第2章・5話:2周目の朝、ハメ殺しのリフレイン
「ひゅっ、あ、ガ、ハ……ッッ!!!?」
喉の奥から引きつった悲鳴が漏れた。
ガバ、と跳ね起きると同時に、俺は自分の腹を狂ったように両手でまさぐった。
激しい過呼吸。視界がチカチカと明滅する。全身から噴き出した冷や汗がシーツをぐっしょりと濡らしていた。
ない。穴なんて、どこにも空いていない。
シャツは血に染まっておらず、内臓がドロドロに焼け溶けるようなあの凄絶な熱量も、嘘のように消え失せている。
「ハァ、ハァ……ッ、う、あぁ……ッ! なんだ……一体、何が起きたんだ……!?」
頭の中が激しく混乱していた。
窓の外を見れば、小鳥のさえずりと共に、いつも通りの安アパートの朝の光が差し込んでいる。
だが、身体が、魂が、あの「理不尽な死」を克明に記憶していた。ガタガタと歯の根が合わずに震え、心臓が胸の骨を突き破らんばかりに早鐘を打つ。
3階の黒鉄の二連扉を開けた、あの瞬間。姿も見えない、どこか遥か遠くの暗闇の奥から、一方的に放たれた不可視の狙撃魔法。エレナが倒れ、シエルが倒れ、そして自分の腹が抉られた。
死の間際の静寂の中に響き渡っていた――カチ、カチ、カチ、という、まるで終わりへ向かって時を刻む時計のような、あの悍ましい秒針の音。
「……夢か? いや、あんなリアルな夢があるかよ……ッ!」
枕に顔を埋め、俺は必死に呼吸を整えようとした。だが、指先が、膝が、恐怖でどうしても止まらない。何が起こったのかは分からない。だが、あの遠くからの狙撃を思い出すだけで、吐き気が胃から込み上げてくる。
それでも、俺は震える足で立ち上がり、洗面所で冷水を顔に叩きつけた。
鏡に映る自分の顔は、死人のように青白い。原因も法則も分からない。だが、もしあの『遠くからの狙撃』が現実になるというのなら、データがなかろうがなんだろうが、次は絶対にハメ殺してやる。
恐怖を怒りへと強引に変換し、俺は身支度を整えてアパートを出た。
◇
魔導学園の登校路。もやしパンを一口齧りながら歩く。
周囲から漂ってくる、相変わらずの階級主義の悪臭。
「おい、見ろよ。19点の『居残りウォーカー』だぜ」
「魔力記述ペンすら満足に動かせないなんて、よく恥ずかしげもなく登校できるわね」
廊下を歩くだけで飛んでくる、名門貴族の生徒たちからの容赦ない嘲笑。
恐怖で強張っていた俺の脳が、この「聞き覚えのあるセリフ」によって急速に冷徹さを取り戻していく。
(……待て。この光景、このセリフ、昨日と全く同じじゃないか……?)
「――レイン……・ガレット……っ」
背後から響いた声に、俺はハッとした。
いつもなら鼓膜に突き刺さるような凛とした声。だが、今の声は――震えていた。
振り返ると、そこにいたのは長い金髪をポニーテールに結い上げ、純白の学園騎士甲冑を身に纏った女子生徒。
エレナ・ヴァレンシュタイン。
だが、その美しい顔は驚くほど青白く、青い瞳は涙で潤み、何か恐ろしい悪夢から覚めたばかりのような表情で俺を見つめていた。
「エレナ……?」
「あ……あなた……生きて……本当に、元気なのですわね……っ!?」
エレナが風紀委員長としての仮面をかなぐり捨て、素の口調で俺に駆け寄ってきた。その豊満な胸が激しく上下している。
「不真面目極まるわ! あなた、また定期テストで19点などという不名誉な点数を取ったそうね!」
俺の視線に気づいたエレナは、ハッと我に返ったように、周囲の目を気にしていつもの「厳格な委員長」のセリフを無理やり口にした。しかし、その声は完全に上ずっており、俺が何事もなく立っているのを確認できた安堵からか、今にも泣き出しそうなほどに瞳を揺らしている。
(まさか、エレナ。お前も……あの『遠くからの狙撃』を覚えているのか!?)
