第2章・第11話:絡みつく絶望と、二つの戦端
カタカタカタカタ……。
暗黒の回廊に、木製の棒と棒が規則正しく噛み合うような、不気味な編み針の音が反響する。
カイルの掲げるランタンの光が照らし出したその姿は、ボロボロに擦り切れた古びた衣服を纏い、力なく宙に浮遊する半透明の巨大な老女――『編み物の亡霊』だった。
底知れぬ虚無をたたえた落ち窪んだ両目は、誰を見るでもなくただ虚空を彷徨い、己の身長ほどもある巨大な編み針を、狂ったような速度で黙々と動かし続けている。
「おいおい、不可視の狙撃手を倒した直後に休む間もなく連戦かよ……! どんだけプレイヤーを殺してぇんだ、このクソ運営はっ!」
レインがギリッと奥歯を噛み締め、理不尽すぎるゲームバランスに苛立ちの声を上げる。
そんな彼の舌打ちを他所に、亡霊が虚ろな目のまま指先を動かすと、足元の石畳に真っ白な蜘蛛の巣のような魔法陣――『白い糸』が放射状に広がっていった。
「チッ、足場を持っていかれるぞ! 踏むな!」
レインの警告と同時、亡霊が編み上げていた不気味な「ぬいぐるみ」が床へと放り投げられる。
それが魔力に触れた瞬間、グズグズと膨張し、かつてレインたちが死線を潜り抜けた1階の『猟犬』と、2階の『処刑人』の姿へと変貌したのだ。しかも、それぞれ複数体。
「冗談じゃねえぞ……過去ボスのボスラッシュかよ!」
「レイン、来るわよ!」
シエルの叫びと共に、ぬいぐるみの群れが一斉に襲いかかってきた。
さらに亡霊の本体からは、手裏剣のように鋭い『かぎ針』が雨あられと射出され、うねる『黒い糸』が生き物のように空間を這い回る。
「エレナ、カイル! お前ら前衛組はあのデカブツ(本体)を叩け! 召喚された雑魚の群れは、俺とシエルで引き受ける!」
「承知いたしましたわ!」
「ふん、言われずとも! 平民どもは私の背後で震えながら雑用をこなしているがいい!」
瞬時に戦場が二分された。
◇
「――シエル、右から犬が三匹だ! 気をつけろ、あいつらは視覚じゃなく『音』と『匂い』で正確にこっちを追尾してくる!」
レインはそう叫ぶと、腰のポーチから刺激臭を放つ錬金薬の小瓶を取り出し、通路の隅へと力一杯投げつけた。
パリーン! という破砕音と強烈な匂いに釣られ、駆け出していた猟犬たちのヘイトが分散し、一斉にそちらへ首を向ける。
「今よ! 空間、施錠!」
シエルが腰のポーチから真鍮の『魔法鍵』を引き抜いて虚空に突き立てた。
ガチャンッ! という小気味いい音と共に、空間そのものに見えない鍵がかけられる。匂いに釣られて跳躍しようとした猟犬たちの動きが、空中で完全に静止した。
「ナイスだ!」
ズガァン! ズガァン!
レインが流れるような動作で魔導銃を引き絞り、空中で縫い止められた猟犬の頭部を的確に撃ち抜いていく。撃破された猟犬は、ただのボロボロの毛糸の塊となって床に崩れ落ちた。
「次は正面、処刑人が二体来るわよ!」
「あいつのデカい得物には法則がある! こっちの本体じゃなく『影』を見て両断してくる初見殺しだ!」
レインの言葉を証明するかのように、処刑人が振り上げた巨大な凶器が、ランタンの光によって長く伸びたシエルの影を正確に捉え、床ごと叩き斬ろうと迫る。
「影を狙うなら……光源をいじればいいわ! 光源、解錠!」
シエルが空中で手首を返し、魔法鍵をカチリと回す。
すると、先ほどカイルに放っていた魔力チャフの残滓が一時的に強烈な閃光を放ち、周囲の影を完全に打ち消した。目標の影を見失い、処刑人の大振りが虚しく空を切る。
「足元を崩す! シエルは右腕(得物)を頼む!」
「ええ!」
レインが放った足止め用の散弾が処刑人の膝を砕き、巨体の体勢が大きく崩れる。その一瞬の隙を突き、シエルの魔法鍵が処刑人の持つ巨大な刃を、空間ごと『施錠』して完全に封じ込めた。
阿吽の呼吸。二人の間には、言葉以上の完璧な連携が成立している。
「ほんと、その鍵便利だよな。一家に一本欲しいレベルだぜ」
レインが銃の排莢をカシャッと鳴らしながら、余裕の笑みで軽口を叩く。
「こんな時にバカ言ってんじゃないの! まだ次が来るわよ!」
シエルが鋭く叱責しながらも、その横顔にはプロウォーカーとしての頼もしい笑みが浮かんでいた。
◇
一方、本体である『編み物の亡霊』へと肉薄した前衛組――エレナとカイルは、かつてない苦戦を強いられていた。
「ハアアアアッ!」
カイルが膨大な魔力を叩き込んだ儀礼剣を振り抜き、飛来する無数のかぎ針(手裏剣)を叩き落とす。
その隙を突き、エレナが神速の踏み込みで亡霊の懐へと潜り込もうとした、その時だった。
「――っ!?」
エレナのブーツが、床に張り巡らされた『白い糸』に捕らわれた。
自慢の超絶な脚力が粘着性の魔力によって殺され、動きが決定的に鈍る。
「エレナ、危ない!」
カイルの悲鳴。
エレナの隙を見逃さず、亡霊の指先から放たれた『黒い糸』が、蛇のように彼女の右腕へと絡みつこうと迫る。
事前にレインから「あの黒い糸に巻かれた部位は、意思を奪われて味方を攻撃してくる」と聞かされていた極悪ギミックだ。
「させませんわ……っ!」
エレナは無理やり身体を捻り、辛うじて黒い糸を剣の腹で弾き飛ばした。
しかし、弾かれた糸は生き物のように軌道を変え、今度はカバーに入ろうとしたカイルの左足へと襲いかかる。
「おっと! させるか!」
カイルが大きく後ろへ跳躍し、間一髪で黒い糸を回避する。
だが、大きく距離を取らされたことで、再び彼らの足元には白い糸の魔法陣が敷き詰められ、亡霊との距離が振り出しに戻ってしまった。
「くそっ……! なんだあの忌々しい糸は! 近づこうにも足場を奪われ、防ごうにも触れれば身体の自由を奪われるとは!」
カイルがギリッと奥歯を噛み鳴らす。
彼の内包する膨大な魔力と剣技をもってすれば、本来なら強引に突破できるはずだった。だが、足元の白い糸による機動力の低下と、一撃でも触れれば終わる黒い糸のプレッシャーが、二人の攻め手を完全に封じ込めている。
「カイル君、焦ってはダメです! あの黒い糸の軌道……私たちが攻め込もうとする瞬間に最も鋭く反応していますわ」
「分かっている! だが、このままではジリ貧だぞ!」
息を弾ませるエレナと、冷や汗を流すカイル。
頼みの綱である二人の剣撃は届かず、亡霊はただ冷たい虚ろな目のまま、カタカタと次なる死の編み物を紡ぎ続けている。
後衛のレインたちが押し寄せる召喚獣を完璧に捌いているものの、前衛の二人の体力と精神力が削り取られていく中、戦況は徐々に、しかし確実に絶望の淵へと傾き始めていた。




