第2章・第16話:戦友と書いて『とも』と呼ぶのかもしれない
ギィィ……と重い音を立てて地下書館の鉄扉が開き、四人は眩い地上の光の中へと生還した。
夜の街は、心地よい風が吹いている。地下のあのジメジメとした死の気配や、血と毛糸の匂いが嘘のようだ。四人は一様に泥と埃にまみれ、肩で息をしていた。
「……はぁ。やっと、本当に戻ってきたのね」
シエルがアメジストの髪をかき上げ、地上の空気を胸いっぱいに吸い込む。
その時だった。
カイルが不意に足を止め、振り返った。その視線は、最後尾を歩いていた平民の少年――レインへと真っ直ぐに向けられている。
「レイン・ガレット」
低く、淀みのない声だった。カイルは躊躇うことなくレインの前に歩み出ると、名門貴族としての完璧な所作で、その場に深く頭を下げた。
「……今まで、平民の分際と貴様を蔑み、不当な扱いをしてきたこと、深く謝罪する。本当に、すまなかった」
「カイル君……」
エレナが驚きに目を丸くする。あのプライドがエベレストより高いカイルが、平民に対してこれほど見事な平伏の礼を取るなど、本来なら天地がひっくり返ってもあり得ない光景だった。
だが、記憶を取り戻したカイルにとって、それは当然の行為だった。
本物の父から学んだ真の貴族の精神――強き者は正しくあり、自らの非は潔く認める。それこそが、イグノタフ家の本物の誇りだった。
「おいおい、頭を上げろよ大天才。らしくねえな」
レインは調子を狂わされたように苦笑し、肩をすくめた。
「いいって。俺もお前を散々ハメ技のデコイ(囮)扱いしたんだ、お互い様だろ。ゲームクリアすりゃ、それまでの敵対プレイなんてノーサイドだ」
「いや、私の騎士道精神がそれを許さない。貴様は私の魂の恩人であり、卓越した戦術家だ。これまでの無礼、どれほど悔いても――」
カイルは本気で申し訳なさそうに、眉をひそめて胸に手を当てている。そのあまりの生真面目さに、レインが逆に居心地悪そうに視線を逸らした、その時。
「――しかし!」
ガシッ、とカイルがレインの肩を軽く拳でこづいた。
「それとこれとは話が別だ! 貴様、この私に『魔道防護服』を洗わせただろう! あの屈辱だけは、この次期当主として絶対に許さぬからな!」
「あ? あれはお前が自分でやるとか言い出したんだろ。効率的な役割分担だっつうの」
「やかましい! 貴族の最高級シルクを平民の洗濯板で洗わせおって、指が擦り切れるかと思ったわ!」
プイッと顔を背けるカイルの横顔には、いつもの少し傲慢で、しかしどこか憎めない「大天才」のトーンが戻っていた。
それを見たエレナとシエルが、同時にクスリと笑い声を漏らす。張り詰めていた緊張が、ようやく完全に解けた瞬間だった。
「ふふ、二人とも、そのくらいに。ひとまず今回は『外地実習』の完了報告を済ませて、各自の寮へ戻りましょう。皆さん、本当にお疲れ様でしたわ」
エレナの言葉に全員が頷き、解散の流れとなる。
シエルが「じゃあね、レイン。また明日」とアメジストの瞳を少し揺らしながら手を振り、カイルも「明日からは、少しは敬意を払って呼び捨てにしてやろう」と相変わらずの調子で去っていく。
レインも自分の宿舎へ戻ろうと足を進めた、その時。
「あの、レインさん」
背後から、エレナが少し早足で呼び止めてきた。
振り返ると、風紀委員長としていつも凛としているはずの彼女が、なぜか少し指先をもじもじとさせながら、上目遣いでレインを見つめている。泥で汚れてはいるが、夕日に照らされた彼女の横顔は、ハッとするほど綺麗だった。
「どうした、委員長? まだ何か事後処理でも残って――」
「いえ、そうではなくて……その」
エレナは少し頬を赤らめ、意を決したように言った。
「もし、よろしければ……この後、少し場所を変えて、一緒に食事でもいかがですか?」
「飯?」
「はい。今回の『任務の裏側』について、少し二人だけで情報を整理しておきたくて……。学園の食堂や私の私邸では目立ちますし、その……レインさんが普段行かれるような、城下町の『居酒屋』と呼ばれる場所を調べておきましたの! 個室のある、静かなお店ですわ!」
「……は?」
あの超が付くほどのお嬢様で、規律の塊である風紀委員長のエレナから、まさかの「居酒屋」という単語。
おそらく彼女なりに、レインが気後れしないように、かつ周囲に話が漏れない場所を必死に考えた結果なのだろう。しかし、高級お嬢様と大衆居酒屋というあまりにもミスマッチなチョイスに、レインは呆気に取られてしまった。
「お、お嫌でしたら別の場所でも……!」
慌てるエレナを見て、レインはフッと口元を緩める。
「いや、いいぜ。ちょうど俺も腹が減ってたところだ。じゃあ、ひと風呂浴びたらその居酒屋ってやつに案内してくれよ、委員長」
「――! はい、喜んで!」
ぱっと表情を明るくしたエレナの笑顔を見ながら、レインは「居酒屋メニューに困惑するお嬢様」の姿を想像して、少し愉快な気分になっていた。ただの平民特待生にとって、これはクソゲーのルート分岐にもない、完全に予想外の、しかし悪くないハプニングイベントだった。