俺が内心で驚愕していると、エレナは周囲に聞こえないような蚊の鳴くような声で、
「(……私、信じられないほどリアルな悪夢を見ましたの。あの3階の扉を開けた瞬間、胸に穴が空いて、私……死んでしまって……っ。目が覚めたら、あなたたちがどうなったか分からなくて、不安で、恐ろしくて……っ)」
と、消え入りそうな声で呟いた。
彼女は真っ先に撃ち抜かれたから、その後の俺とシエルの死を知らない。自分だけが死ぬ悪夢を見て、レインたちを巻き込んでしまったのではないかと、一人で恐怖に震えていたのだ。
その「純粋な善意」が、俺の冷え切っていた心に火をつける。
何が起きているのかは分からない。だが、時間が巻き戻ったのだとしたら、守られてばかりじゃいられない。あんな絶望、二度と御免だ。
「あのなぁエレナ。心配してくれるのは嬉しいが、お前みたいに魔力のプールがダダ漏れしてる脳筋と一緒にしないでくれよ。出るのは魔力じゃなくて筋肉痛だけだ」
わざといつも通りの軽口を叩くと、エレナは「な、の、脳筋……っ!」と言いながらも、どこか救われたような表情を見せた。
「おやおや、ヴァレンシュタイン委員長。随分と熱心に『ゴミの分別』をされているようだ」
エレナの言葉を遮るように、不快な高笑いが廊下に響いた。
現れたのは、イグノタフ家の嫡男――カイル・イグノタフ。数人の取り巻きの制服貴族を引き連れ、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべている。
エレナがすかさず俺の前に立ち、腰の模擬剣に手をかける。
すべてが記憶通りに、寸分違わずトレースされていく。そしてここから、カイルがドヤ顔で『命令書』を突きつけてくる。
「決闘? まさか。私は学園の『ルール』に厳格に従っているだけですよ。……ガレット。お前、今期の『学園奉仕活動(強制労働)』の対象者に選ばれたぞ。これは学園総務が発行した公式の命令書だ」
カイルがこれみよがしに掲げた羊皮紙には、**【地下実験室の廃棄魔導液の処理】**という文字。
「なっ……! 廃棄魔導液の処理!? あれは危険な作業よ! 19点のレインにやらせるなんて……!」
エレナが激昂する。死の恐怖を乗り越え、それでも俺を庇おうとするエレナの前に、俺はそっと手を置いて一歩進み出た。
カイルは待ってましたとばかりに鼻で笑い、彼にとって人生最高の見せ場である「校則の暗唱」を始めようと、大きく息を吸い込んだ。
(何が起きているかは知らないが……流れるタイムラインが同じなら、ハメ殺すだけだ)
カイルが勝ち誇った顔で口を開うと同時に、俺もまた、全く同じ音程、全く同じスピード、全く同じ冷徹さで、声を完全に重ねた。
「「規則ですよ、ヴァレンシュタイン委員長。筆記試験で一定の基準を下回った『無能』は、学園の危険作業に従事せねばならない。校則第18条に明記されています。……嫌なら退学することだな、ガレット」」
廊下の空気が、ピキリと凍りついた。
カイルの声と、俺の声が、一言一句寸分の狂いもなく「ハモった」のだ。
自分で喋っているはずなのに、真横から全く同じセリフが同時に降ってきたカイルは、金切り声を上げる途中で「ぶふっ!?」と奇妙な声を上げて硬直した。
「え……? あ、あれ……?」
呆然とするカイル。取り巻きの貴族たちも口をパカッと開けている。
俺はもやしパンを一口咀嚼し、ニヤリと笑って、カイルが掲げている命令書の「裏側」をパチンと指で弾いた。
「カイル君。お前、校則第18条を引用したよな? じゃあ、その第18条の付則・第4項は読んだか?」
「……は? 付則だと?」
「『危険物処理の辞令書は、対象者に手渡すまで秘匿せねばならない。万が一、手渡す前に第三者――お前が今呼んだヴァレンシュタイン委員長や、そこの野次馬の生徒たちに内容を開示・誇示した場合、それは【業務内容の事前流出】とみなす』」
俺の口から滑らかに飛び出す校則文に、カイルの目が泳ぎ始める。
「解りやすく言うと、お前が全校生徒の前でドヤ顔で見せびらかしたせいで、お前には**【作業終了まで、対象者のあらゆる身の回りの世話を、全校生徒の前で義務付けられる】**というペナルティが発生したんだよ。……ってことで、まずは俺のこの、もやしパンの袋。カイル君、お前が持ってて」
「なっ……!?」
胸ポケットに袋を突っ込まれ、慌ててカイルが手元の端末で校則を検索し――次の瞬間、顔を真っ青にしてガタガタと震え出した。本当にあるのだ、その間抜けな付則が。
「今日の放課後、俺が使う地下の作業服、お前が小脇に抱えて後ろからついてきてね。『イグノタフ家の嫡男が、19点の無能のパシリをしてる』って、めちゃくちゃいい見世物になるだろ?」
「お、おのれ……ガレット……っ!!」
屈辱に顔を真っ赤にして絶叫し、逃げるように去っていくカイル。
静まり返った廊下で、エレナが完全に置いてけぼりにされた顔で立ち尽くしていた。
だが、その青い瞳に宿っているのは、さっきまでの恐怖だけではない。激しい困惑、そして――あり得ない現実を前にした驚愕。
エレナは周囲の生徒たちが遠巻きに見ているのを確認すると、一歩、俺に近づき、震える声で囁いた。
「レイン君……あなた、今の、カイル君のセリフを完全に予知して同時に喋っていましたわね。……それに、その、落ち着き方。まさか、あなたも……」
エレナの細い指先が、怯えるように、確かめるように俺の制服の袖をぎゅっと掴む。
「……あの『時計台の書館』での出来事が、本当に……ただの不吉な夢ではないのですか? 時間が巻き戻った……私たちが死んだというのですか……!? そんな、そんなこと……っ!」
死という圧倒的な恐怖。それが「夢」ではなく「現実に起きた怪異(死に戻り)」なのだと突きつけられ、エレナの理性が激しく戸惑い、揺れている。
俺は懐中時計を見た。予鈴が鳴り響く。
何が起こったのかは分からない。だが、同じ時間を繰り返していること、そして、コイツもその記憶を保持して戻ってきていることだけは確かだ。
「……ああ。あれは夢じゃない。俺たちは一度死んで、ここにいる。――教室の後ろで話そう。作戦会議だ」
今夜の3階潜入に向けて、最強の『人間の盾』と、記憶を共有した『頼れる騎士』が揃った。
今度こそ、あの時計の秒針を鳴らす姿なき狙撃手を、地の底まで引きずり落としてハメ殺してやる。




