第5章・第14話:裏社会の運び屋
「……マジでこんな氷の地獄に、生きた人間が歩いてくるってのか?」
凍てつくような雪原のど真ん中で、俺は愛車である魔導装甲車『ブラックハウンド』のボンネットに寄りかかり、ひび割れた唇でタバコをくわえて火をつけた。
フーッ、と白い煙と息を長く吐き出す。着古したブラウン調の厚手コートの襟を立てて風を凌いでいるが、ボサボサに伸びきった長髪の隙間から入り込む冷気が、32歳を迎えた身には容赦なく骨に響く。
俺の名前はゼノ。裏社会で「運び屋」をやっている、タバコと酒、そして機械が恋人のしがない魔導機師だ。
数日前、俺のギルドに奇妙な依頼が舞い込んだ。
匿名の依頼主から渡された白金貨の袋の中には、なぜか『王立学園・風紀委員長』というお堅い紋章が刻まれた、やたらと気高い香りのする手紙が同封されていた。
『――クリスタル・フォールの境界でわたくしの大切な仲間たちを回収し、南の【次の街】まで極秘裏に送り届けなさい。もし彼らに指一本でも傷をつけたり、乗り心地が悪いなどと不満を抱かせた場合、あなたの運び屋としてのキャリアごと社会的にデリートしますわよ』
(どんなお嬢様だよ、怖すぎだろ……)
手紙の余白には、別の筆跡で『ごめん、うちの委員長が熱くなってるけど、要するに次の街までのファスト・トラベル(馬車)の依頼だ。頼むぜ』と適当な追記があった。
正直、関わりたくない厄介事の匂いがプンプンしたが、俺は酒とタバコ、そして何より**『女の頼み』**にはめっぽう弱い生粋のフェミニストだ。こんな高圧的だが、筆跡から滲み出るような気高きレディの依頼を無下にできるわけがない。
俺はブラックハウンドを雪上仕様にチューンナップし、こうして極寒の地で待ちぼうけを食らっているというわけだ。
「ん……? 来たか」
吹雪が晴れ上がった雪道の向こうから、四つの人影が歩いてくるのが見えた。
俺はブラウンの瞳を細め、ターゲットを確認する。
巨大な黒鋼の義手を持つ大柄な男。
身軽に雪の上を跳ねる獣耳の少女。
そして……おいおい、嘘だろ? あの白銀の甲冑と漆黒の魔剣。お尋ね者になってるイグノタフ侯爵家の嫡男、カイル・イグノタフじゃないか!
かつて騎士の端くれだった俺の目から見ても、彼の歩法には一切の隙がない。なんであんな大貴族の、しかも極上の剣士がこんな辺境に!?
だが、俺の目を最も惹きつけたのは、そのパーティーの先頭を歩く少女だった。
白銀の魔導コートを翻し、周囲に五つの美しい『鍵』をふわりと浮遊させている、アメジストの瞳をした少女。手紙にあった特徴と完全に一致する。
「お前らが、おっかないお嬢様から依頼された客か?」
俺が短くなったタバコを雪に捨てて声をかけると、銀髪の少女は面白そうにアメジストの瞳を輝かせ、俺の愛車へと真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「へえ! レインとエレナの奴、気が利くじゃない。この極寒の雪道を次の街まで徒歩で向かうのはダルいと思ってたのよね。最高の『ファスト・トラベル』ポイントのアンロックってわけだ」
「ふぁすと、なんだって? 俺はゼノだ。裏社会の運び屋をやってる」
俺がブラウン調のコートのポケットから二本目のタバコを取り出し、自己紹介を手短に済ませようとした、その時だ。
「ゼノ、これあんたが組んだ魔導エンジン? 悪くないけど、マナの冷却サイクルに無駄なコード(記述)が3行もあるわ。これじゃ出力が80%で頭打ちになる。ちょっと貸して」
「はぁ!? おい、勝手に俺の相棒に触るな――って、な、なんだその光は!?」
少女――シエルと名乗った彼女が、手元の『銀色の鍵』を俺の装甲車のダッシュボードにカチャリと突き立てた瞬間。
俺が何ヶ月も徹夜して組み上げた魔導エンジンの制御陣が、青白い光と共に一瞬で『書き換え』られていくのが見えた。エンジンの駆動音が、今まで聞いたこともないような低く力強い重低音へと変貌する。
俺は驚きのあまり、くわえようとしたタバコをポロリと雪の上へ落としてしまった。
普通なら胸ぐらを掴んで怒鳴り散らすところだが、相手はうら若き乙女だ。俺のフェミニストとしての本能が、怒りよりも先に「なんて鮮やかな手口だ」という感嘆を抱かせてしまう。
「よし、冷却リミッター解除。これで出力は150%まで出せるわよ。さ、早く乗りましょ」
「お前……! たった数秒で、俺のブラックハウンドの深層術式を書き換えたのか!? 一体何者なんだ……!」
「私? 私は世界を直す天才ハッカーよ。よろしくね、運び屋のゼノ」
シエルは悪戯っぽくウィンクし、さっさと後部座席に乗り込んだ。
その後ろから、カイルという騎士が苦笑しながら「すまないゼノ殿。彼女は天才だが、機械に対する境界線がないんだ」と頭を下げて乗り込み、大男と獣耳の少女もワイワイと乗り込んでくる。
(……とんでもないバケモノどもを乗せちまったらしい)
俺はボサボサの頭を掻きながら運転席に座り、アクセルを踏み込んだ。
ズォォォォォンッ!!
