第12話:対価の天秤
「……見つけたわ。あれが『空の魔導ランタン』よ」
数理迷路のさらに奥、2階の最深部へと続く重厚な鉄扉の前に辿り着いた時、シエルが細い指先で通路の頭上を指し示した。
脈打つレンガの壁。その天井から、太い鎖で吊り下げられた一振りの古びたランタン。
ガラス部分は一切の光を通さない特殊な「遮光黒ガラス」でできており、周囲の『紫色の灯火』をまるでブラックホールのようにじわじわと吸い込んでいる。あの中に環境罠の光を閉じ込め、館長への目潰し(ジャミング)として解き放つ。まさに最後のロジックだ。
「よし、これで三つの道具が揃う――」
俺が一歩踏み出そうとした、その時。
シエルが俺の胸元に腕を出し、強引にそれを押し止めた。彼女の横顔は、かつてないほどに険しく、そして冷徹だった。
「待ちなさい、レイン。深部にある貴重な遺物よ? ……タダで手に入るわけがないでしょう」
シエルがランタンの真下の床を顎でしゃくった。
そこには、鈍く銀色に輝く、巨大な『天秤』の彫刻が床一面に刻まれていた。その天秤の皿には、おどろおどろしい古代文字でこう刻まれている。
『――知を求める者よ、相応の“対価”を捧げよ――』
「対価……?」
「ええ。そのランタンを手に入れるには、この部屋の所有者である亡霊に、自らの『何か』を犠牲として捧げなければならないの。……例えば、自分の残された『大切な記憶』の一部か、あるいはウォーカーとしての『肉体的な機能(五感)』のどれかをね。プロの探索者でも、ここで何を差し出すかで人生を狂わせるわ」
シエルの言葉が、冷たい刃のように俺の鼓膜を突き刺す。
何かを犠牲にしなければ、館長に勝つための最後の切り札は手に入らない。
だが、俺はすでに追跡者の刃によって、自分の「家族の記憶」を奪われたばかりだ。これ以上、何を差し出せというんだ。自分の名前か? 魔法の技術か? それとも、片目の視力か?
俺が絶句していると、シエルは一歩前に出た。その小さな背中が、ひどく頑なに見えた。
「……私の番ね。私が差し出すわ。私はプロよ。こういう時のための『身代わりの呪呪』の技術だって、一応は――」
「嘘を言うな」
俺はシエルの肩を掴み、強引に引き戻した。
シエルの身体は、驚くほど軽くて、そして微かに震えていた。身代わりの技術なんて、きっと嘘だ。そんな都合のいいものがあるなら、彼女の兄だって空っぽの人形になんてなっていない。
「レイン、離して! あなたはただの学生でしょう!? これ以上記憶を失ったら、本当に自分が誰だか分からなくなるわ!」
「お前だって同じだろ! 兄貴の記憶を取り戻すんだろ! ここで何かを失ったら、元も子もないじゃないか!」
言い合いをしながら、俺の脳細胞は、数理迷路の時以上のスピードで回転していた。
(何かを犠牲にする……? “相応の対価”だと? ふざけるな。理不尽なルール(呪い)には、必ず抜け穴や、システム上の盲点があるはずだ!)
俺の目は、床の天秤の彫刻と、自分のポケット、そして懐に隠した「二つのアイテム」を交互に捉えていた。
(生身の人間から大切なものを奪うのが、この天秤のルールだ。だったら――『人間以外の、最高に価値のある記憶』を代わりに叩きつけたらどうなる!?)
「シエル、お前は下がってろ。……俺に、一つだけ賭けをさせてくれ」
「な、何を――」
シエルが止める間も無く、俺は天秤の彫刻の真ん中へと躍り出た。
正式な対価の皿へ向けて、俺は懐から、さっき追跡者をハメ殺して手に入れた、あの禍々しい銀の短剣を取り出した。
『記憶を刻むダガー』。
「おい、地下書館のシステム! 生身の記憶が欲しいなら、そいつをたっぷり吸い込んだ『お前らの身内の武器』を返してやるよ! これ以上の対価が、どこにある!」
俺は全力で、そのダガーを床の天秤の皿へと突き立てた。
ドグンッ!!!と、図書館全体が大きく脈打った。
追跡者のダガー。それは、これまでに何人もの侵入者を切り刻み、数え切れないほどの大切な思い出、名前、過去のデータを吸い尽くしてきた「記憶の器」そのものだ。生身の人間の記憶一切片よりも、よっぽど濃厚なデータ(価値)がそこには詰まっている。
床の彫刻が、赤黒い光を放って激しく明滅し始めた。
システムが、レインの提示した「規格外の対価」を判定しようと、凄まじい処理音を立てて激しく軋む。
カラン……!
数秒の硬直の後、天秤の皿に突き刺さっていたダガーが、サラサラと黒い砂になって崩れ落ちた。
そして同時に――天井の鎖がガシャリと外れ、黒い遮光ガラスのランタンが、俺の手元へと落ちてきた。
「――っ、キャッチ!」
滑り込んできたランタンを、俺は完璧なタイミングで片手でキャッチした。
床の古代文字の光が、静かに消えていく。
「……嘘。戦利品を、そのまま対価の『身代わり』にするなんて……。そんな攻略法、聞いたことがないわ……」
シエルがアメジスト色の瞳を限界まで見開いて、呆然と立ち尽くしていた。
「言っただろ、知略でハメるんだって。これで、犠牲はゼロだ」
俺は手に入れた**『空の魔導ランタン』**を掲げて不敵に笑ってみせた。
だが、喜びも束の間、俺は自分のミスに気づいて血の気が引いた。
「あ……」
「どうしたの、レイン?」
「……ダガー、対価で消費しちゃったから……館長戦の『3つのロジック』、また1つ減って2つになっちゃった……」
館長室の扉を開ける『インゴット』。目潰し用の『ランタン』。
しかし、館長の記憶データをバグらせるための『ダガー』は、今、対価として消滅してしまった。
「……あはは! もう、本当にバカね、あなたは!」
シエルが一瞬の静寂の後、お腹を抱えてケラケラと笑い出した。本日一番の、少女らしい弾けた笑顔だった。彼女は目元に涙を浮かべながら、俺の背中をバシバシと叩く。
「でも、最高よレイン! 道具が足りないなら、また別の部屋で奪い取るまでよ。行きましょう、相棒。あの化け物をハメ殺すための、本当の最後の仕上げへ!」
「……おう。今度こそ完璧な手札を揃えてやるさ」
最後の最後で手札が足りなくなるという、一筋縄ではいかない地下の悪意。だが、俺たちの心は不思議と燃えていた。
残るは、もう一度『追跡者』をハメてダガーを奪い返すか、あるいはそれ以上の手札を見つけるか。
館長室へのカウントダウンが、いよいよ本格的に始まった。
書館攻略もいよいよ中盤に差し掛かりました。
もうしばしお付き合いくださいませ




