第3章・第2話:一攫千金
深夜、学園の敷地の最奥。夜空を突き刺すようにそびえ立つ、巨大な『時計塔の書館』の前にレインは立っていた。
世界にいくつか存在する、あらゆる知識が眠る謎のダンジョン。世界を滅ぼす禁忌の理から、日常の簡単なお掃除術まで、あらゆる本が眠るそのアーカイブこそが、この国における『時計塔の書館』だ。
「ナビ(シエル)がいねえソロ潜入なんて、いつ以来だ……?」
手元の魔導端末の画面で、完全に底を突いた『学生口座』の残高をもう一度だけ確認し、レインは小さくため息をついた。明日の学食すら怪しい現実が、ウォーカーとしての生存本能を無理やり叩き起こしている。
ギルドの依頼や普通のバイトでちまちま稼いでいる時間はない。学生口座のマイナス(デッドエンド)を最速で埋めるには、この書館から富を毟り取るのが一番効率がいい。
だが、現在の書館の状況はきわめて異常だった。
(第2章の事件の後、なぜかマダムは姿を消した。それだけじゃない。この書館を管理していたはずの1Fの『館長』も、2Fの『館長』も、すでにここにはいない。主を失った書館は今、システム防衛用の『猟犬』や『処刑人』、2Fの『追跡者』だけが、狂ったセキュリティプログラムのように徘徊する歪んだ廃墟と化している)
ボスがいないということは、最奥の部屋まで守護者に阻まれずに到達できるチャンスでもある。だが、シエルの索敵ナビがない今のレインにとって、1Fの徘徊者たちを切り抜けるだけでも命がけだ。特に『処刑人』は、侵入者の『影』を認識した瞬間にすべてを両断する、即死級の感知ギミックを持っている。
「裏技のルートは、シエルのナビの同期がねえと位置ズレで奈落に落ちるリスクが高すぎる。……なら、正面からシステム(仕様)の穴を突くしかねえか」
レインは魔導銃のシリンダーを軽く回し、鋭い目を光らせた。
意を決して、時計塔の重い正面扉を押し開け、1Fの正規回廊へと堂々と足を踏み入れる。
冷たい静寂に包まれた回廊。
しばらく進むと、通路の奥から「ガルル……」と不快な唸り声が響いた。嗅覚で侵入者を察知する『猟犬』が2匹、闇から姿を現す。
同時に――ゴォォォォン、と時計塔の重い鐘の音が鳴り響いた。深夜の巡回の時間。最悪なことに、通路のさらに奥から、大鉈を引きずるような金属音が近づいてくる。
ランタンの灯りに照らされて現れたのは、異様に長い手足を持つ漆黒の影――『処刑人』だ。床を凝視しながら、獲物の「影」を探して徘徊している。
(正面に猟犬2匹、その奥に処刑人。シエルがいたら『バカ、引き返しなさい!』って絶叫するレベルの配置だな)
正面から戦えば、猟犬の足止めを喰らっている間に処刑人に影を捉えられ、一刀両断されてデッドエンドだ。だが、レインの唇は不敵に吊り上がっていた。
「処刑人の仕様は『影を見て切る』。……だったら、影さえ見えなきゃ、ただの置物だろ?」
レインは猟犬たちが突進してくる寸前、魔導銃を構え、その銃口を自分たちの頭上――回廊の天井に等間隔で並ぶ『魔導ランタン』へと向けた。
――ズドン! ズドン! ズドン!
正確無比な連射が、天井の光源を次々と破壊していく。
最後の灯りが弾け飛んだ瞬間、回廊は一刹那にして、一寸先も見えない「完全な暗黒」へと包まれた。
「ガ、ガル……!?」
光が消えたことで、猟犬たちが一瞬困惑したように足を止める。
そして何より、光源が完全に消失したことで、この回廊からレインの『影』が物理的に消滅した。
ドサリ……ドサリ……。
暗闇の中、処刑人がレインの目の前を通り過ぎていく。すぐ近くを通り過ぎる死の気配に冷や汗が流れるが、処刑人は目の前にいるレインに全く気づかない。影を認識できないため、AIの索敵フラグが空転しているのだ。
「悪いな。暗闇の中じゃ、お前の即死判定は機能しねえんだよ」
レインは暗視の魔導を薄く目に展開し、処刑人の後ろをすり抜けると、未だに暗闇で立ち往生している猟犬たちの背後に回り込んだ。
無防備な背後への、冷酷なゼロ距離射撃。
――ズドン! ズドン!
