転反:話01・章2第
地下3階層の扉を抜けた瞬間、肌を刺すような冷気と、濃密な魔力の匂いが鼻腔を突いた。
「ふん……さすがに3階層ともなると、空気の重さが違うな。だが恐れることはない、私の光についてきたまえ!」
カイルは相変わらずのドヤ顔で大股に暗黒の回廊へと進み出ようとする。
「おい、待て。焦るな大天才」
「な、何をするんだ平民! 私のノブリス・オブリージュの邪魔をするな!」
レインがその制服の襟首を後ろからガシッと掴んで引き留めた。
「邪魔してねぇよ。お前がいくら強くても、突っ込んで即死されたらエレナの目的が果たせなくなるだろ。シエル、予定通りのやつ、先に行っとこうぜ」
「ええ、了解」
シエルが腰のポーチから複数の魔導具を取り出す。
「カイル君、少し眩しくなるわよ。――【魔力チャフ・信管解放】」
シエルが投げ放った金属球が、カイルの頭上でパァン! と小気味いい音を立てて破裂した。キラキラとした微細な魔導粒子の塵が、カイルを中心とした周囲の空間へ一気に拡散していく。
「お、おい!? 何を散布したんだ! 髪に付いたらどうする!」
「ただの『チャフ』よ。魔力の残響を乱反射させて、敵の探知精度を狂わせる効果があるの。カイル君、そのままそのランタンを掲げ続けてね。光とチャフが混ざり合うことで、敵への最高の目眩ましになるから」
(――というのは、半分嘘だけどね)
シエルは心の中で付け加えた。
このチャフは、確かに狙撃手の照準を狂わせる。だが同時に、このチャフの粒子は『疑似生体デコイ・ランタン』が放つ魔力波と共鳴し、カイルのいる座標をこれ以上ないほど強烈に発信し続ける**「ヘイト増幅剤」**でもあった。
続いてシエルは、出力を極限まで高めた『反射シールド』の呪符をカイルの背中にピタリと貼り付ける。
「よし、これで防御陣地の設営は完了。これでカイル君の騎士としての安全はバッチリよ」
「ふっ……わざわざ平民の小細工など借りずとも、私の魔力防御で事足りるのだがね。まあ、君たちの私への配慮と忠誠心には免じて、ありがたく使わせてもらうとしよう」
カイルはフッと髪をかき上げ、チャフの光を浴びながら満足げに微笑んだ。
その姿を見つめ、エレナはぎゅっと胸の前で手を握りしめ、言葉を呑み込む。
(カイル君……本当にごめんなさい。でも、あのチャフとシールドがあれば、あなたが狙撃手の一撃目で即死することだけは防げるはず……!)
全ては、狙撃手の『最初の一発』をカイルに受けてもらい、その瞬間に銃口の光と弾道をシエルが完全に逆探知して仕留めるための、レインの冷徹な攻略プランだった。
「……よし、お膳立ては済んだな」
レインが不敵に笑った、その瞬間だった。
――ズガアアアァン!!!
鼓膜を震わせるほどの轟音と共に、凄まじい衝撃波がカイルの頭上を襲った。
「うわああああっ!?」
カイルが情けない悲鳴を上げてその場に縮こまる。
間一髪、シエルが展開した『反射シールド』がハチの巣のような幾何学模様を展開し、カイルの頭上へと放たれた超高圧縮の狙撃魔法をかろうじて弾き、霧散させた。
「き、今のは、何だ……っ!? どこから攻撃された!?」
「……やっぱり来やがったか。だが、狙いが大きくズレてんな」
レインは冷徹にその弾道を視線で追った。
先ほどの帝国スパイは、寸分の狂いもなく眉間を一撃でブチ抜かれていた。しかし、カイルへの初撃は、頭上を大きくかすめるようにしてシールドに直撃している。
「シエルのチャフが効いてるのね……!」
「いや、それだけじゃねえな。見てみろよ、あのランタンとカイル自身の魔力だ」
デコイ・ランタンの異常な輝きに呼応するように、カイルが本来持つ名門貴族としての膨大な魔力が、チャフの粒子を巻き込んで乱気流のように激しく渦巻いていた。
不可視の狙撃手からすれば、現在のカイルは『巨大すぎて輪郭がブレまくっている魔力の塊』にしか見えていないのだ。標的の存在ははっきり認識できているのに、放たれる魔力が大きすぎて、急所への『精密射撃』が完全に狂わされている。
「フ、フン……! 驚かせてくれたが、この程度の不意打ち、私の膨大な魔力防御の前には蚊に刺されたようなものだ!」
カイルはガタガタと膝を震わせながらも、即座にドヤ顔を取り繕って立ち上がった。
「さあ行くぞ、カイル。お前の高潔な背中、後ろからじっくり拝ませてもらうわ」
「っ、な、何が『じっくり拝ませてもらう』だ! 君たち平民は、私の後ろで縮こまって震えているといい!」
虚勢を張って再び一歩を踏み出すカイル。眩い光を放ち、周囲の魔力チャフを巻き込んで荒れ狂う彼の魔力は、暗黒の回廊を進む巨大な灯台そのものだ。
――ズドォン!!!
