第2章・第6話:プロの流儀と最悪の身代わり(デコイ)
眉間を貫かれる、あの最悪な感触。
ガバッとベッドから跳ね起きた私は、無意識に自分の額を強く擦っていた。
「……血は、出てない。穴も空いてない、か」
冷や汗で張り付く前髪をかき上げ、自室の鏡を睨みつける。そこには、いつもと変わらない私の顔があった。
素人ならパニックを起こして泣き喚くところだろうが、生憎と私はプロのウォーカーだ。修羅場なんて数え切れないほど潜り抜けてきた。即座に現状を分析し、思考をクリアにする。
記憶は鮮明だ。時計の秒針のような『カチ、カチ』という音。限界まで圧縮された魔力の光。そして地下書館3階の扉を開けた瞬間、不可視の狙撃によって脳天を撃ち抜かれた、あの圧倒的な『死』の感覚。
夢や幻ではない。確実に一度、私は殺された。
「時間遡行のアーティファクト……いや、あの階層そのもののギミックね。完全に死に戻りしてるわ、私」
ふぅ、と深く息を吐き出し、私は感情を急速に冷却していく。
恐怖はない。あるのは、腹の底から湧き上がるような、どす黒い怒りだ。
「……よくもやってくれたわね、どこの馬の骨とも知れないクソスパイ。私の美しい顔面に風穴を開けるなんて、万死に値するわ」
鏡の中の自分に向かって、ひんやりとした声が漏れる。
あんな理不尽な初見殺しで、この私のプライドを傷つけたのだ。手も足も出ない状況に追い込んでから、絶望させて殺してやる。
クローゼットを開き、窮屈で野暮ったい学生服を床に蹴り飛ばした。
代わりに身に纏うのは、私の『本業』の装束。身体のラインにぴったりと吸い付く漆黒の特殊防護服に腕を通し、各種魔導具やトラップのパーツを仕込んだホルスターを腰と太ももにしっかりと固定する。
「待ってなさい、レイン。今すぐ行くわよ」
あの生意気な坊やと、無駄に胸のデカい委員長も、きっと私と同じように死の記憶を抱えてブチギレているはずだ。一刻も早く合流して、あのクソゲーのハッキングを開始しなければ。
私は愛用の銀鍵をチャキッと鳴らし、最高なカウンターを仕掛けるべく、朝の学園へと歩みを進めた。
◇
学園の正門を潜った瞬間から、周囲の空気が一変したのがわかった。
平民や特待生を見見下し、自身の血統を鼻にかける名門貴族の生徒たち。普段は偉そうにふんぞり返っている彼らが、私の姿を見るなり色めき立ち、サァッと道を空けていく。
無理もない。今日の私は、変装コスプレ用の制服ではなく、機能性と隠密性を極限まで高めたプロウォーカーのフル装備だ。身体のラインを強調するタイトな防護服に、太ももや腰には無数の魔導具と銀鍵。実戦を潜り抜けてきた本物の「死線」のオーラと、20歳の大人の色気は、温室育ちのヒヨッコたちには刺激が強すぎるのだろう。
「お、おい……あんな美人の先輩、学園にいたか……?」
「あのタイトな服……す、すごいプロポーションだ……」
「待て、あの腰の銀鍵、まさかプロのウォーカーか!?」
廊下の端では、あの高慢ちきなイグノタフ家の嫡男・カイルまでもが、顔を真っ赤にしてこちらに見惚れていた。彼が数時間後、私とレインによって『史上最悪の肉の盾』として地獄を見ることになるなど、今は知る由もないだろう。
発情した視線など一切気にも留めず、私は冷徹なプロの眼差しで一直線にレインの元へ歩み寄った。
教室の後ろでは、すでにレインとエレナが深刻な顔で話し込んでいた。私の姿を認めたレインが、ニヤリと悪党のような笑みを浮かべる。
「おはよう、シエル。ずいぶんと殺意の高い格好だな。……やっぱりお前も、分かってるんだろ」
「ええ。挨拶代わりの風穴のお礼を、タップリしてやらないと気が済まないの」
私が静かに、だが確かな殺意を込めてそう告げると、エレナも「私もです……!」と強く頷いた。どうやら彼女も、あの理不尽な死の記憶を完全に引き継いでいるらしい。
