第5章・第5話:白銀の魔導コート
昼食を終えた一行は、北の獣道という過酷なルートを踏破するため、スノウゲートの市場へと足を運んでいた。
かつて王都やレイト・グリッドで買い揃えた装備も、絶対零度の地へと向かう今の彼らにはいささか心許ない。
「まずは、バルドの義手の改修が先ね。さっきみたいに凍りついて動かなくなったら、前衛が崩壊するわ」
「ああ、任せとけ。この町の工房を少し借りるぜ。マスターエンジニアの腕の見せ所だ」
バルドは大量の魔導部品と特殊なオイルを買い込むと、町の外れにあるドワーフの貸し工房へと籠もった。
数時間後、満足げな顔で出てきた彼の右腕は、これまでの鈍く光る真鍮色から、艶消しの黒と銀に覆われた重厚な『寒冷地仕様』へと変貌を遂げていた。
「関節部のオイルを特級の『不凍液』に入れ替え、フレームの内側に熱伝導を完全に遮断する断熱コーティングを施した。おまけに、シエルが無理やりオーバークロックさせなくても、内部の魔力シリンダーが自発的に微弱な摩擦熱を放ち続ける仕様だ」
バルドが自慢げに右手の拳を握り込むと、シュウゥ、と微かな蒸気と共に、周囲の雪がフワリと溶けた。
「これで、どんな猛吹雪の中でも俺の生身の肩が凍傷になることはねえ。絶好調だぜ」
「上出来ね。前衛の盾がしっかりしてくれないと困るもの」
シエルが頷き、次に三人が向かったのは、旅人向けの高度な魔道具を扱う専門店だった。
獣道は通常の魔獣だけでなく、極寒の環境そのものが牙を剥く。シエルはハッカーとしての鋭い目で、店内に並ぶ品々を吟味していく。
「この『携帯型・熱源結界の魔石』を3つ。それと、高濃度の『凍傷回復ポーション』をダースで。あとは雪中での野営用に、魔力で膨らむ断熱テントも貰うわ」
次々と実用的な魔道具を買い揃えていくシエルとバルド。
しかし、その二人の後ろを歩くティオは、いつもなら「これ何!? 食べられるの!?」と目を輝かせるはずの魔道具屋にあっても、ひどく静かだった。
歩幅は小さく、視線は足元の雪に落ちたまま。
リュックの肩紐を両手でギュッと握りしめ、時折、何か恐ろしいものを思い出したかのようにビクッと小さな肩を震わせている。フロストフォールで見てしまった、黒焔と親子の石像の光景が、まだ10代の少女の心に暗い影を落としていた。
バルドが心配そうに振り返ろうとしたが、シエルがそれを目で制した。
(……無理もないわ。私たち大人でさえ、言葉を失うほどの凄惨な光景だったんだから。かける言葉なんて、今の彼女にはただのノイズよ)
「……さて。必要な魔道具は揃ったわね」
シエルは購入した荷物をバルドに持たせると、ふと、隣にあった防具・衣服の専門店へと視線を向けた。
「次は私の番よ。この服装じゃ、獣道を抜ける前に私が凍死してしまうわ」
*
十分後。
試着室から出てきたシエルの姿に、バルドは「おっ」と目を丸くし、うつむいていたティオも思わず顔を上げた。
「……どうかしら。少し重いけれど、機能性は申し分ないわ」
これまでの軽快で動きやすいハッカースタイルから一転し、シエルは極寒の地に完全適応した装いへと変化していた。
基調となっているのは、雪景色に溶け込むような美しい白銀色と、彼女のアメジストの瞳を引き立たせる深い群青色。
上着は、魔力繊維を幾重にも編み込んだ、膝丈まである厚手の『魔導防寒コート』。
首元とフードの縁には、冷たい風を完全にシャットアウトするモコモコとした真っ白なファーがあしらわれており、シエルの小柄で華奢な輪郭を柔らかく包み込んでいる。
コートの下には保温性の高いタイトな黒いインナーと、分厚い生地の防寒タイツ。足元は、氷の上でも決して滑らないように特殊なスパイクと魔力グリップが施された、頑丈なロング丈のスノーブーツを履いていた。