――ガガァン!!!
カイルが歩を進めるたび、闇の奥から目に見えぬ死神の鉄槌が容赦なく飛来する。
右肩をかすめ、足元を穿ち、頭上のシールドを激しく叩く魔力弾。だが、そのどれもがカイルの巨大な魔力の陽炎に惑わされ、絶妙に急所を外れていた。
「うおっ!? ひ、冷やっとしたな今のは! しかし、私の絶対的なノブリス・オブリージュの精神が、この程度の障害で折れると思うなよ!」
悲鳴を上げつつも、カイルはランタンを高く掲げ続ける。「エレナの前で無様な姿は見せられない」という下心とプライドが、本能的な恐怖を奇跡的に凌駕していた。
「……シエル、どうだ?」
「バッチリよ、レイン。弾道計算は完璧。……11時の方角、距離140、上層のキャットウォークの影。あそこに『見えない死神』が潜んでる!」
「よし、お買い上げだ」
レインの口元が、極悪非道な形に歪む。
極上の肉の盾というデコイをハメ込み、シエルの超高精度な逆探知を噛ませることで、あの理不尽なクソゲーのボスは完全に居場所を晒されていた。
「エレナ、カイルをそのまま歩かせろ。派手にやればやるほど、あいつの狙いはカイルに固定される」
「は、はい……っ! カ、カイル君! そのまま真っ直ぐ進んでくださいまし! あなたのその光だけが、私たちの希望ですわ!」
パニックでかつてのお嬢様言葉に戻ってしまったエレナの声に、カイルはさらに胸を張る。
「任せたまえエレナ! 私がこの深淵の闇を、全て照らし出して見せ――」
――ズガアァン!!!
「ぶふっ!?」
顔面のすぐ横を特大の一撃が通り過ぎ、風圧でカイルの髪が無惨に吹き飛ぶ。
しかし、その一瞬の閃光こそが、狙撃手が位置を微調整した決定的な隙だった。
「シエル、合わせて」
「ええ。――借りはお返しするわよ、死神さん」
レインとシエルが同時に、暗黒の天井へと銃口を跳ね上げた。
11時の方角へ向けて、二人の魔導銃から同時に容赦ないカウンターの一撃が撃ち放たれる。
ドガアアァン!!!
正確無比に撃ち抜かれたキャットウォークの影が激しく爆ぜ、周囲に鉄の破片が飛び散った。
「やった……!?」
エレナが歓喜の声を上げようとした、その瞬間。
「――いや、違う! 回避しろ、シエル!!」
レインの脳細胞が、かつてない速度で危険信号を叩き出した。
撃ち抜いたはずの場所から、不自然なほどの魔力の残響が霧のように霧散していく。
(……デコイだ! 狙撃手がいた場所自体が、偽物の座標(囮)だったんだ……!)
「見えない死神」は、最初から自分たちの逆探知を予測し、偽の光源を配置して潜伏していたのだ。
「なっ……!?」
シエルが目を見開いたのと同時、周囲の空間がぐにゃりと歪む感覚が一同を襲った。
地下3階層――この階層の真の脅威は、空間そのものが知覚を狂わせるように『反転』する構造を持っていることだ。右が左になり、上が下になり、そして、前が後ろになる。
「位置が、反転している……!? レイン、真逆よ! 私たちの背後――っ!!」
11時の方角の真逆。すなわち、5時の方角、すぐ目と鼻の先の至近距離。
カイルが掲げるランタンの眩すぎる光が、乱反射するチャフの粒子を透かして、自分たちのすぐ背後の闇を白日の下に晒した。
そこには、音もなく銃口をこちらへと突きつけている、漆黒の防衛機構の姿が、完全に『反転』して出現していた。
狙撃手の冷徹なレンズが、今度はカイルではなく、デコイの裏で糸を引いていたレインとシエルを完全にロックオンする。
「チッ、このクソゲーが……!」
絶体絶命の至近距離から、『不可視の一撃』が放たれようとしていた。
だが、その銃口の正面――つまり、一行の最後尾にいたはずのシエルとレインのさらに後ろ、反転した空間の「先頭」にすっぽりと収まる形になった男がいた。
「っ、おい平民ども! 先ほどからなぜ、私ばかりに狙撃が集中しているのかね!? 貴様ら、まさか私を盾に……」
眩しすぎるランタンを掲げたまま、カイルがガタガタと震えながらひとりごちる。
空間が真逆に反転したということは、最後尾にいたはずのカイルが、今や狙撃手の最も目の前――文字通りゼロ距離の「肉の盾」として最前線に躍り出てしまったということだ。
ランタンから放たれる致死量レベルのヘイト魔力は、反転した空間でも健在だった。
至近距離に出現した防衛機構の冷徹なレンズが、強烈な魔力の塊であるカイルへと、システム上の優先ターゲットを強制的に再ロックオンする。
「カイル、動くな!!」
レインが叫ぶ。同時に、シエルの体がプロの速度で動いた。
「シエル、合わせろ!」
「了解っ!」
狙撃手の銃口がカイルの胸元へと補正される、わずかコンマ数秒の隙。
レインとシエルは、カイルの背後からすり抜けるようにして、ゼロ距離で立ち塞がる漆黒の防衛機構へと肉薄した。
カイルの放つブレまくった魔力の陽炎のおかげで、至近距離であるにもかかわらず、狙撃手の初撃の照準はやはり微妙にカイルの急所からズレている。その銃身が火を噴くよりも早く、シエルの強化された反射シールドが、物理的な打撃を伴って狙撃手の銃口を強引に跳ね上げた。
ズガアアァン!!!
