第14話:館長室のプロテクト
『書館のウォーカー』第14話:館長室のプロテクト
ガチ、リ。
動く本棚のノイズが完全に途絶え、2階の最深部を支配したのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。
通路の壁に並ぶ『紫の灯火』が、夜の深まりを告げるように一層その禍々しい色を濃くしている。
懐中時計を確認する。文字盤の針は、すでに深夜2時を回っていた。明日の……いや、もう今日になってしまった魔導学園の定期テストまで、あと数時間しかない。
「ここが、2階の最奥……【館長室】よ」
シエルの低い声が、冷たい空気の中に溶けていく。
俺たちの目の前に立ちはだかっていたのは、本棚ではなく、一面にびっしりと黒い茨が絡みついた、巨大な鉄の二重扉だった。
扉の中央には、心臓のようにドクン、ドクンと赤黒く脈動する、巨大な『魔術プロテクトの真核』が埋め込まれている。通常の解錠魔術や物理的な破壊は一切受け付けない、文字通りの絶対禁域の証拠だ。
「深夜に入って、書館の結界が一番強固になる時間帯ね。館長の本体の魔力も、今が最も満ちているはずよ」
シエルが衣服の襟元を少し整えながら、腰元から『共鳴の魔導インゴット』と、一族の遺品である銀鍵の束を取り出した。
その華奢な指先が、インゴットに触れた瞬間――キィィィン、と鼓膜を刺すような高周波の共鳴音が鳴り響く。
「レイン、私のマスターキーとインゴットを合成するわ。このプロテクトの核を強制解除できる時間は、ほんの一瞬。扉が開いたら、すぐにあなたのロジック(ハメ技)を叩き込んで」
「ああ、いつでもいける」
俺は両手に3本の『記憶を刻むダガー』を挟み、腰元に『空の魔導ランタン』をいつでも引き抜けるよう構えた。
深夜特有の、身を切るような静けさ。だが、俺の脳内は、あの化け物館長をいかに安全に、いかに理不尽にハメ殺すかのシミュレーションで爆発しそうだった。
シエルがインゴットを銀鍵の束へと強く押し当て、深く息を吸い込む。その横顔は、深夜の闇の中で冷徹なまでに美しく尖っていた。
「一族の無念をここに。――開け(アンロック)!!」
ドォォォォォォン!!!
激しい銀の光が弾け、インゴットが融解しながら扉の赤黒い核へと融け込んでいく。
バリバリと音を立てて黒い茨が引き千切れ、重厚な鉄の扉が、ゆっくりと内側へと開き始めた。
冷たい、圧倒的な死の臭いが、部屋の奥から溢れ出してくる。
部屋の広さは、これまでの回廊とは比較にならないほど広大だった。
床一面には、数千、数万もの「文字が抜け落ちて白紙になった本」が敷き詰められており、その中央。巨大な大理石の机の前に、あいつが座っていた。
黒いシルクハットに、乱れのない燕尾服。
顔のあるべき場所には、ただ昏い虚無の闇だけが広がっている。
1階の分身とは桁違いの、空間そのものを圧殺するようなプレッシャーを放つ怪異――【館長】の本体が、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
『……また、愚かなネズミが迷い込んだか』
顔がないはずの空間から、脳髄に直接響くような、冷酷な老紳士の声が響く。
『それも、我が胃袋に記憶を捧げたばかりの、空っぽのガレットの生き残りと……歴史の塵となった一族の、出来損ないの妹か』
あいつの言葉に、シエルの身体が怒りで激しく震えた。
だが、俺はあいつの言葉の「別の部分」に、脳の芯を撃ち抜かれていた。
(我が胃袋に記憶を捧げたばかりの、空っぽのガレット……?)
さっき数理迷路で見つけた職人の日誌。そして、俺の消された家族の記憶。
あいつは今、明確に言った。俺の記憶を喰ったのは、目の前にいる【館長】自身だと。
「……やっぱり、お前が俺から全部奪ったんだな」
俺の唇から、自然と冷たい笑みが漏れた。
怒りじゃない。恐怖でもない。ただ、明確な「ターゲット」が目の前に確定したことへの、冷徹なウォーカーとしての歓喜だった。
『知を求め、奪われる。それが絶対の――』
館長の身体が、一瞬でブレた。
1階の比ではない。予備動作の一切ない、視認不可能な超高速の『直線突進』。あいつの手から伸びた、記憶を貪るための漆黒の爪が、俺の喉元へと一瞬で肉薄する。
普通なら、ここで脳をハッキングされて一巻の終わりだ。
だが、俺は一歩も動かず、ただ不敵に笑って、腰元のランタンの蓋を蹴り飛ばした。
「ルール(仕様)があるなら、バグ(ハメ技)もあるんだよ。――光れ、ランタン!」
ゴオォォォォォッ!!!
ランタンの遮光ガラスから解き放たれたのは、さっきのジャンクヤードで吸い込み、限界まで圧縮されていた**『超高温の水蒸気と、2階の紫の環境エネルギー』**の濁流だった。
深夜の闇を切り裂くような、禍々しい紫白の爆光が、至近距離から館長の顔面(虚無)を直撃する。
『――グ、ォ、ッ!? 目が、私の“視界(認識)”が狂う……!?』
完全なジャミング(目潰し)の成立だ。
館長の超高速突進の軌道がぐにゃりと歪み、俺の真横の白紙の本の山へと猛烈な勢いで激突した。
「シエル、今だ! 動きを止めろ!」
「任せなさいっ!!」
シエルが鋭く地を蹴り、インゴットの残りの魔力を込めた銀鍵を床へ突き刺した。
館長が激突した周囲の白紙の本が、一斉に巨大な文字の鎖へと変化し、視界を失ってよろめく館長の四肢をガチガチと縛り付ける。
『不条理な……人間風情が……っ』
「不条理なのはお前の初見殺しの方だろ!」
俺は本棚の残骸を蹴って跳躍し、捕縛された館長の頭上へと踊り出た。
両手に握るは、3本の『記憶を刻むダガー』。
「まずは1本目! お前のその大層な胃袋のデータ構造を、根底からバグらせてやる!」
俺は全力で、1本目の銀の短剣を、館長の燕尾服の胸元へと深く突き立てた。




