑に触れるより先に、その周囲の「空気の振動」に反応して不自然に弾け飛ぶのがレインの目に留まった。
(……あぁ、そういうことかよ! 昨日までと違ってリミッターが外れたせいで、視覚じゃなく『半径数十メートル以内の空気の振動』を感知するクソ仕様に自己進化してやがるな!?)
カイルが力任せに突っ切ったせいで、処刑人の感知アルゴリズムが完全に「過敏モード」に書き換わっていたのだ。動けば動くほど、服の擦れる音や風圧で座標が筒抜けになる。まともに切り結べば、遠からずスタミナ(リソース)が切れてハメ殺されるのは目に見えていた。
「感知アルゴリズムが音(振動)依存なら――無限ループ(ハメ)のハメ技をくれてやるよ」
仕様さえ見抜けば、あとは最適解を導き出すだけだ。
レインは激しい連続攻撃をギリギリのステップで見切りながら、懐から裏路地で買い付けたばかりの安価な違法音響スクロール(音を出す巻物)を数十枚、通路のあちこちへばら撒いた。
そして、その全てに微弱な電流を流し、一斉に「一定の間隔で交互に音を鳴らす」というバグノイズを発動させる。
ピピッ。ピピッ。ピピッ。
「ギ、ギギ……? ギギギ……ッ!?」
右から音がしたと思えば、次は左、今度は頭上、足元――。
あまりにも全方位から同時に、かつ等間隔で発生する超高頻度の振動データ(ノイズ)の処理を強要された処刑人は、どちらに断頭斧を振るうべきかの計算が追いつかなくなった。
右を向こうとしては左のノイズに引っ張られ、上を向こうとしては下の振動に干渉される。
「ガガガ、ガガ……ガ……」
完全にタスクオーバー(脳死)を起こした処刑人は、激しい電子火花を散らしながら、その場で刀を構えたまま完全にフリーズ(硬直)してしまった。
「よし、そのままフリーズしてな。デバッグ完了だ」
完全に棒立ちとなった1階最強のセキュリティの真横を、レインは鼻歌交じりで通り過ぎ、2階へと続く階段を優雅に駆け上がっていった。
重い防煙扉を押し開け、2階のエリアへと足を踏み進めた途端、レインの視界が紫黒色のドロドロとした光に包まれた。
天井に点在する『恐怖増幅のランタン』が放つ、精神汚染のデバフ。
元々はただの恐怖心増幅トラップだったそれが、館長不在によるリミッター解除の結果、「侵入者の脳内トラウマを実体化させる」という最悪のエラー表現(仕様)に帰結してしまっている。
その光の渦の中心で、一人の男が膝をついていた。
「違う……俺は、俺は……っ!!」
カイルだった。
白銀の聖剣を握る手はガチガチと震え、その目は完全な狂気と恐怖に染まっている。彼の目の前には、血まみれで恨みがましい目を向ける「実の父親の亡霊」が、精神ハッキングによる実体となって迫りつつあった。
このままでは、カイルの精神メモリが完全に書き換えられ、廃人になる。
「……ハッ、随分とお派手なバグにハメられてるじゃねえか、騎士様」
レインは冷徹に呟くと、一切の無駄なく、カイルの頭上に吊るされた『恐怖増幅のランタン』に向けて黒銀の魔導銃を構えた。
――正面から狙えば、ランタンの放つ精神汚染フィールドに弾頭の魔導回路が狂わされる。
ならば、撃つべき軌道は一つだけ。
レインはカイルの背後にある、肉厚な鉄製の配管に向けて引き金を引いた。
――ズドン!!
バキィィィン!! と、世界の物理法則を完全に置き去りにした、苛烈な金属の跳弾音が2階の静寂を切り裂く。
配管で直角に跳ね返った黒銀の魔弾は、精神汚染の干渉を受けるよりも早いフレーム数で、恐怖増幅のランタンのコアを、真上から容赦なく粉砕した。
パリンッ!!! と、ガラスが派手に割れる音とともに、紫黒色の光が霧散していく。カイルを苦しめていた父親の亡霊も、ノイズとなって空間に消え去った。
「...が、はっ……あ、あ……?」
強制デバフから解放され、激しく咳き込みながら顔を上げたカイルの視界に、濡れた黒髪を無造作に掻き揚げ、硝煙の燻る銃口を弄ぶレインの姿が映り込む。
「よぉ、カイル。随分と無様なグラフィックになってるな。……ゲームオーバーになるには、ちょっと早すぎるんじゃないか?」
暗黒の書館の2階。世界のバグを出し抜いたウォーカーと、偽りの家から全てを奪われた正統なる騎士が、最悪の戦場でついに邂逅した。




