第13話:亡霊の再利用
「さて、レイン。スープ皿代わりに使ったランタンの使い心地はどうだった?」
セーフハウスの重厚な鉄格子を開けながら、シエルが意地悪くクスリと笑った。
「保温性は抜群だったよ。……ただ、これに『紫の灯火』を閉じ込めた後は、二度とスープは淹れられないな」
俺は腰元でカランと鳴る『空の魔導ランタン』に手を置いた。
腹も満たされ、頭の冴えは最高潮だ。明日の定期テストへの論理パズル対策もバッチリ仕上がっている。
だが、現在の俺たちの手札は、館長室のプロテクトを破る『共鳴の魔導インゴット』と、この目潰し用の『ランタン』の二つ。館長の記憶データをバグらせるための『記憶を刻むダガー』は、天秤の対価として消費してしまって手元にない。
「館長室のエリアに入る前に、もう一度【追跡者】を引っ張り出す必要があるわね。あいつのドロップ品がなければ、館長をハッキングするロジックが完成しないわ」
シエルが銀鍵を指先で弄びながら、冷たい視線を通路の闇へと向けた。
「でも、さっきみたいに都合よくあいつが天井から降ってくるか?」
「2階の環境ルールを思い出して。あいつらは『熱』を感知して動く。そして、このエリアのさらに奥には、廃棄された魔導具が眠る【ジャンクヤード(廃棄書庫)】があるわ。あそこには、まだ魔力が残った古い魔導コンロやボイラーが転がっている」
シエルのアメジスト色の瞳が、俺の「ハメ技脳」を試すように悪戯っぽく輝いた。
「なるほどな。そのジャンクヤードの大型ボイラーを起動して、エリア一帯に凄まじい『人工の熱源』を発生させる。そうすれば、2階全域の追跡者どもが、狂ったようにその熱に引き寄せられて集まってくるってわけだ」
「ご名定。名付けて『追跡者ホイホイ』ね」
シエルがフッと唇を吊り上げた。
方針は決まった。ただの素人ウォーカーだった俺が、今やシエルと完全に同じ速度で「環境のハメ殺し」を組み立てられている。この成長実感がたまらない。
――だが、俺たちはこの時、完全に失念していた。
ここが「初見殺し」の塊である、地下書館の2階だということを。
俺たちは気配を殺し、動く本棚の隙間をすり抜けて、2階の西翼にある【ジャンクヤード】へと滑り込んだ。そこは、壊れた歯車や魔術回路の基盤、そして煤けた巨大な鉄製の蒸気ボイラーがうずたかく積まれた、まさに地下のゴミ捨て場だった。
「レイン、私がボイラーを魔力で強制駆動させるわ。点火した瞬間から、この部屋は凄まじい熱の巣窟になる。……あいつらが来るわよ」
「ああ、いつでもいける」
俺は周囲のジャンクパーツを見回し、即座に地形を把握する。
シエルがボイラーの文字盤に手をかざし、詠唱を紡ぐ。
――ゴオォォォォォォッ!!!
刹那、巨大な鉄の塊が真っ赤に融解しそうなほどの凄まじい熱波を放ち、ジャンクヤードの空気が一瞬で陽炎に揺れた。
キシャァァァァァッ!!!
キシャァァ、キシャァァァァッ!!!
間を置かず、廃棄書庫の天井や通気口の隙間から、あの灰色の四足歩行の人形――【追跡者】どもが、次から次へと這いずり出てきた。その数、なんと3匹。
あいつらは長い赤黒い舌を狂ったように振り回している。だが、部屋全体がボイラーの熱で満たされているため、俺とシエルの「人間の体温」を完全に失見していた。ここまでは完璧な計算通りだった。
だが、計算の外から、最悪の『初見殺し』が牙を剥く。
...トギトギトギトギッ!!!
突如として、ジャンクヤードの入り口の扉が、凄まじい音を立てて勝手に閉まり、頑強な鉄格子でロックされた。
「……っ!? しまった、ボイラーの異常発熱が、この部屋自体の『防火隔壁ギミック』を起動させちゃったんだわ!」
シエルが顔を青くして叫ぶ。密閉された部屋。熱源はボイラー。
つまり、このジャンクヤードそのものが、凄まじい速度で熱を帯びる「オーブン」と化してしまったのだ。
「熱い……っ!」
衣服が焦げるような熱気が肌を焼く。
そして、この超高温の室内で、さらなる絶望が俺たちを襲った。
キシャァァァァァッ!?
3匹の追跡者どもが、部屋全体の温度上昇についていけず、狂乱状態に陥ったのだ。あいつらは全方位に赤黒い舌を振り回し、重力を無視して壁や天井を弾丸のような速度で跳ね回り始めた。
熱感知を失ったからこそ、盲滅法に、しかし圧倒的な殺意を持って、ランダムに空間を切り刻む「死のピンボール」!
「レイン、右!!」
「くそっ!」
シュバッ! と耳元を風切り音が通り過ぎる。天井から跳ねてきた一匹の爪が、俺の頬をかすめて背後の鉄の山を両断した。一歩対応が遅れれば、首が飛んでいた。
狭い密閉空間で、3キロを優に超える速度のバケモノ3匹が不規則に飛び交う。地形を利用した罠を設置する猶予なんて、一秒だってありはしない。
(落ち着け……考えろ! ハメ技の基本は、敵の行動を制限することだ!)