シエルの調整を受けたブラックハウンドは、雪上とは思えないほどの爆発的な加速を見せ、次の街へと続く雪道を猛スピードで駆け抜けていく。
だが、この規格外の乗客たちとの旅は、ただのドライブでは終わらなかった。
「――後方より魔力反応! 複数、速いぞ!」
助手席に乗っていたカイルが、鋭い声で警告を発した。
バックミラーを見ると、雪煙を上げてこちらを猛追してくる黒い影が五つ。
魔導駆動の雪上バイクに乗った、黒ずくめの暗殺者たちだ。その胸元には、イグノタフ家の裏の紋章が刻まれている。
「チッ、イグノタフの暗殺部隊かよ! やっぱり厄介事じゃねえか!」
「カイルの生存がバレたか。ゼノ、振り切れる?」
後部座席からシエルが身を乗り出して聞いてくる。
「俺のテクを舐めるな! だが、相手は軽量バイクだ、この雪道じゃあっちに分が――」
俺が言い終わるより早く。
「なら、アタシが足止めする!」
獣耳の少女、ティオが装甲車のルーフハッチを蹴り開け、猛烈な吹雪が吹き荒れる車外へと飛び出した。
「おいバカ! レディがそんな危ないことするな! 振り落とされるぞ!」
俺の悲痛な叫びを無視して、ティオは時速100キロを超える車体の上で完璧なバランスを取り、後方の暗殺者たちに向けて両手を振るう。
「【猟兵奥義・氷結罠】!」
彼女が投げ放った無数のダガーが雪面に突き刺さった瞬間、見えない鋼糸が罠を形成し、先頭を走っていた暗殺者のバイクの車輪を正確に絡め取った。
「ガァッ!?」
先頭の二台が派手に横転し、雪煙を上げて爆発する。
「ゼノ兄ちゃん! ルーフのハッチ、開けっ放しでいいぜ!」
今度は大男――バルドが、黒鋼の義手からカシャッと重々しい銃身を展開させながら、ハッチから半身を乗り出した。
「追っ手の魔導砲撃が来る! バルド、防壁展開!」
「おうよ! 【防壁限界稼働】ッ!!」
後続の暗殺者たちが放ってきた赤黒い魔力弾の雨を、バルドが展開した分厚いエネルギーシールドがすべて弾き返す。
ガンッ! ガガガガンッ! と、凄まじい衝撃が車体を揺らすが、俺のブラックハウンドには傷一つ付かない。
「シエル! 敵のバイクの駆動系、やれるか!?」
「任せて。すでに照準は済んでるわ」
車内で悠然と座っているシエルが、空中に展開した光のキーボードをカタカタと叩く。
「――【局所改竄・魔力逆流】実行!」
ピキィィィンッ!
シエルの瞳が輝いた瞬間、暗殺者たちの乗る魔導バイクのエンジンが突如として火を吹き、制御不能に陥って次々と雪の斜面へと激突していった。
(……なんだこいつら。本当に人間か?)
運転席でハンドルを握りながら、俺は戦慄を通り越して笑いが込み上げてきた。
追っ手の暗殺部隊など、彼女たちにとっては「道中のちょっとした雑魚イベント」程度の手間でしかないのだ。
「残りは一台……私が終わらせよう」
最後に、助手席のカイルが静かに窓を開けた。
彼は身を乗り出すと、白銀の聖剣を鞘からわずかに引き抜いた。その剣身が、眩い光を帯びる。
「――【白銀の絶華】」
カイルが剣を振るった瞬間、目にも止まらぬ白銀の斬撃が虚空を走り、数百メートル後方を走っていた最後の暗殺者のバイクを、運転手ごと真っ二つに両断した。
「……お見事だ」
俺は感嘆の息を漏らした。
淀みない太刀筋。一切の迷いがない、純粋な『護るための剣』。
見る影もなくやさぐれてしまった今の俺とは違う、本物の騎士の輝きがそこにあった。
俺はブラウンの瞳を細め、コートのポケットからクシャクシャになった箱を取り出すと、三本目のタバコに火をつけた。
「怪我はないか、ゼノ殿」
カイルが涼しい顔で窓を閉めながら、俺を気遣ってくる。
「ああ、お前らのおかげで俺の愛車は無傷だ。……全盛期のイグノタフの剣技と、天才ハッカーと、凄腕の傭兵たち。なるほどな、あのお嬢様がわざわざ大金を積んで『絶対に回収しろ』って言った理由が分かったぜ」
俺は細くタバコの煙を吐き出し、バックミラー越しに後部座席を見た。
シエルはすでに光のキーボードをしまい、窓の外の景色を眺めながらふっと笑っていた。
「さあ、このまま次の街までかっ飛ばしてちょうだい、ゼノ。そこでしっかり装備を整えてから、王都のバグを全部デバッグしに行くんだから」
「了解だ。しっかり掴まってろよ、規格外の乗客たち。俺のブラックハウンドの『本気』を見せてやる」
俺は深々とタバコを吹かし、アクセルをさらに強く踏み込んで、シエルのハッキングで限界を突破したエンジンを咆哮させた。
裏社会の運び屋として、これまで数え切れないほどのワルや大物を乗せてきたが。
これほど頼もしく、そして乗せていてワクワクする連中は、間違いなく初めてだった。
(……一仕事終えたら、最高に強い酒が飲めそうだ)
俺は少しだけ口角を上げ、雪原を切り裂くように愛車を走らせた。




