第3章・第3話:黒い歯車(ブラック・コグ)
ピコン、ピコン、ピコン――。
学園の片隅にあるベンチに腰掛けたレインの魔導端末は、あれからもしばらく、オークションの決済完了を告げる小気味いい通知音を鳴らし続けていた。
『失われた至高の宮廷魔導調理術』。
あの本に書かれていた「冷めても肉汁が閉じ込められる魔導火入れの極意」が、どこかの公爵夫人の逆鱗(購買欲)に触れたらしい。最終的な落札額は、普通の学生が一生かけても拝めないような大金に化けていた。
「いや、マジで主婦のネットワークとプライドを舐めてたわ……」
学生口座に表示された、カンスト寸前のバカげた残高を見つめ、レインは引きつった笑いを浮かべる。数日前まで飢え死に寸前だった男の口座とは到底思えない。シエルの遠征費の穴埋めを差し引いても、お釣りがお釣りとして機能しないレベルの黒字だ。
だが、プロウォーカーにとって、金は溜め込むものではない。次の「ハック」を成功させるための投資リソースだ。
レインは不敵に唇を吊り上げると、ベンチから立ち上がり、一般人が寄り付かない街の旧市街の地下へと足を向けた。
ポツ...ポツ...パタタタ...
「雨か」
暗雲が立ち込める中、これから装備を整えるため 地下下へ潜る。
◇
敷き詰められたレンガの床が途切れ、湿った土と剥き出しの魔導配管が這う薄暗い地下道を下っていく。街や学園が表向き管理している華やかな地上とは対照的に、ここは国家の検閲や学園の風紀の目が届かない、いわば『システムの死角』だ。
進むごとに、嗅覚を刺す独特の臭気が強くなる。錆びた鉄の匂い、古書の饐えた紙の匂い、そして――書館の遺物が放つ、あの肌をピリつかせる特異な魔力の匂いだ。さらにその先に街の教会下、最底辺へと繋がる暗渠を下っていくと、通称『黒い歯車』と呼ばれる街の最裏路地が広がっていた。
頭上を交差する無数の魔導蒸気の配管からは、絶えずシュウシュウと灰色の煙が吹き出し、レンガ造りの狭い路地を湿った霧で満たしている。時計塔の駆動音が「ゴト、ゴト」と地鳴りのように響くその路地は、昼なお暗く、壁には違法な魔術触媒の実験で焼け焦げた生々しい痕跡が点在していた。
すれ違うのは、顔を深いフードで隠した密輸商や、学園をドロップアウトして犯罪組織の「処理屋」に身を落とした元魔法生のなれの果て。彼らは、レインが通り過ぎるたびに、値踏みするようなぎらついた視線をコートの隙間へと向けてくる。
レインはその怪しい暗街を進み、油まみれの分厚いキャンバスカーテンが下がった一軒の工房をくぐった。
■ ジャンク魔導工房『鉄錆のバグ(ラスティ・グリッチ)』
カーテンの向こうは、地獄の鍛冶場を思わせる熱気とノイズに満ちていた。
天井からは、用途不明の巨大な歯車や、回路の焼き切れた魔導銃の銃身が幾つも吊り下げられ、床には書館の2Fで剥ぎ取られたとおぼしき『追跡者』の甲冑の破片が転がっている。
煤まみれのゴーグルをかけた頑固そうなドワーフ族の技師、通称「オヤジ」が、魔力を帯びたレンチで火花を散らしながら、退屈そうにパイプをくゆらせていた。
「――よぉ、オヤジ。これだけのパーツ、大至急で揃えて俺のマガジン(魔導銃)に組み込んでほしいんだが」
レインが端末から転送した「カスタム仕様書」のデータを見た瞬間、オヤジの煙管がピタリと止まり、その濁った目がぎょっと剥かれた。
「おいおい、兄ちゃん……正気か? 銃身の魔力伝達経路をこんなにバイパスして短絡させたら、弾道計算のシステムが完全にイカれちまうぞ? 弾が真っ直ぐ飛ばねえどころか、銃身内でエラーを起こして暴発し、腕が消し飛ぶレベルのジャンク(欠陥品)だ」
「いいんだよ。真っ直ぐ飛ばなくて(・・・・・・・・)」
レインは静かに笑った。
オヤジの言う通り、このカスタムは世界の物理法則(仕様)からすれば完全な設計エラーだ。だが、レインの狙いはそこにある。
弾道計算のシステムにあえて「過負荷」を与えることで、**『放たれた弾丸が空間の衝突判定を誤認し、壁や遮蔽物を完全に無視して、直角に曲がりながら標的に必中する跳弾バグ(ホーミング)』**を意図的に引き起こすための、レイン考案の改造だった。
「必要な金なら、今すぐ学生口座から一括で決済してやる」
端末を提示すると、オヤジは画面に表示された、公爵夫人が狂い咲いた桁違いの金額に二度見し、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……ヘッ、客の頭がハッピーセットなら、俺ァ文句は言わねえよ。仕様書の狂った数値をそのまま現実にしてやる。ただし、調整に数時間はかかる。その辺で時間を潰してきな」
