1章 8話 捜索
いつの間にか空が赤く染まり始めている。
僕らは、人間界へつながる“裂け目”を探していた。
「裂け目の場所は覚えてない?」
「覚えてないって言ってるでしょ。それどころじゃなかったんだから」
「まぁ光ってるなら、暗くなったら見つけやすくなるか」
「どこを探すの?」
「あてずっぽう」
少女が呆れたように息を吐いた。
ピィィィィー!
突然、高い角笛の音が響いた。
遠くで応えるように別の角笛が鳴り、さらに違う方角からも続いた。
この音は――。
「まずい」
「どうしたの?」
「たぶん、君を捜してる」
少女の表情が強張った。
角笛は鳴らし方で意味が変わる。
これは逃げた獲物を捜すときの合図だ。
「ここにいたら見つかる。行こう」
誰かが通りそうな道を避け、木々の深い方へ進んだ。
少女の脚が心配だったけど、今は休んでいる場合じゃない。
しばらくすると、前方から話し声が聞こえてきた。
「こっちはいない!」
「もっと奥まで調べろ!」
複数の足音が近づいてくる。
「川沿いを調べろ。足跡を見落とすな」
僕は思わず顔をしかめた。
聞き覚えのある声――ドルガだ。
このまま進めば鉢合わせする。
辺りを探すと、地面から突き出した大岩があった。
根本がくぼんでいて、シダが覆いかぶさっている。
「しばらく、あそこに隠れてて」
少女は大岩へ向かいかけてから、僕を振り返った。
「あなたは?」
「あいつらをここから遠ざけないと」
少女は不安そうだったけど、岩陰へ身を潜めた。
僕は茂みをかき分け、あえて向こうから見える場所へ出た。
先頭にはドルガ。
その後ろには衛兵たちが続いている。
そして、その中には姉さんもいた。
衛兵だけでは人手が足りず、里の大人たちまで駆り出されたらしい。
「トウヤ?」
姉さんが僕に気づいた。
その声でドルガもこちらを向く。
「角なし。こんなところで何をしている」
「散歩」
ドルガの目が、僕の頭から足元まで動いた。
服は泥だらけで、あちこち破けている。
「ずいぶん楽しそうな散歩だな」
「森って危ないね」
もちろん笑ってはくれなかった。
「保管庫から人間が一人逃げた」
「人間が?」
知らないふりをして聞き返す。
「この森へ逃げ込んだ可能性がある。この辺りで見なかったか」
「見てないよ」
迷わず答えた。
ドルガはしばらく僕を睨んでいたが、やがて周囲の鬼たちへ指示を飛ばした。
衛兵が散らばり、茂みや岩陰を調べ始める。
そのうちの一人が大岩へ向かった。
まずい。
岩の下を覗かれたら終わりだ。
「そっちには、誰もいなかったよ」
僕は衛兵へ声をかける。
ドルガの目がこちらへ向いた。
「ほう」
嫌な声だった。
「散歩をしていただけのお前が、なぜわざわざ岩陰を調べた?」
しまった。
何も考えていなかった。
「それは……珍しい虫がいたから」
姉さんが、ものすごく心配そうな顔をしている。
「なら、もう一度調べればよかろう」
ドルガが顎をしゃくった。
衛兵が再び大岩へ向かう。
なんとかしないと。
でも、ここで止めれば、岩陰に何かあると教えるようなものだ。
衛兵がしゃがみこみ、シダの隙間へ手を伸ばす。
やばい、気づかれる!
