第5章・第15話:自由都市グランゲート
「――ほらよ。王都の監視網が及ばない中立地帯、自由交易都市『グランゲート』だ。長旅ご苦労さん」
ゼノが短くなったタバコを窓枠に押し付け、くわえタバコのまま荒々しくハンドルを切る。
爆音を轟かせていた魔導装甲車『ブラックハウンド』が、ネオンと蒸気が入り混じる雑多な街の、さらに地下深くにある薄暗いガレージへと滑り込んだ。
「ふぅ……。ちょっとゼノ、あんたの運転スリルありすぎよ。雪原を時速150キロでドリフトする運び屋なんて、私のデータベースにも存在しないわ」
「へっ、お嬢ちゃんが俺のエンジンを勝手にオーバークロックするからだろ? おかげで最高にゴキゲンなドライブだったぜ」
私が白銀の魔導コートを翻して後部座席から降りると、ゼノは悪びれもせずニヤリと笑った。
ボサボサの長髪に、ヤニとオイルの匂いが染み付いたブラウンのコート。王都の裏社会で名を馳せる運び屋ゼノは、見た目こそ「どうしようもないやさぐれ男」だけれど、その腕と度胸は確かに本物だった。
「おじさん、足ガクガクしてるよ?」
「う、うるせえティオ。俺はただ、雪上の揺れに酔っただけで……うっぷ」
顔面を蒼白にしたバルドが義手で壁に寄りかかり、ティオが元気いっぱいにその周りを飛び跳ねている。
「さあ、お前ら。追っ手は振り切ったが、王都に乗り込むなら装備のチューンナップと物資の補給が必要だろ。俺の行きつけの『アジト』に案内してやる。ついてきな」
ゼノの先導で地下の隠し通路を抜けると、そこはむせ返るような酒とタバコ、そして機械油の匂いが充満する、裏社会の者たちが集うアンダーグラウンドな酒場兼工房だった。
「おお、ゼノ! 生きてたか。また厄介なモンを拾ってきたな」
「うるせえ親父、最高に強い蒸留酒と、こいつらに美味い飯を出してやってくれ」
ゼノはカウンターに白金貨を無造作に放り投げると、一番奥の円卓に私たちを案内した。
そして、彼は当然のようにティオの前に甘いホットミルクと山盛りのクッキーを置き、私の前には色鮮やかなノンアルコールのフルーツカクテルを差し出した。
「お疲れさん、レディたち。こんな薄汚れた店で悪いが、味は保証するぜ」
「あら、気が利くじゃない」
「えへへ、ゼノ兄ちゃんありがとう!」
私がカクテルに口をつけると、ゼノは少し照れくさそうに頭を掻き、今度は自分とバルドの前に、アルコール度数が高そうな琥珀色の酒をドンッと置いた。
しかし、ゼノはカイルの前にだけ、酒ではなく静かに『水』を置いた。
「……ゼノ殿?」
「お前さんは、まだ気を張ってる。酒を飲んでも美味くねえだろ。……それに、本物の騎士ってのは、こんな裏社会の安い酒で悪酔いするもんじゃねえ」
ゼノがポケットから新しいタバコを取り出し、カチリと火をつける。
彼は深く煙を吸い込み、カイルの腰にある白銀の聖剣を、どこか懐かしむような、ひどく哀愁を帯びたブラウンの瞳で見つめた。
「ゼノ殿……。貴方は、不思議な人だな。荒事には慣れているようだが、その立ち振る舞い……まるで、正規の訓練を受けた騎士のようだ」
カイルが真面目な顔で水を受け取りながらそう言うと、ゼノは「はっ」と自嘲気味に笑い、紫煙を吐き出した。
「……誰もが最初は、おとぎ話の英雄に憧れるもんさ。俺もその一人だった」
ゼノは手元のグラスを指先で弄りながら、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「十年前、俺はボサボサの髪じゃなく、短く切り揃えた頭で、お前さんみたいな白銀の甲冑を着てた。王立騎士団の末端さ。『弱きを助け、悪を挫く』なんていう青臭い誓いを本気で信じてる、ただのバカな若造だったよ」
私はフルーツカクテルを飲む手を止め、静かに彼の言葉に耳を傾けた。
「俺には妻がいた。下町で小さな花屋を営む、花のように笑う女だった。俺がどんなに泥だらけで帰っても、いつも温かいスープを作って待っていてくれた。俺がレディの頼みに絶対にノーと言えないフェミニストになっちまったのは、間違いなく彼女の影響だ」
ゼノの口元が少しだけ緩む。だが、その瞳はすぐに暗い絶望の色へと沈み込んだ。
「だが、ある日下層区に強力な魔物の群れが侵入した。俺たち下位の騎士は当然、防衛に向かおうとしたんだが……上層部のクソ貴族が出した命令は『下層区を切り捨て、貴族街へ続く大城壁の防衛に全戦力を回せ』というものだった。命令違反は死罪。俺は門を閉ざされ、妻がいる下層区が火の海になるのを、城壁の上からただ見ていることしかできなかった」