■ 違法薬品・魔術触媒屋『歪んだ天秤』
魔導銃をオヤジに預けたレインは、さらに裏路地の奥、紫色の怪しい燐光を放つ魔導ランタンが吊らされた一角へと足を向けた。
そこは、店主の姿すら見えない、ガラス瓶と乾燥した怪しげな素材が天井まで埋め尽くす違法アイテム屋だった。カウンターの向こうから聞こえてくるのは、何かが沸騰する不快な泡立ちの音と、酷く鼻を突く酸性の異臭だ。
「……おや、珍しい客だね。学園の綺麗な特待生様が、こんなドブネズミの巣になんの用だい?」
奥から這い出てきたのは、全身に不気味な魔導回路のタトゥーを彫り込んだ、痩せこけた長身の男――裏社会で『コード・ディーラー』と呼ばれる、違法パッチ(薬品)の密売人だった。
男が歪な笑みを浮かべながら、カウンターの上にいくつかのガラス瓶を並べる。
「いいものがあるよ。これは1Fの『猟犬の脳髄』を蒸留した魔力ブースターだ。脳内の魔力回路を強制的に短絡させて、数分間だけ魔法の詠唱速度をゼロにする。……まぁ、使った後は一週間、魔法が暴発する重いバグ(後遺症)が残るがね」
「ノーリスクの力なんて、この世界の仕様には存在しねえからな。……俺が欲しいのはそれじゃなくて、こっちだ」
レインが端末に表示させたのは、特定の座標データ。
「『セーフティ・アンカー』。2Fのセーフティエリアの座標を偽装して、1Fのどこにいても強制的に空間を『安全地帯』としてシステムに誤認させる、使い捨ての違法スクロールだ。あるだろ?」
男の目が細められた。
「へえ……。1Fの『処刑人』や2Fの『追跡者』のタゲ(敵対心)を強制的に切るための、最悪のグリッチアイテムだ。お前、あの中にソロで潜る気かい? あれは1枚で家が建つほどの金が動くよ」
「口座で足りるか?」
レインが端末を提示し、主婦たちの怨念に近い落札額の一部を転送すると、男の顔が引きつった。
「……毎度あり。イカれた特待生様」
手に入れたのは、禍々しい紫の文字が明滅する、世界のバグを凝縮したような巻物。これで、シエルがいないソロ活動の最低限のセーフティネット(保険)は揃った。
■ 新たな相棒と、動き出す歪み
それから数時間。
無事に組み上がった魔導銃を受け取り、レインは『黒い歯車』の裏路地を抜けて地上の光へと戻っていった。
手元に戻ってきた魔導銃は、元のスマートな銀色に輝く銃身の面影を失っていた。鈍い黒銀の光を放ち、バレルには魔力の過負荷を逃がすための非公式な冷却フィンが並ぶ。構えるだけで、内部から「ジジ……」とシステムの拒絶反応のような電子ノイズが漏れる、極上の禍々しいジャンクへと生まれ変わっていた。
「よし……これなら、ナビなしのソロでも、遮蔽物の裏から敵を一方的にハメ殺せる」
新調した銃の不快な振動を手に馴染ませ、心地よい疲労感の中、夜明けの街 学園(表の世界)へと戻ってくると、ふと、前方の掲示板の前に朝早くから人だかりができているのが目に入った。
(なんだ? 朝っぱらから随分と騒がしいな……)
野次馬の生徒たちの間をすり抜け、レインが掲示板に目を向けた瞬間、その目がわずかに細められた。
そこに貼られていたのは、学園の「風紀委員会」および、貴族派閥が牛耳る「学生統括府」の連名による、公式の緊急通達書。
『――カイル・イグノタフによる国家機密搾取により外患誘致の疑いの為、緊急召喚及び学生騎士団活動を永年凍結 カイル・イグノタフは緊急召喚の為目撃者は統括府まで』
周囲の生徒たちが「おい、イグノタフ家のカイルがまた問題を起こしたらしいぞ」「名門の癖に記憶が混濁してるとか噂だったしな」「実家の侯爵家から実質的な更賜じゃないか?」とクスクスと陰口を叩き合っている。
カイルの受難。
世界のバグによって記憶を書き換えられたまま、イグノタフ家の闇に直面していたあの真面目な男が、レインのあずかり知らぬところで、いよいよ貴族社会の陰謀(ハメ技)へと引きずり込まれようとしていた。
「実家からの召喚……ね。シエルが抜けた途端にこれか。タイミングが良すぎるだろ」
レインはコートの裏、新調したばかりの黒銀の魔導銃のグリップと、違法スクロールにそっと手をかけ、冷徹なウォーカーの目を光らせた。
主婦の購買力で大金を掴んだ日常の裏で、世界のシステム(歪み)は、確実に次の破滅に向けて冷酷にコードを書き換えていた。




