第11話:数理迷路の邂逅
セーフハウスの鉄格子を抜けた先は、それまでの『禁忌の回廊』とは明らかに異なる歪な光景が広がっていた。
ガガガガ、と不気味な地鳴りを立てながら、巨大な黒焦げの本棚が自動でスライドし、通路の形状を刻一刻と変え続けている。本棚の側面や床には、明日の魔導学園の定期テストで嫌というほど見かけるはずの、複雑な「魔術数理の論理式」が蛍光の文字でびっしりと刻み込まれていた。
「ここは『数理迷路』。数理の正解ルートを踏まなければ、本棚が道を閉ざすか、あるいは床から高電圧の罠が起動するわ。間違えたら容赦なくお仕置き(高電圧)だからね」
シエルが銀鍵の束を鳴らしながら、鋭い視線で数式を見つめる。
だが、幸いなことに、基礎的な数理の公式や論理パターンの「解き方」そのものは、追跡者に奪われた家族の記憶とは違って、まだ俺の脳に焼き付いていた。
「……シエル、ここは俺に先導させてくれ。この公式の並び、明日のテストの『大問3』の応用だ。解き方なら、身体が覚えてる」
「へえ、頼もしいじゃない」
俺は床に浮かび上がる光の文字を脳内で瞬時に組み立て、正しい「論理の導線」となる床のレンガを一切の迷いなくダダダッと踏み締めていった。
カチャリ、カチャリと小気味いい音が響き、目の前の巨大な本棚が面白いように滑らかに横へとスライドして道を拓いていく。
(いける……! 記憶は消されても、俺の頭脳までは消せやしない!)
パズルを秒単位で解き明かし、目的のインゴットがある『職人の遺稿』エリアまで最短で突っ切る。このスピード感と全能感こそ、ローグライクの醍醐味だ。
しかし、迷路の最終コーナーを曲がり、目的のインゴットが眠る空間へ足を踏みに入れたその時――。
「――ッ! レイン、隠れて」
背後からシエルが俺の衣服の襟を鋭く引っ張った。
俺たちは咄嗟に動く本棚の影へと身を潜める。
散乱する古い設計図の奥。そこに、先客がいた。
一切の汚れもない純白の外套。腰元に携えられた、豪奢な最高級の魔導杖。
(……あいつは、イグノタフ家の……!)
昨日、1階で亡霊に囲まれて無様に気絶し、記憶をリセットされて学園へ強制送還されたはずの、学園トップクラスの「秀才」であり、俺のライバル。
だが、今のあいつの瞳に傲慢さは一切ない。底の知れない冷徹な「目的意識」だけを宿し、すでに目的のアイテムである**『共鳴の魔導インゴット』**をその手に掴んでいた。
あいつは、俺たちの気配を察し、ゆっくりとこちらを振り返った。
本棚の隙間から、俺たちの視線が真っ向から交錯する。
「…………」
「…………」
張り詰めた沈黙。
だが、互いに武器を構えることはしなかった。
ここは無法地帯の地下書館。館長の索敵網のど真ん中で、同業者同士が無駄な争いや会話をして音を立てるなど、文字通りの集団自殺(心中)に等しいという「暗黙の了解」がある。それに、互いに表の世界では「学園の生徒」という仮面を被っている以上、ここで手の内を晒し合うのはリスクが高すぎた。
あいつは、俺の隣に立つシエルの姿を一瞬だけ冷ややかに見つめると、手にしたインゴットを……なぜか、そのまま床の遺稿の山へとポイと放り捨てた。
「え……?」
あいつの目的は、館長室のプロテクトを破るためのインゴットではない。なにやら、この2階に『別のさらに重大な用』がある。あいつは手にした魔導杖で床の数理パズルを鮮やかに起動させると、動いた本棚の向こう側へと、音もなく消え去っていった。
「……あいつ、何者? インゴットに目もくれないなんて」
シエルが低く、警戒を孕んだ声で尋ねてきた。
「昼の世界での、俺のライバルだよ。名門イグノタフ家の秀才様だ。だけど……あいつが探してるのはインゴットじゃない。もっと別の何かだ」
俺は本棚の影から這い出し、あいつが放り捨てた鈍い銀色の金属塊――**『共鳴の魔導インゴット』**を拾い上げた。棚ぼたではあるが、これで「2つ目のロジック」が揃った。
だが、驚愕の本番は、その直後に訪れた。
インゴットが置かれていた『職人の遺稿』。そこに散らばる、数百年前にこの地下書館の建造に関わった職人たちの古い手記や設計図。
その中に、ボロボロに擦り切れた**「職人の日誌」**が、奇妙な魔力を帯びて淡く光を放っていた。
何気なく、その黄ばんだページに目を落とした、その瞬間。
俺の視界が、ぐにゃりと歪んだ。
『――地下書館の真の役割は、知の蓄積にあらず。深淵の底に“ガレット”の鎖を繋ぎ止めることにあり――』
「な……んだ、これ……」
俺の指先が、ガチガチと音を立てて震え出した。
ガレット。それは俺の苗字だ。
追跡者の刃によって、俺の頭からは「家族の記憶」が綺麗さっぱり奪われた。それなのに、この見知らぬ古い日誌に書かれたその一単語を見た瞬間、魂の奥底が恐怖と拒絶で激しく鳴り響いたのだ。
ガレットの鎖。繋ぎ止める。
この地下書館は、俺の血筋と、一体どんな悍ましい関係があるというんだ?
「レイン……? どうしたの、そんなに青い顔をして」
シエルの心配そうな声が遠く聞こえる。
俺は慌てて日誌を閉じると、胸の動悸を必死に抑え込んで、何でもないように首を振った。
「い、いや……なんでもない。ただの、古い職人の落書きだ。インゴットは手に入った。……さぁ、最後のアイテムを探しに行こう」
「そうね。次は『空の魔導ランタン』よ。急ぎましょう」
シエルが前を歩き出す。その後ろ姿を見つめながら、俺は懐のインゴットを強く握りしめた。
俺がこの書館に惹きつけられたのは、単なるテストのカンニング目的の偶然などではない。俺の血そのものが、この深淵に呼ばれていたのかもしれない――。
不穏な予感を孕んだまま、俺たちは2階のさらなる深部へと足を踏み入れた。