反撃の機会すら与えず、猟犬たちを光の粒子へと変える。その後に残されたのは、かつてこの階層を支配していた主の魔力の残滓――『館長なき深淵の魔石』だった。
「よし、まずは学食のA定食1か月分、確保」
ドロップアイテムを拾い上げ、レインはさらに奥を目指す。狙うは、館長たちが消えたことで完全に「無防備な空白」となった、1F最奥の書庫に眠る隠し資産だ。
手元の魔導端末のライトで書架を照らし、お目当てのターゲットを探す。
(『禁忌の魔導書』みたいな国家転覆級のヤバい本は、さすがにこの段階で持ち出すと目立ちすぎる。バレンシュタイン家の検閲に引っかかるリスクも高い。……なら、こいつの出番だな)
レインが本棚から引っ張り出した本の表紙には、古代文字でこう記されていた。
――『失われた至高の宮廷魔導調理術(※現代訳:めちゃくちゃ美味しくなる肉の火入れと簡単お掃除ライフハック)』。
実を言うと、この手の「失われた生活の知恵」が記された本は、お抱えの料理人を囲う貴族の主婦層の間で、信じられないほどのプレミア価値がついて取引されている。呪いの魔導書なんかより、こっちの方がよっぽど実用性があって、足がつきにくく、何より金になるのだ。
戦利品をポーチに詰め込み、あとは脱出するだけ――そう踏んでいたレインだったが、部屋を出て回廊に足を踏み入れた瞬間、天井から「シャリ……シャリ……」という不快な肉質の擦れる音が響いた。
(――ラグがねえ。この気配、まさか……!)
暗視の魔導を展開したレインが天井を見上げた瞬間、総毛立つような戦慄が走る。
そこにいたのは、2階(2F)の領域を守護する絶対的な捕食者――『追跡者』だった。
壁や本棚、天井に蜘蛛のように禍々しく張り付き、その口からは、粘着質な粘液を滴らせた『赤く長い舌』がチロチロと蠢いている。
前回はエレナが圧倒的な武力で一刀両断して切り抜けた強敵だが、今のレインはソロだ。おまけに――。
(クソッ、裏目に出たか……!)
処刑人を無効化するために作った「完全な暗黒」。
しかし、チェイサーの仕様は『赤い舌による熱感知』。周囲の温度が下がった暗闇の中、生きているレインの体温(熱源)は、これ以上ないほど鮮明な「真っ赤な標的」として浮かび上がってしまっていた。
「シャアァァァッ!!」
熱源をロックオンしたチェイサーが、天井や本棚を凄まじい速度で蹴りながら、高軌道型のバグじみた速度で肉薄してくる。
正面から戦えば確実にデッドエンド。しかし、レインの目はまだ諦めていなかった。
「熱感知の仕様ってのはな……対象が『一つだけ』の時に最大効率を発揮するんだよ!」
レインは突進してくるチェイサーを見見据えながら、懐からさっき手に入れたばかりの『館長なき深淵の魔石』を取り出すと、床へと力任せにぶちまけ、魔導銃の引き金を引いた。
――ズドン!!
弾丸の直撃を受けた遺物が、内部の強大な魔力と超高熱のエネルギーを一気に暴発させる。
瞬間、暗黒の回廊の床に、レインの体温を遥かに上回る数千度の『巨大な熱源の塊』が爆誕した。
「シャ、ア……ッ!?」
空中を跳んでいたチェイサーの動きが、目に見えてブレた。
センサーの視界が、レインという小さな熱源と、床の大熱源の処理に追われ、急激な過負荷によるフレームレートの低下を起こしたのだ。
高軌道型ゆえの、速度の制御不能。
標的を見失ったチェイサーの巨体は、レインの頭上を虚しく通り過ぎ、そのまま凄まじい勢いで壁の本棚へと激突した。
「今だ……っ!」
チェイサーが本棚の瓦礫の中でスタック(硬直)している一瞬の隙を突き、レインは全速力で時計塔の正面扉へと駆け抜ける。
重い扉をこじ開け、深夜の冷涼な外気の中へと飛び出したレインは、そのまま一気に学園の闇へと紛れ込んだ。
◇
翌日。
レインは学園の指定商人を経由して、その「お料理・お掃除術の書」を正規のオークションへと出品した。
結果は――大爆発だった。
「領地のお茶会で絶対にマウントが取れる秘密のレシピ」として貴族の夫人たちが意地とプライドをかけて競り合った結果、ただの家事の本が、最新の魔導武器が数挺買えるレベルの異常な高値で落札されたのだ。
ピコン、とレインの魔導端末が小気味いい通知音を鳴らす。
画面を開くと、学園生専用口座(学生口座)の残高が、見たこともない桁数へと一気に跳ね上がっていた。
「……よし。これで学生口座の危機どころか、シエルの遠征費の補填も、俺の装備のフルカスタム分まで完全確保だな」
懐の口座の重みをデジタルで確かめ、レインは冷や汗を拭いながら不敵に笑った。
ナビなしのソロ盗掘、完全勝利。
だが、レインが主婦たちの購買力のおかげで一攫千金にほくそ笑んでいるその頃。
学園の表舞台――カイルの周囲では、もう一つの「政治的なバグ(ハメ技)」が、あるいは社会的な抹殺の罠が、急速に彼をハメ殺そうと動き始めていた。