カイルが息を呑む音が聞こえた。
「翌朝、瓦礫と化した花屋の跡地で、俺は変わり果てた妻を見つけた。彼女の小さな手には、俺の帰りを待って握りしめられていた、黒焦げの小さな花飾りがあったよ。……その日の午後だ。俺の中で、何かが完全にブチ切れる音がした」
ゼノはグラスの強い酒を一気に煽り、ガンッ、とテーブルにグラスを置いた。
「俺は血に濡れた甲冑のまま騎士団本部へ乗り込み、下層区を見捨てる命令を下した上官の顔面を、原型をとどめなくなるまで斬り捨てた。当然、騎士団は除名され、地下牢行きだ。だが、俺の腕惜しさに裏社会のギルドが手を回して、俺を買い取った」
彼は自らのボサボサの髪をガシガシと掻き乱し、タバコを深く吹かした。
「光の当たる場所から、泥と血の裏社会へ。剣を捨てた俺は、狂ったように強い酒を煽り、肺を焼き尽くすほどタバコを吸い続けた。目を閉じるたびに妻の顔が浮かんで、狂いそうだったからな。……人を信じるのをやめた俺は、絶対に嘘をつかない『機械』に没頭した。そうして組み上げたのが、あのブラックハウンドってわけさ」
ゼノの過去。
それは、王都の腐敗したシステム(貴族至上主義)によって人生を狂わされた、一人の男の凄絶なエラーログだった。
「……だからよ、騎士様」
ゼノは、真っ直ぐな瞳でカイルを見据えた。
「お前たちが王都で何をしようとしてるのか、深い事情は聞かねえ。だがな……その剣だけは、絶対に手放すな。一度でも『護るべきもの』から目を逸らして絶望に飲まれちまえば、俺みたいに、タバコの煙と一緒に過去を誤魔化して生きるしかなくなる。……お前は、真っ直ぐに護り抜け」
カイルはゼノの言葉の重みを正面から受け止め、自分の腰にある白銀の聖剣と漆黒の魔剣にそっと手を添えた。
「ああ。……もう二度と、間違えはしない。私には、共に背負ってくれる仲間がいるからな。それに、貴方が見捨てたと言ったその『真っ直ぐな心』は、今でも貴方の中に確かに生きていると、私は思う」
カイルが力強く頷くと、ゼノは「……そうかよ」と短く返し、どこかホッとしたように目元を緩めた。
「さて、と。重い話の後は、最高のデバッグ(準備)といきましょうか」
私は立ち上がり、円卓の中央に『銀色の魔導鍵』を突き立てた。
背後に展開される、水、砂、樹、蒸気、そしてクリスタル・フォールで手に入れた『氷の鍵』。五つのマスターキーが極彩色の演算陣を形成する。
「バルド、ティオ、武器を貸して。グランゲートの闇市にある魔力リソース(素材)の在庫データに、私が直接アクセス(不正侵入)するわ。手に入れたばかりの『氷の鍵』の冷却プロトコルを応用すれば、あんたたちの武器の限界出力をもう一段階引き上げられる」
「マジか!? 俺の義手、撃つたびに排熱が追いつかなくて困ってたんだ!」
「アタシのナイフも、もっと鋭くして!」
私が空中の光のキーボードを高速で叩き、二人の武器の構造式を直接書き換えていく。
バルドの義手には青白い冷却管の術式が組み込まれ、ティオのナイフは凍てつくような鋭い輝きを帯びた。
「……何度見ても、お嬢ちゃんのそのイカれた技術には肝を冷やすぜ。魔導具職人が一生かけて辿り着く領域を、数秒で最適化しやがるんだからな」
ゼノがタバコをくわえたまま、呆れたようにため息をついた。
「当然でしょ。私は世界を直すプロウォーカーなんだから」
私が得意げに胸を張ると、ゼノはふっと口角を上げ、新しいグラスに酒を注いだ。
「よし、武器のアップデート完了! あとは美味いご飯を食べて、明日の朝一で王都に乗り込むわよ!」
私が宣言すると同時に、親父さんが山盛りの肉料理とパスタを運んできた。
「おう! この街のツケは、全部このゼノ兄ちゃんが払ってくれるからな! 食うぜェ!」
「わーい! お肉お肉!」
「おい待てコラ! 俺の報酬が全部酒とメシ代に消えるだろうが! お嬢ちゃん、止めろ!」
騒がしくなった円卓で、私たちは笑い合いながら、決戦前の最後の晩餐を楽しんだ。
(待ってなさい、レイン。エレナ)
私はグラスのフルーツカクテルを揺らしながら、ゼノの横顔を見つめた。
王都の腐った闇。ゼノのような優しい人間の人生を狂わせ、カイルに親殺しの罪を背負わせた、イグノタフ家と王都のバグだらけのシステム。
(最高のドライバーと、万全のアップデートは完了したわ。いよいよ、あの諸悪の根源の玉座を、私たちがハッキングしてぶっ壊す時よ!)
自由都市の地下酒場。
タバコの煙と、熱い決意が交差する夜。
王都奪還へ向けた、プロウォーカーたちの最終フェーズが、今静かに幕を開けようとしていた。