俺は飛び交う追跡者の軌道を、動体視力を限界まで引き上げて見つめた。
あいつらは盲目だ。だが、跳ね返る壁を探している。
「シエル! 魔法で、あのボイラーの蒸気バルブを一本だけブチ抜いてくれ! 方向は左斜め上だ!」
「正気!? 部屋の温度がさらに上がって、私たちまで焼き殺されるわよ!」
「いいからやれ! 死ぬ気で二歩下がって、横の壁に捕まってろ!」
俺の狂気じみた眼光に、シエルは一瞬だけ息を呑み――すぐに鋭く頷いた。
「――っ、吹き飛びなさい!」
シエルの放った魔力弾が、正確にボイラーの左側面のバルブを破壊する。
次の瞬間、プシューーーーーーーッ!!!と、超高温・高圧の白い水蒸気が、部屋の左半分に向けて凄まじい勢いで噴き出した。
視界が真っ白に染まる。室温が一気に跳ね上がり、呼吸をするだけで肺が焼けそうだ。
だが、これこそが俺の狙いだった。
ただでさえ熱で狂っていた追跡者どもは、部屋の左半分に突如現れた『超・超高温の壁(水蒸気)』を本能的に拒絶した。結果として、3匹の跳ね回る軌道が、水蒸気のない「部屋の右半分」へと完全に固定されたのだ。
「軌道が単調になれば、ただのシューティングゲームだ!」
俺はジャンクの山から引きずり出しておいた、太い【鉄製のワイヤー】を両手に持ち、右半分の空間、あいつらが次に跳ね返ってくるであろう本棚の隙間に向けて、網のように一気に張り巡らせた。
そこへ、狂った速度で追跡者の一匹が突っ込んでくる。
ベキベキベキッ!!!
自慢の超怪力とスピードが災いした。ワイヤーに自ら絡まり、その勢いのまま、隣にいた別の追跡者を巻き込んで、2匹の亡霊がぐちゃぐちゃに縺れ合って床へと転がった。
「最後の一匹ッ!」
天井から俺の脳天を狙って降ってきた最後の一匹。俺は懐から、セーフハウスでスープボウル代わりに使っていた『空の魔導ランタン』を抜き取ると、その遮光黒ガラスの蓋を思い切り引き開けた。
ランタンが、ボイラーの凄まじい「熱波と水蒸気のエネルギー」を、猛烈な勢いで内部へと吸引し始める。
そのランタンの吸気口が、降下してきた追跡者の顔面を、至至近距離から文字通りダイレクトに吸い込んだ。
「キシャ、ァァァァッ!?」
頭部をランタンの気流に囚われ、体勢を崩した最後の一匹が、ワイヤーで拘束されていた残りの2匹の真上へと墜落する。
「シエル、締めだ!!」
「いっけええええええええっ!!!」
俺とシエルは、部屋の隅にある巨大な『鉄製の本棚フレーム』の固定レバーを同時に引き抜いた。
ギガガガガ、ドガァァァァン!!!
数トンはある鉄のフレームが、一箇所に固まった3匹の追跡者の頭上へと、容赦なく倒れ込む。完璧な質量プレスだ。
ミジ、ジジジ……と黒い霧が噴き出し、3匹の亡霊は肉体を維持できずに消散していった。
同時に、部屋のロックがカチャリと解除される。
激しい熱気の中、俺たちは膝を突き、肩で大きく息を荒げた。一歩間違えれば、バラバラに切り刻まれるか、蒸し焼きになっていた。心臓のドクドクという狂ったような鼓動が、全身に響き渡っている。
「はぁ、はぁ……やった、ぞ……。手札の補充、一気に完了だ……」
「……っ、ん、もう……死ぬかと思ったじゃない……っ」
熱気の中で、シエルが小さく吐息を漏らしながら、濡れた声で言った。
見れば、ボイラーの熱と立ち込める水蒸気のせいで、彼女の薄手の外套はすっかり汗に濡れ、華奢な身体のラインにぴったりと張り付いている。
魔導夜着から覗く白い鎖骨が、激しい呼吸のせいで上下に大きく揺れ、そこに汗の雫がいくつも滑り落ちていく。
「な、何よ……どこ見てるのよ、レインのくせに」
汗で額に張り付いた前髪の隙間から、シエルが上目遣いに俺を睨みつけてきた。熱気のせいか、それとも気恥ずかしさからか、彼女の白い頬はいつもよりずっと朱に染まっていて、その瑞々しい唇が、濡れた水蒸気を浴びて艶やかに光っている。
「……別に、プロでもさすがに暑そうだなと思ってさ」
「……う、うるさいわね。この2階が想定外のクソゲーすぎるだけよ」
彼女はバツが悪そうにぷいっと視線を逸らしたが、その耳の裏まで真っ赤になっているのは隠せていなかった。汗を拭うために細い指先で襟元を少し緩める仕草が、不覚にも、いつもより少しだけ大人びて見えた。
だが、そんな過酷な戦場の跡地には――カラン、カラン、カランと、美しい音を立てて3振りの『記憶を刻むダガー』が転がっていた。
「ダガーが3本。これで、館長をハッキングするロジックは完成よ。……さぁ、変な顔してないで、さっさと拾いなさい」
「あ、ああ、分かっている」
俺はダガーを回収し、これで『館長ハメ殺しの方程式』が完全に完成したことを確信した。
手札は揃った。インゴット、ランタン、そして3本のダガー。
「行きましょう、レイン。この先が2階の最奥――【館長室】よ」
どこか艶を帯びた空気を纏ったまま、しかしその瞳に不敵なウォーカーの鋭さを戻したシエルとともに、俺たちは、最凶の老紳士が待つ絶対禁域の扉へと歩みを進めた。




