第3章・第5話:跳弾のデバッグ
「――やけに街のグラフィックが騒がしいな」
『黒い歯車』の湿った裏路地を抜け、新調したばかりの黒銀の魔導銃と、空間を欺く違法スクロールをコートの裏に忍ばせたレインは、夜明け前の城下町の変化にすぐさま気がついた。
冷たい雨が激しく降りしきる中、大通りには松明や魔導ランタンを手にした一団が溢れ返っている。それらは学園の制服でも、風紀委員会の退屈な面々でもない。見覚えのある禍々しい紋章――名門イグノタフ侯爵家の重甲冑を纏った、統率の取れた私兵たちだった。
「カイル様は洗脳されている!」「見つけ次第、即座に身柄を確保しろ!」
雨音を切り裂いて、そんな血生臭い怒号がそこかしこから響いてくる。
(なるほど。掲示板の通達通り、本格的にカイルの『ハメ殺し(社会的な抹殺)』のプログラムが動き出したってわけか)
普通の学生なら国家規模の貴族の政争や軍事力に怯え、回れ右をして安全な寮のベッドに帰るところだろう。だが、レインの思考回路はどこまでもウォーカーとして、そして世界のシステムを覗き見るプログラマーとして冷徹だった。
(カイルが実家とどう揉めようが、俺のあずかり知らぬことだ。……それより、せっかくオヤジに組んでもらった新装備の、ちょうどいい『デバッグ(試運転)』の的が向こうから歩いてきてくれたな)
レインは物々しい空気などどこふく風で、新調した魔導銃のグリップを確かめながら、当初の予定通り『時計塔の書館』へと足を向けた。
だが、そんなレインの前に、数人のイグノタフの私兵が凄まじい殺気を放ちながら、路地を塞ぐようにして立ち塞がった。
彼らが身に纏うのは、鈍い鈍色に染め上げられたイグノタフ家特注の**『魔導複合重甲冑』**だ。雨を弾く鉄表面には、防護バリアの術式を常時展開するための複雑な幾何学ラインが青白く発光している。顔面は不気味なスリットが入ったフルフェイスのバイザーで覆われ、その奥で赤く光る魔導照準レンズが、冷酷な機械のようにレインの動きを完全にロックした。
手にするのは、並の平民なら一振りで両断するであろう、肉厚で重厚な戦術大剣。
洗練された軍隊。個人の武力ではなく、鉄壁の装甲と連携で対象を確実にすり潰す、文字通りの『ハメ殺し特化型ユニット』だ。
「――見つけたぞ。お前が、カイル様を唆し、洗脳した特待生の『レイン』だな!」
重厚なバイザーの奥から、スピーカー越しのような歪んだ隊長格の声が響く。
イグノタフの当主(偽物)は、カイルの記憶のロックが解除された原因を精査する中で、常に仕様外の動きを見せるレインという存在に目をつけ、私兵たちに完璧な「偽装コード(嘘の大義名分)」を吹き込んでいたのだ。
『カイルは、学園に潜むレインという不届きな異端児に目を付けられ、悍ましい禁忌の洗脳術式を施された。カイル様を正気へ戻すため、傷が広がる前に――洗脳の主犯である異端児レインを、見つけ次第その場で排除せよ』
「我が主に仇なす不届きな異端児め! カイル様をどこへ隠した! 大人しくその首を差し出せ!」
重歩兵たちが戦術大剣を構え、ガシャリと息の合った駆動音を響かせてレインを完全に包囲する。
何も知らない私兵たちは、当主から吹き込まれた「偽りの正義」を本気で信じ込み、カイルを狂わせた悪党を討つため、一切の手加減なしで命を奪うための鋭い剣先を向けてくる。
だが、レインにとっては彼らの大義名分も、自慢の超重装甲も、一文の価値もなかった。
「おいおい、勝手に他人のイベントフラグを書き換えるんじゃねえよ。俺はカイルを洗脳してねえし、あいつがどこにいるかも知らねえ。……ただ、新調した銃の弾道チェックに行かなきゃならねえんだ。邪魔するなよ」
「問答無用! 異端児を切り捨てろ!」
隊長が叫び、甲冑の出力を跳ね上げた私兵たちが、地鳴りのような足音とともに一斉にレインへと踏み込んだ。重装甲からは想像もつかない、空間の雨粒を爆発させるような超高速の突進。
(――正面から2人、左右から同時。踏み込みのフレーム、速度、重甲冑特有の重心のブレ。すべて想定(仕様)通り)
レインは、切っ先が自身の睫毛をかすめるほどの至近距離まで引きつけながら、一切の無駄がない最小限のステップでそれを身をかわした。水滴が飛び散る中、レインのコートが夜の闇にひらりと翻る。
その動作の最中、彼はすでにコートの裏から、あの「ジジ……」とシステムの拒絶反応のような電子ノイズを放つ黒銀の魔導銃を抜き去っていた。
しかし、銃口は突進してくる私兵たちの正面ではなく――あえて**「誰もいない真横のレンガの壁」**へと向けられる。
(遮蔽物の硬度、レンガ。反射係数、1.2。過負荷バイパスによる空間コリジョンのエラーパッチ適用、確認――)
冷徹な計算が脳内を駆け抜けた瞬間、レインは不敵に唇を吊り上げ、引き金を引いた。
――ズドン!