弾かれた魔力弾がカイルの耳元を爆音と共に通り過ぎ、背後の壁を派手に粉砕する。
「ひゃうっ!?」
情けない悲鳴を上げてすくむカイルの視界の先で、レインが魔導銃の銃口を、狙撃手の剥き出しになった魔力コアへと完全に押し付けた。
「偽物の配置に空間反転か……。初見殺しも大概にしろよ、クソシステムが」
レインの目が、冷酷な色に染まる。
「お前が死神なら、俺はゲーマーだ。――チェックメイトだ、ボケナス」
至近距離から放たれたレインの零距離射撃が、見えない死神のコアを内側から跡形もなく爆砕した。
◇
ガラスが割れるような甲高い音と共に、漆黒の防衛機構が魔力の霧となって霧散していく。空間を歪めていた『反転』のギミックも解除され、周囲の景色が本来の暗黒の回廊へと戻っていった。
「は、はは……。見たまえ平民ども! 私を狙う不届き者など、私の絶対的な魔力防御の前には児戯にも等しいのだ!」
風圧で髪をボサボサにされたカイルが、未だにガタガタと膝を震わせながらも、即座にドヤ顔を作ってランタンを掲げ直した。
「……はぁ。死ぬかと思ったわ」
シエルがふぅと息を吐きながら、愛銃の残弾を確認する。
レインは消滅した防衛機構の残滓を見つめながら、小さく舌をチッと鳴らした。
「他国のスパイが潜り込んでるのかと思いきや、ただの学園の防衛機構かよ……。あの螺旋階段の死体は、単純にこれに引っかかって眉間ブチ抜かれただけってわけだ。紛らわしい配置しやがって、クソ運営が」
「でも、これで3階層の脅威は去ったのですわね……?」
エレナが恐る恐る顔を上げ、周囲を見回す。
「ああ、とりあえず『不可視の狙撃手』はハメ殺した。これで安全に奥へ――」
レインがそこまで言いかけた、その時だった。
――カタ、カタ、カタ、カタ……。
暗黒の回廊の奥から、妙に場違いな、規則正しい『硬い音』が響いてきた。
それは、木製の棒と棒が不気味に噛み合うような音。
「な、何の音かしら……? 防衛システムは、今ので全部じゃないの?」
シエルが再び銃口を向け、レインも即座に警戒レベルを最大に引き上げる。
カイルの掲げるランタンの眩すぎる光が、音の鳴り響く通路の奥を白日の下に晒した。
そこにいたのは。
ボロボロの衣服を纏い、宙に浮きながら、虚ろな目で黙々と編み物をしている、半透明の巨大な老女の姿だった。
カタカタカタカタ、と不気味な速度で編み針が動く。
彼女が編み上げているのは、どす黒い魔力の糸で紡がれた、巨大な『何か』。それが一編み進むごとに、3階層全体の魔力濃度が異常な勢いで跳ね上がっていく。
「おい、冗談だろ……。狙撃手はただの道中の雑魚(中ボス)かよ……!」
レインの顔から余裕が消え失せた。
前のループでは、狙撃手に一瞬で肉塊に変えられたため、その先に何がいるかなど知る由もなかったのだ。
この地下3階層の真のエリアボス。
理不尽な反転空間の奥で静かに糸を紡ぐ、**『編み物の亡霊』**が、ついにその姿を現したのだった。