「状況は分かってるわね? ここじゃ目立つわ。私の『工房』へ行くわよ」
「ま、待ってくださいませ! まだ午前の授業が……私、風紀委員長として無断欠席など……!」
私が手招きすると、エレナは顔を真っ赤にして激しく葛藤し始めた。生真面目な委員長らしい反応だが、今はそんなお遊びに付き合っている暇はない。
「あの理不尽な死を放置して、のんきに授業を受ける気?」
「悪いな委員長、腹括れよ。今日は不良デビューだ」
私とレインに両側から背中を押され、エレナは「あわわわ……」と情けない声を漏らしながら、人生初の「サボり」という背徳的な一歩を踏み出した。
◇
学園の裏手、私が密かに拠点としている薄暗い工房。
壁には違法スレスレの魔導具やトラップのパーツが無造作に掛けられており、お嬢様育ちのエレナは目を白黒させている。
私は壁掛けのツールボックスからガサゴソと部品を取り出し、手元の作業台で何かの調整を始めながら、プロの視点での考察を口にした。
「眉間を撃ち抜かれた感触はあったけど、物理的な『弾丸』じゃなかった。あれは極度に圧縮された『純粋魔力による貫通魔法』よ。それに、あのカチカチという秒針の音……あれは詠唱の代わりとなる『遅延発動型のアーティファクト(魔導具)』の起動音ね」
「扉を開けた瞬間に撃たれたってことは、扉の開閉自体がセンサーの引き金になってる。だが、分厚い鉄扉の向こうから、どうやって俺たちの急所を正確にエイムしたんだ?」
レインが顎に手を当てて思考を巡らせる。彼のゲーマーとしての「バグ探し」の視点は、こういう時に恐ろしく鋭い。
「3階のルールは【反転の回廊】だ。つまり……あいつは遠くの暗闇から俺たちを狙撃したんじゃないな?」
「その通り、よく気づいたわね。あいつは『扉のすぐ横(死角)』に張り付いて、真後ろに向かって魔法を撃ったのよ」
私の言葉に、エレナがハッと息を呑む。
狙撃手は正面にはいなかった。後ろに向けて放たれた魔法が、フロアの『反転ルール』によって軌道を真逆に折り曲げられ、正面から私たちを貫いたのだ。
敵の仕様が完全に丸裸になった。
私は「じゃあ、こうすればシステムごとバグるわね」と、作業台の上に3つのアイテムをドンッと置いた。
・【魔力撹乱の銀チャフ(煙幕)】
扉を開けた瞬間に炸裂する特殊な煙幕。敵が熱源や魔力でロックオンしている場合、センサーを完全に狂わせる。
・【疑似生体デコイ・ランタン】
持ち主の魔力を吸って、ダミーの「生命反応(的)」を空中に作り出すランタン。
・【指向性・魔力反射シールド(即席改造版)】
敵の「反転狙撃」が飛んできた瞬間、さらにその魔力を「反転」させて撃ち返す違法シールド発生器。
「このランタン……無駄に魔力が高くて目立つ奴に持たせれば、完璧な『避雷針』になるわね」
私が意地悪く微笑むと、レインは悪魔のような笑みを浮かべて深く頷いた。
「完璧だ。あとは、この『デコイ・ランタン』を押し付けて、最初に扉を開けさせる『無駄に魔力が高くて目立つアホな肉の盾』がいれば、俺たちの勝ちは確定だな」
その言葉を聞いた瞬間、エレナがポンッと手を打った。
「ま、まさか……カイル君、ですか……?」
私とレインは顔を見合わせ、同時に吹き出した。
そうだ。今朝、学園の廊下で間抜け面を晒して私に見惚れていたあの高慢ちきな貴族の坊ちゃんこそが、このクソゲーを攻略するためのラストピース。
「決まりね。今夜、あのクソスパイに極上の絶望をプレゼントしてやるわ」
時計台の書館・3階【反転の回廊】。
プロの知識とハメ技使いの知略、そして『無知な肉の盾』を引っ提げた私たちの、最高に意地の悪いリベンジマッチの幕が上がろうとしていた。




