第2章・第14話:父と子
「う、嘘だ……。なぜ父上の最期が、こんな場所に記録されている……!」
カイルの声は完全に震えていた。いつも平民を見下す彼のエベレストのごときプライドは木っ端微塵に砕け散り、ただの一人の怯える子供のように、目の前の幻影を見つめている。
【真実の碑文】から溢れ出した記憶の光。それは、現在のイグノタフ家現当主の、決して表に出るはずのない**「最悪の真実」**だった。
「……待て。あの碑文、魔力の循環構造がおかしいわ」
プロウォーカーであるシエルのアメジストの瞳が、恐怖に細められる。
「ただ地脈から魔力を汲み上げているんじゃない……。人から奪った『記憶データ』をすり潰し、純粋な燃料へと変換して国中に供給しているんだわ。あの碑文は……人間の魂を燃やす、外道な永久機関よ」
その凄惨なシステムが証明されるように、幻影の景色は十数年前のイグノタフ家本邸――炎に包まれた廊下を映し出す。
そこには、血まみれになりながらも、幼いカイルを背後に庇って剣を構える高潔な騎士の姿があった。カイルの実の父親だ。
その対面には、現在の現当主と同じ顔をした男が、怪しく光る記憶奪取のナイフを手に笑っている。すでに男の術式によって、幼いカイルの意識は混濁し、目は虚ろに濁っていた。
『カイル、逃げなさい……! その男の言葉を聞いてはならない!』
実の父親が、必死に大声で叫ぶ。
だが、すでに「偽物の父親」によって記憶を書き換えられ、洗脳の術式を施されていた幼いカイルは、実の父親を「侵入者の悪党」だと認識していた。
『あ……、あ……悪党、め……! 父上に、近寄るな……ッ!』
幼いカイルが、虚ろな目のまま短剣を拾い上げる。
そして――実の父親が偽物の男を迎え撃とうと踏み込んだその瞬間、背後から実の父親の背中を、深く、深く突き刺した。
『がはっ……!? か、カイル……なぜ……』
驚愕に目を見開き、血を吐きながら振り返る父親。
だが、その目は息子への怨みではなく、深い悲しみと、守りきれなかった悔恨に満ちていた。父親はそのまま、力尽きる。
『――よくやったぞ、我が息子よ』
炎の奥から、偽物の男が哄笑しながら歩み出てくる。
『これで本物の当主は死んだ。お前の手で本物の父親を殺したというその最高の『記憶』は、国の心臓部への特上の燃料として捧げてもらおう。お前はただ、私を本当の親だと信じる操り人形でいればいい――』
◇
パリンッ……!
不意にガラスが割れるような音が響き、炎に包まれた館の幻影が崩壊していく。
レインの手の中で暴れていた『昏き結晶(データ構造体)』が、その凄惨な過去ログを完全に吸い出し終えたのだ。
「あ……、あ、あああああああッ!!」
カイルは儀礼剣を床に落とし、自分の両手を凝視したまま、発狂せんばかりの悲鳴を上げて床に膝をついた。
「私の手が、父上を……っ! 偽物の男に踊らされ、本物の父上を背後から刺したというのか……っ! そんな不条理があって、たまるかァッ!!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、自らの手を石畳に打ち付けるカイル。
彼が必死に「完璧な次期当主」であろうとした努力の全てが、実の父親を殺した偽物の男に認められたいという、書き換えられた最悪の奴隷の行動だったのだ。
「そんな……あまりにも残酷すぎますわ……」
エレナが衝撃の事実に口元を抑え、涙を流す。
だが、レインの手の中の『昏き結晶』は、まだ不気味に脈動を止めていなかった。
