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【祝700PV突発!】書館のウォーカー   作者: ジョニ男
第1章 時計台の書館

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第10話:深淵のセーフハウス

「……もう、起き上がっても大丈夫?」

ランタンの仄かな、しかし「紫の灯火」ではない、暖かみのある橙色の光が視界に飛び込んできた。

頭上の鉄板ギミックに文字通りプレスされ、床にカエルのように張り付けにされていた俺は、シエルにずるずると引きずられるようにして、本棚の隙間に隠された小さな小部屋へと逃げ込んでいた。

そこは、おどろどろしい2階の回廊とは完全に隔離された、奇妙な空間だった。

広さはわずか数畳ほど。煤けた小さな暖炉がパチパチと頼りない音を立てており、古い木製の机と椅子、東北の一角にはすっかり使い込まれた一脚の布張りソファが置かれている。壁の脈動もここまでは届かないようで、レンガはただの静かな石の壁に戻っていた。

「ここは……?」

「『セーフハウス(休憩地点)』よ。かつてこの書館に挑み、臨終の淵で抗った先人たちが、亡霊の索敵を誤魔化すために幾重もの隠蔽魔術ステルスを施して作り上げた、この地獄の唯一のオアシス」

シエルはそう言うと、泥と埃に汚れた外套を脱ぎ、ソファへと深く腰掛けた。

気のせいか、その華奢な肩は微かに疲労で強張っているように見える。どれほど手慣れたプロであっても、精神を蝕む2階の空気に立ち続けるのは、相当な摩耗を伴うのだろう。彼女の端正な横顔は、暖炉の炎に照らされて少しだけ幼く見えた。

俺は自分の右腕に目をやった。

追跡者チェイサーに掠られた傷は、魔導夜着の補正もあってすでに血が止まっている。だが、頭の中にぽっかりと空いた「自分の家族の記憶」という空白だけは、どれだけ触れようとしても、冷たい霧に阻まれて指先さえ届かない。

(親の顔も、名前もわからない……。思い出しようとすると、頭の奥が割れるように痛む。だが、今はそれを恐れている暇はない)

記憶を取り戻すためにも、明日の学園のテストを突破するためにも、まずはこの2階のさらに奥にある『館長室』へ行き、あの最凶の老紳士――【館長】の本体をブチのめさなければならないのだ。

「シエル。館長と本気でやり合うなら、今の俺たちの手札じゃ絶対に足りない。あいつは1階の分身であれだけの破壊力だったんだ。本体となったら、どんな化け物か想像もつかない」

俺が机に手を突きながら言うと、シエルはアメジスト色の瞳を僅かに見開いた後、自嘲気味に小さく微笑んだ。

「ふふ、さっき『素人さん』を卒業したばかりなのに、もう次の作戦を考えているのね。……ええ、あなたの言う通りよ。館長は、この書館に存在する『知識』と『記憶』を喰らって無限に肥大化し続ける怪異。真っ向勝負を挑めば、一瞬で脳をハッキングされて終わるわ。かつて、私の……」

そこまで言いかけて、シエルは急に言葉を濁し、視線を落とした。暖炉の爆ぜる音が、妙に大きく響く。

「……私の、兄もそうだった」

「え?」

「何でもないわ。ただの、プロとしての昔話」

シエルは感情を押し殺すように淡々と言葉を続けたが、その細い指先は、膝の上でかすかに震えていた。

「私の家系はね、レイン。ある『支配者たる家系』の陰謀によって、歴史の表舞台から存在ごと抹消された一族なの。名誉も、地位も、すべてを奪われて影に落された。……その失われた一族の正統性を証明する唯一の証拠が、あの最深部に眠る『禁忌の血統書』よ」

彼女のアメジスト色の瞳に、昏い炎が灯る。

「数年前、私の優秀だった兄が、その血統書を奪還して一族の無念を晴らすために、この2階へ降りたわ。……でも、戻らなかった。1階の結界際で見つかった兄は、自分の名前も、妹の私の顔も、すべてを館長に喰い尽くされ、ただ息をしてよだれを垂らすだけの『空っぽの人形』になっていた」

シエルは強く拳を握りしめた。

「館長は、この書館に沈められた『本(血統書)』を守る番人であり、同時に侵入者の『記憶』を貪る化け物。私が館長室を目指すのは、兄が果たせなかった一語一句の悲願――あの血統書を奪い返すため。そして、あの化け物の腹を裂いて、兄の記憶ごとすべてを吐き出させるためよ。だから……絶対に負けられないの」

