8話 裏切り
「今日は僕ひとりで探してくるよ」
「どうして?」
隠れ家にしている洞窟を出ようとすると、少女が不満そうに言った。
「その足じゃ、長く歩けないだろ」
少女の傷は少しずつよくなっているけど、まだ歩くたびに右足をかばっていた。
昨日みたいに何時間も歩かせるわけにはいかない。
「でも、あなた一人だと迷うじゃない」
「迷わないよ」
少女が心配そうに僕を見る。
そんな顔をされると、なんだか調子が狂う。
「日が暮れるまでには戻ってくるから」
「絶対よ?」
少女が念を押すように、僕の顔をのぞき込んだ。
思ったより顔が近くて、どきっとする。
「わ、わかってるよ」
「どうしたの?」
「なんでもない!」
少女は不思議そうに首をかしげた。
僕はなんとなく顔を見られなくなって、逃げるように隠れ家を出た。
※
暗がりの森は、あいかわらず嫌な雰囲気だった。
枝をかき分けても、枝をかき分けても、見えるのは同じような木ばかり。
どこまで行っても、じめじめした土と白い霧が続いている。
僕は木の幹に爪で印をつけながら進んだ。
「ないなあ」
森の奥へ向かっても、裂け目らしいものは見つからない。
光って見えるものがあるたびに駆け寄った。
でも、朝露だったり、白い花だったり、虫のお尻だったりした。
なんだか虫にまで腹が立ってきた。
「紛らわしいんだよ」
吐き捨てるようにつぶやくと、虫は知らん顔で飛んでいった。
日が少しずつ傾いていく。
今日も見つけられなかったら、少女はどんな顔をするだろう。
きっと、がっかりする。
でも、すぐに平気な振りをして「明日また探せばいいわ」なんて言うんだ。
沈みかけた太陽を見上げる。
「もう少しだけ」
僕は隠れ家とは反対の方向へ歩き出した。
しばらくすると、森はすっかり暗くなってしまった。
諦めようかと思ったそのとき、木々の隙間から白い光が見えた。
「なんだ?」
何もない空間に白い亀裂が走っていた。
まるで、世界そのものがぱっくりと割れているみたいだった。
「もしかして……」
僕は息をのんだ。
近づくと、亀裂の向こうから温かい風が吹き抜け、これが裂け目だと確信した。
「本当にあった!」
うれしくて、その場で飛び上がった。
これで少女を弟のところへ帰してやれる。
あの子の笑った顔が浮かんで、思わず口元が緩んでしまう。
「よーし、待ってろよ!」
僕は隠れ家へ向かって走り出した。
※
隠れ家にしている洞窟が見えてくる。
僕は息を切らしながら、入口へ飛び込んだ。
「見つけたよ! 裂け――」
言葉が止まった。
壊れた髪飾りが地面に転がっている。
食べ物は踏みつぶされ、木の実が散らばっていた。
少女が座っていた場所には、赤黒い染みが広がっている。
「え?」
頭がうまく動かない。
「冗談だろ?」
どこかに隠れていてほしかった。
僕を驚かせようとしているだけであってほしかった。
「出てきてよ」
声は暗い洞窟に吸い込まれていった。
そのとき、後ろから声がした。
「ごめんなさい」
入口のそばに立っていたのは、シロエだった。
髪が顔にかかって、表情がよく見えない。
「シロエ?」
どうしてここにいるんだって聞こうとした。
でも、先に違う言葉が出た。
「あの子は?」
シロエは答えなかった。
「ねえ、どこにいるの?」
顔を上げると、シロエは泣きそうな目をしていた。
「長老の命令で衛兵たちに連れていかれたわ」
「どうして……」
そこで昨日のシロエの顔を思い出した。
嫌な考えが、頭に浮かぶ。
「まさか」
シロエは目をそらさなかった。
「私が長老に知らせたの。暗がりの森に人間が隠れているって」
頭の中で何かが切れた気がした。
「なんでだよ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
シロエの肩が小さく揺れる。
「なんでそんなことしたんだ! あの子がどうなるかわかってるだろ!」
「わかってるわ」
「だったらどうして!」
シロエは唇をかんだ。
「あなたを守るためよ。長老には、暗がりの森に人間がいるって、それしか伝えなかった。トウヤが匿っていたことは話してないわ」
シロエは必死に言葉を続ける。
「人間を捕まえてもらえば、もうトウヤは掟を破らずにすむ。そうすれば、いつもどおり三人でいられるって……」
「じゃあ、あの子は?」
シロエの言葉が止まった。
「あの子が殺されてもいいっていうのかよ?」
「違う」
「何が違うんだよ!」
「あなたが殺されるのが怖かったのよ!」
シロエの叫びが、洞窟の壁にぶつかって返ってきた。
シロエの目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「トウヤはわかってない。人間と関わることが、どれだけ重い罪なのか」
シロエは両手を強く握った。
欠けた角の下で、白い髪が震えている。
「私は見たのよ」
「何を?」
「粛清」
その一言で洞窟の空気が変わった気がした。
シロエはゆっくりと、自分の欠けた角へ触れた。
「私のおばあちゃんは人間を愛したの」
「人間を?」
「二人の間に子どもが生まれた。その血が私にも流れてる」
初めて聞く話だった。
シロエが掟に詳しい理由。
人間の話になると、誰より怯えていた理由。
全部が少しずつつながっていく。
「長老たちに知られたとき、おばあちゃんは私の前で粛清されたわ」
シロエの声がかすれた。
「みんなに押さえつけられて、生きたまま食べられた。何度も助けてって叫んでた。でも、誰も助けなかった。最後には何も残らなかった。骨も、髪も、存在さえも」
僕は何も言えなかった。
シロエは涙を拭おうともせず、僕を見た。
「私はトウヤを失いたくなかった」
その言葉が痛かった。
シロエが僕を大切に思ってくれていることはわかる。
本気で守ろうとしてくれたことも。
それでも――
「だからって、あの子が殺されていい理由にはならないよ」
シロエの顔がゆがんだ。
「じゃあ、どうすればよかったの?」
「黙っててくれればよかった」
「いつか必ず見つかるわ。そうすれば、あなたまで粛清されてしまう」
「あの子を見捨てるよりましだ!」
言った瞬間、シロエの目が大きく見開かれた。
僕はシロエに背を向けた。
「どこへ行くの?」
「保管庫」
「待って!」
シロエが僕の腕をつかむ。
「絶対に行かせない」
シロエの腕を振りほどこうとした、そのとき。
ビィィィ――ッ!
角笛が響きわたった。
里の鬼たちを広場に集める合図。
僕とシロエは同時に里の方を見る。
集会が始まろうとしていた。
誰かが人間を匿っていたことも、きっとみんなに知らされる。
「逃げたら疑われるわ。里に向かいましょう」
「でも、あの子が――」
保管庫に行けば少女がいる。
今すぐ走れば、助けられるかもしれない。
でも、ここで僕が捕まったら、誰もあの子を助けられなくなる。
「くそっ」
僕は少女の髪飾りを強く握りしめ、鬼の里へ続く道を見た。
人生で一番長い夜が、始まろうとしていた。