碑文の赤い警告光が消え、今度はまるで、天の川をそのまま引きずり下ろしたかのような、圧倒的な光の粒子が吹き荒れた。それは国の心臓部に蓄積されていた、カイルに関する『全ての記憶のバックアップ』。レインの結晶がトリガーとなり、完全に封印されていたカイルの本当の過去が、行き場を求めて暴流となって溢れ出したのだ。
「カイル、受け止めろ! てめえの本当の人生だ!!」
レインが叫ぶと同時、光の奔流がカイルの身体へと一気に収束し、突き刺さった。
「が、あ、ああああああああああああああああッ!!!」
カイルが両手で頭を抱え、絶絶叫する。
その脳内に、魂に、奪われ、書き換えられていた十数年分の膨大な情報が、凄まじい速度で**「逆再生」**されていく。世界の時間が超高速で巻き戻るような感覚がカイルを襲った。
バキバキと音を立てて、偽物の父親によって植え付けられていた「都合のいい操り人形の記憶」が砕け散っていく。
代わりに、鮮明な色彩を持って蘇る、本当の過去。
――優しい笑顔で、自分に剣を教えてくれた本物の父親の温もり。
――「お前はイグノタフの誇りだ」と、小さな頭を大きな手で撫でてくれた記憶。
――平民を蔑む歪んだ思想ではなく、「強き者は弱き者を守るためにある」という、本物の父から教わった真の貴族の精神。
それだけではない。
偽物の父親の術式によって、これまで強制的に「平民への嫌悪感」へと変換されていた脳内の不快感の正体が、すべて【偽親父への本能的な恐怖と拒絶反応】だったのだと、すべての辻褄がパズルのピースのように完璧に噛み合っていく。
(私は平民が嫌いだったわけではない! レイン、お前を拒絶していたのは、あの男に植え付けられた『違和感』を隠すための防衛本能だったのか……!)
実の父親を刺してしまった最悪のトラップ。しかしそれ以上に、本当の父親が自分に注いでくれていた本物の愛情の記憶が、カイルの魂の奥底に眠る「本物の誇り」を激しく呼び覚ました。
「あ……っ、がはっ……!」
光の奔流が収まり、カイルは激しく息を荒くしながら床に両手をついた。
その背中は、先ほどまでの絶望に打ちひしがれた子供のそれではない。カイルは静かに立ち上がった。その瞳からは、いつもの傲慢な「ドヤ顔」の気配が綺麗に消え失せ、代わりに名門の血脈が持つ底知れない気高さと、偽物の父親(仇敵)に対する烈火のごとき静かな怒りが宿っていた。
「……すまない、エレナ。見苦しいところを見せた」
その声は、驚くほど低く、毅然としていた。
「カイル、記憶は完全に繋がったか?」
魔導銃を肩に担ぎ、フッと笑うレイン。
カイルは真っ直ぐにレインを見つめ返し、手の中で黒く輝く結晶を指差した。
「ああ、完璧に思い出したよ、レイン・ガレット。お前の言う通り、父上のデータはまだそこに生きている。……私はあの日からずっと、我が家を騙るあの男に踊らされていた。だが、それも今日で終わりだ」
カイルは剣を強く握りしめ、その刀身に、先ほどまでとは比べ物にならないほど高密度で純粋な『黄金の魔力』を纏わせる。記憶のロックが外れたことで、彼の持つ膨大な魔力プールが、本来の正しい出力で完全に覚醒したのだ。
「私を肉の盾扱いした平民の不敬は、後でたっぷり教育してやる。だが……今はお前の言う通りだ。イグノタフの次期当主として、あの偽物に、我が一族をハメた代償を骨の髄まで払わせてやる」
レインはいつもの、ハメ技を思いついた時の極悪な笑みを浮かべた。
「外地実習はこれでクリアだが、メインシナリオはここからだ。さあ、学園に戻って、その偽物の親父に盛大な『クソゲーの洗礼』を仕掛けに行こうぜ」
国家を揺るがすイグノタフ家の闇。その真実を暴き、本物の「大天才」として覚醒した騎士を得たパーティは、次なる戦いの舞台である「地上」へと、確かな反撃の牙を研ぎながら歩みを進めるのだった。