「なっ、どこを狙って――」
私兵がその見当違いの射撃をバイザーの奥で嘲笑おうとした、その瞬間だった。
放たれた魔導弾は、真横の壁に激突した直後、世界の物理法則(仕様)を完全に無視して、キィィィンと鋭い音を立てながら**「直角」**に軌道を変えた。
(一撃目は壁、二撃目は雨樋の鉄パイプ、三撃目は背後の街灯。自動誘導のアルゴリズムが、周囲のオブジェクトの表面を『踏み台』として誤認し、フレームごとの座標を再計算している――)
弾丸は目にも留らぬ速度でジグザグに跳ね返り(リバウンド)を繰り返す。
それはまるで、暗闇の路地を縦横無尽に駆け巡る、黒銀の閃光の檻のようだった。
「がはっ!?」
「な、なんだ、どこから――ッ!?」
正面からの突進を警戒していた私兵たちの死角――真横や真後ろ、あるいは頑丈な甲冑の『装甲の隙間(関節部)』を狙い澄ますように、直角に曲がってきた弾丸が正確無比に撃ち抜いていく。どれほど強固な魔導バリアを張ろうとも、射線(仕様)そのものを曲げて死角から必中させる「跳弾バグ」の前では、ただの無駄なリソース消費でしかなかった。
レインは銃口を一度も私兵に向けないまま、まるでダンスを踊るような滑らかな足さばきで彼らの斬撃をいなし、すれ違いざまに真横の地面や天井へ弾丸を撃ち込んでいく。
彼が引き金を引くたびに、直角に曲がった軌道が私兵たちの膝関節や駆動サーボをスタイリッシュに、かつ冷酷に破壊していく。
最後の一発を、隊長の足元のレンガへ。
跳ね上がった弾丸が隊長の大剣の柄を正確に弾き飛ばし、金属音が激しい雨音の中に消えていく。
一瞬にして、静まり返った路地には、自慢の鈍色甲冑から火花を散らし、膝をついて呻く私兵たちの山が築かれていた。レインの服には、返り血一滴すらついていない。
「よし……。角度のズレによる威力減衰は許容範囲内。壁の材質による反射フレームのラグもねえな。完璧だ」
レインは親指でカチリと撃鉄を戻し、硝煙を吹く銃口を軽く弄んでコートの裏へと収めた。名門の重装歩兵を文字通りシステム的に完封したジャンク品の性能は、期待以上だった。
「お前……、一体、何をした……っ!」
駆動系を破壊され、地面に這いつくばる隊長が、恐怖でバイザーをガチガチと鳴らしながらレインを見上げる。
レインはその横を平然と通り過ぎ、一瞥もくれずに冷たく言い放った。
「デバッグに付き合ってくれてサンキューな。おかげでいいデータが取れた」
私兵たちの完全な戦闘不能を確認したレインは、濡れた前髪を無造作に掻き揚げながら、そのまま激しい雨のカーテンを割り、カイルが自分より先にそこへ逃げ込んだとも知らずに、暗黒の『時計塔の書館』へと悠然と足を進めていった。