そして何より特徴的なのは、彼女の手元だった。
「防寒具は必須だけど、キーを叩く(演算する)指先の感覚が鈍るのは致命的だからね」
シエルが両手を顔の前にかざす。彼女が着けているのは、手首から手の甲までは分厚い魔力断熱材で覆われているが、指の第二関節から先だけが露出している特注の『ハーフ・フィンガーグローブ』だった。
天才ハッカーとしての機能美と、少女らしい洗練されたデザインが完璧に融合したその姿は、冷たくもどこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「おお、似合ってるじゃねえか。これで凍え死ぬ心配はなさそうだな」
バルドが感心したように頷く。
「……シエル、かっこいいし、モコモコしてて可愛い……」
ティオがぽつりと呟き、ファーの部分にそっと手を伸ばした。
「ティオ」
シエルは、元気のないティオの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
そして、自分が試着室に持ち込んでいたもう一つの紙袋から、ふかふかの『赤い毛糸のイヤーマフ(耳当て)』を取り出し、ティオの獣耳ごとすっぽりと優しく覆い被せた。
「わっ……あったかい……」
「獣人にとって、耳の凍傷は命取りになるって聞いたわ。……あんたのその立派な耳が石みたいにカチカチに凍っちゃったら、笑い事じゃ済まないからね」
シエルの少しだけ意地悪で、けれどひどく優しい声。
耳を覆う柔らかな温もりと、目の前で微笑むシエルの姿に、ティオの瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……シエルぅ……おじさん……っ」
ティオはシエルの新しいコートに顔を埋め、子どものようにしゃくり上げ始めた。
親子の石像を見た恐怖、無力感、そして、温かい仲間が傍にいてくれることへの安堵。すべての感情がぐちゃぐちゃになって溢れ出していた。
シエルは嫌がることもなく、静かにティオの背中をポンポンと撫で続けた。バルドも優しく目を細め、大きな手でティオの頭をポンと撫でる。
「……泣きたいだけ泣きなさい。でも、涙が凍る前に前を向くのよ。私たちには、やるべきことがあるんだから」
「……うんっ……ぐすっ……うん!」
ティオは赤いイヤーマフをつけたまま、袖で乱暴に涙を拭い、無理やりだが、しっかりと力強い笑顔を作ってみせた。
その決意の宿った琥珀色の瞳を見て、シエルは満足げに頷き立ち上がった。
「……それと、バルド。あんたにはこれよ」
シエルは紙袋の奥から、極厚の獣毛で編み込まれた大きな**『魔導発熱の腰巻き』**を取り出し、バルドに向かって放り投げた。
「おっ?」
「義手が万全でも、腰や下半身が冷えたら自慢の巨体も踏ん張りが利かなくなるでしょ。冷えは中年のおじさんには大敵だからね。しっかり腰に巻いておきなさい」
ぶっきらぼうなシエルの言葉に、バルドは手の中にある分厚く温かい腰巻きと、シエルの顔を交互に見て、愉快そうに豪快な笑い声を上げた。
「がははっ! 違いねえ、腰が冷えちゃ重い一撃は撃てねえからな! ……へっ、気配り上手で助かるぜ。ありがたく使わせてもらうよ、うちのリーダー殿」
バルドはその立派な獣毛の腰巻きを、ズボンの上からしっかりと巻きつけ、ベルトで固定した。金属の義手と野性的な腰巻きが、歴戦のエンジニアらしい無骨な迫力をさらに引き立てている。
装備の刷新、極寒の地への適応、そして、仲間の心の再起。
「さあ、行くわよ。世界のバグの震源地――クリスタル・フォールへ」
新しい白銀の魔導コートを風に翻し、シエルが先陣を切る。
完全に準備を整えた三人のプロウォーカーは、猛吹雪が吹き荒れる北の獣道へと、いよいよその足を踏み入れた。