シエルが背負う過去の重さが、冷たい空気となって部屋を満たす。俺がさっき失った「家族の記憶」の恐怖。シエルはそれを、数年間も現実の肉親の姿として見続けてきたのだ。

「……だったら、なおさら完璧にハメ殺す算段を立てないとな」

俺が努めて明るい声で言うと、シエルは顔を上げ、小さく息を吐いて笑った。「そうね、湿っぽい話はウォーカーのタブーだわ」と。

彼女はソファから立ち上がると、机の上に、これまでこの地下で集めてきたであろう、奇妙な盗掘品の数々をジャラジャラと並べ始めた。ここからは、頭脳派ローグライクの本領発揮だ。

「館長をハッキングし、血統書が眠る書斎を破るためには、どうしても三つのロジックが必要になるわ。一つ目は、あなたがさっき追跡者から奪い取った『記憶を刻むダガー』。これは直接的な攻撃用ではなく、館長に一太刀浴びせることで、あいつの胃袋の中にある記憶のデータ構造を一時的にバグらせるためのキーとして使うの」

俺は懐の銀のダガーに触れた。あいつの能力を逆手に取る作戦。悪くない。

「二つ目は『共鳴の魔導インゴット』。館長室の扉には通常の魔術じゃ絶対に開かない特殊なプロテクトがかかっているから、私の持つマスターキーとこのインゴットを合成して、ロックを強制解除する鍵を作る必要があるわ。これは2階のどこかにある『職人の遺稿』から回収しなきゃいけない」

「なるほど、クラフト要素か。そいつはどこに眠ってるんだ?」

「それはこれから探すのよ。そして最後、三つ目は『空の魔導ランタン』。館長の最大の武器である直線突進と、あの記憶剥奪の怪光を防ぐための目潰し用よ。2階の環境罠である紫の灯火や目玉の光をこの空のランタンに閉じ込めて、必要な時にあいつの顔面に解き放って視界をジャミングするの。これは2階の物置部屋か、あるいは強敵からのドロップを狙うわ」

ダガーで能力をバグらせ、インゴットで扉を開け、ランタンで敵の索敵環境をクラッシュさせる。

手札が増えれば増えるほど、あの理不尽な化け物をハメ殺すための「ピタゴラスイッチ」の精度が上がるのだ。

俺の不敵な笑みに、シエルは深く頷いた。

「目標は定まったわね。休憩はここまでよ、レイン。……準備はいい?」

「ああ。次は……扉を開けたら二歩下がる、だろ?」

「ふふ、よく学習したわね。その調子で頼むわよ、相棒」

立ち上がった俺たちは、再び冷たい死臭の漂う『禁忌の回廊』へと、その一歩を踏み出した。

俺は今度こそ慎重に、次のエリアへと続く重厚な扉の取っ手を掴んだ。よし、開けたらすぐに二歩下がる。頭の中で完璧にシミュレーションを繰り返す。本棚プレスが来ても、その後の天井落としが来ても、二歩下がれば射程外だ。

いくぞ。俺は意を決して、扉を手前に力任せに引き開けた。

――アンド、完璧なタイミングで、後ろへと二歩、大きく飛び退いた。

ゴオォォォォン!!!

扉を開けた瞬間、左右の本棚が猛烈なスピードで中央に向かって倒れ込んでくる。

ドスン!!!

さらにその一瞬後、俺がさっきまでいた「一歩後ろ」の地面へ、天井から巨大な鉄板がもの凄い勢いで垂直に落下してきた。

「しゃあ! 完璧に見切ったぜ!」

俺は自分の成長にガッツポーズを浮かべた。本棚プレスも、天井の鉄板も、俺の遥か目の前で虚しく空を切っている。二歩下がれば無傷。これが経験の差だ。

――と、ドヤ顔を決めたその瞬間。

バチンッ!!!と、俺が着地した「二歩後ろ」の床のレンガが跳ね上がり、そこから巨大なバネ仕掛けの『鉄製の拳(パンチの罠)』が真上に向かって飛び出してきた。

「ぶふぇっ!?」

アッパーカットの形で顎を完璧に撃ち抜かれた俺は、文字通り天井に向かってキリモミ回転しながら吹っ飛び、そのまま床の水面にベシャリと背中から叩きつけられた。

「……言い忘れていたわ。2階の扉のルール。本棚と天井を避けた後は、さらに横の壁に捕まって『床のポップアップ罠』を警戒するのが、真の、真の基本中の基本よ」

床にへたり込み、背中から落ちてピクピクと痙攣している俺の頭上で、シエルはクスクスと楽しそうに、本日一番の綺麗な鈴の音のような声を響かせていた。

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