そう思った瞬間、斜面の上から別の衛兵が駆け下りてきた。
「ドルガ様!」
シダに触れる寸前だった衛兵の手が止まる。
「北側を調べていた者から報告です!」
「人間がいたか」
「いえ。北の崖で鬼の死体が見つかりました」
ドルガの顔が険しくなる。
「死因は?」
「斬られています。胸から腹にかけて一太刀で」
周囲にいた鬼たちがざわめいた。
「獣ではないのか?」
「あんな傷をつける獣はいません。それに死体があったのは裂け目のすぐそばです」
ドルガの目つきが鋭くなった。
「……鬼狩りか」
鬼狩り――鬼を殺す人間。
噂でしか聞いたことがない。
「はい。人間界から渡ってきた可能性があります」
僕は別の言葉に引っかかっていた。
北の崖に裂け目がある。
少女を帰せる場所が、ようやく分かった。
「逃げた人間も、そこへ向かうかもしれんな」
ドルガが周囲の鬼たちへ向き直る。
「急いで北へ向かう。裂け目を先に押さえるぞ」
鬼たちが一斉に動き出した。
大岩を調べようとした衛兵も、今度こそ離れていく。
助かった。
でも、喜んでばかりもいられない。
ドルガたちも北へ向かう。
しかも、その近くには鬼狩りまでいるかもしれない。
「トウヤ」
姉さんだけが、その場に残った。
「あなたは帰りなさい」
「僕は……もう少ししたら帰るよ」
姉さんは僕の泥だらけの服を見た。
それから、少女が隠れている大岩へ目を向ける。
「ユナ! 行くぞ!」
先へ進んだドルガの声が飛んできた。
「今行きます!」
姉さんは答えると、僕の頭に手を置いた。
「気をつけるのよ」
それだけ言って、ドルガたちを追っていった。
ドルガたちの姿が見えなくなり、足音も遠ざかっていく。
それから少し待って、僕は大岩へ近づいた。
「もう大丈夫だよ」
シダが揺れ、少女が岩陰から這い出してくる。
「心臓が止まるかと思ったわ」
「僕も」
「でもさっきの話」
「うん。北の崖に裂け目があるみたいだ」
「じゃあ、行きましょう」
えらく行動が早い。
「待って。ドルガたちも北へ向かったんだよ」
「だったら急がないと」
「いや、近づくのは危ないんじゃないかって話なんだけど」
「帰れる場所が分かったのに、ここにいる方が嫌よ」
少女はもう歩き出そうとしていた。
「わかったよ。でも、捜索隊とは別の道を行こう」
僕らは捜索隊が進んだ方向を避け、森の奥へ入った。
そこから大きく回り込んで、北を目指す。
道を外れたせいか、次第に足場が険しくなっていった。
空は赤から紫へ変わり始めている。
完全に暗くなるまで、そう時間はなさそうだ。
しばらく進んだところで、少女が口を開いた。
「さっき、鬼狩りって言ってたわね」
「うん」
「助けてくれるかもしれない」
「君はね。僕が会ったら殺されちゃうよ」
少女が僕を見る。
「助けてもらったって私が言う。あなたは優しい鬼だって」
僕は小さく笑った。
この子なら本当に言いそうだ。
「鬼だって分かったら、話を聞く前に斬られるかも」
「鬼だって言わなきゃいいじゃない」
「そんなに簡単に騙せるかな」
「角もないし、人間の肉も食べないんでしょ?」
「そうだけど」
「だったらバレないわ」
「ずいぶん適当だね」
「あなたに言われたくない」
そう言って、少女は先へ進んでいく。
角がないことも。
人間の肉を食べられないことも。
里では、僕が“できそこない”である証だった。
なのに、この子と話していると、そんなことはどうでもいいことのように思えてくる。
なんだか、不思議な気分だった。
それからしばらく進むと、足場はさらに悪くなっていった。
地面から突き出した岩が増え、太い木の根があちこちを這っている。
少女はさっきから何度も遅れていた。
「足、痛いんでしょ」
「平気よ」
そう言いながら岩を越えようとして、少女の身体がよろけた。
「このままじゃ、朝になっちゃうよ」
僕は少女の前で背中を向け、しゃがんだ。
「乗って」
少し迷ってから、少女が僕の背中に身体を預けた。
「重いとか言ったら殴るから」
「言わないよ」
少女を背負ったまま、岩の多い道を進んでいく。
背中に少女の体温が伝わってくる。
人間を背負って歩くなんて想像もしなかった。
「トウヤ」
突然、聞き慣れた声がした。
少し先の木のそばに、誰かが立っている。
白い髪。
頭には少し欠けた角。
シロエだった。
シロエは僕を見ている。
いや、正確には、僕に背負われている少女を見ていた。
「その子……誰?」




