9話 粛清の儀
広場は熱気とざわめきで満ちていた。
笑う鬼。叫ぶ鬼。歯を鳴らす鬼。
僕とシロエはその中を歩く。
僕の頭に浮かぶのは、少女のことばかりだ。
きっと、まだ生きている。
集会が終わったら、必ず助けに行く。
「おい!」
ジンが人混みをかき分けてやってきた。
「お前らどこ行ってたんだよ。ふたりともいねぇし、いきなり角笛は鳴るし、何がどうなってんだ?」
ジンは何も知らない。
僕もシロエも答えられなかった。
「なんだよ。ふたりとも変な顔して」
そのとき、太鼓が鳴った。
鬼たちが一斉に広場の中央を見る。
そこには、灰色の石で作られた大きな台があった。
審ノ台――罪を犯した鬼を裁く場所。
長老がその上に立った。
「静まれ!」
騒いでいた鬼たちが口を閉じる。
「暗がりの森で人間が発見された」
長老が話し出すと、大きなざわめきが起こった。
「問題は人間がいたことではない。その人間は何者かにかくまわれていた。食料を与えられ、傷の手当てまでされていた。我らの目を盗み、人間を守っていた裏切り者がいる!」
鬼たちの怒号が飛び交う。
「誰だ!」「人間を助けただと?」「ふざけやがって!」
心臓の音がどんどん早くなる。
耳鳴りがはじまり、足元がぐらりと揺れた気がした。
隣を見ると、ジンが怒った顔をしていた。
「人間をかくまうなんて、ふざけたやつだ」
その言葉が突き刺さった。
「見つけたら、ただじゃおかねぇ」
「ジン」
「なんだ?」
「いや……なんでもない」
本当のことを言えるはずがなかった。
僕がその裏切り者だなんて。
「掟を破った者は必ず見つけ出す」
長老の声が響く。
「そして――粛清する」
その言葉を聞いた瞬間、シロエがくらっとよろめいた。
「証拠を!」
長老の声が響いた。
衛兵が前に出る。
その手には毛布があった。
「人間が隠れていた場所から発見しました」
衛兵が毛布を持ち上げた。
「この毛布には、人間とは別の鬼の匂いが残っております」
血の気が一気に引いていく。
長老が命じる。
「匂いをたどれ」
衛兵が毛布を持って、広間に集まった鬼たちの間を歩き始めた。
匂いを確かめながら近づいてくる。
逃げるな。
逃げたら怪しまれる。
そう自分に言い聞かせても、足が勝手に後ろへ下がりそうになる。
あと十人。
五人。
三人。
そして、僕の前で止まった。
衛兵が鼻を動かす。
「……この匂い、お前」
まわりの視線が僕に突き刺さる。
逃げる?
逃げられるわけがない。
認める?
殺されて終わりだ。
どうすればいい。
頭が真っ白になる。
衛兵が僕へ一歩近づいた。
「長老様。この鬼が――」
「待ってください」
澄んだ声が広場に響いた。
聞き間違えるはずがなかった。
人混みの向こうから、ひとりの鬼が歩いてくる。
「姉さん?」
姉さんは僕の前まで来ると優しく笑った。
そして長老へ告げる。
「人間をかくまったのは――私です」
広場がざわつく。
「ち、ちがう!」
思わず叫んでいた。
「姉さんじゃない!」
姉さんは振り返る。
その目は少しも怯えていなかった。
「あなたは生きなさい」
小声でそう言って、迷いのない足どりで石壇をのぼっていく。
「嫌だ!」
僕は姉さんを追った。
でも、すぐに衛兵に押さえつけられる。
「姉さん!」
必死にもがく。
爪が石畳を引っかき、腕が痛むほど暴れても、まわりの鬼に組み伏せられた。
長老が声を上げる。
「人間をかくまう罪は重い。ゆえに鬼王様へ報告した」
鬼たちがざわつく。
鬼王自ら裁きを下す、そんなことは滅多にない。
父さんが里へ姿を現すことも、ほとんどなかった。
広場の空気が変わる。
コツ。
コツ。
コツ。
誰も声を出さない。
コツ。
コツ。
コツ。
重い足音が石畳を打つ。
自然と道が開き、鬼たちは頭を下げた。
その場にいる誰もが本能的に逆らえないことを知っていた。
黒い衣。
長い黒髪。
燃えるような赤い瞳。
鬼王グレン――父さんが現れた。
父さんは誰の顔も見ないまま審ノ台へ上がると、はじめて姉さんへと視線を向けた。
「ユナ」
「はい」
「人間をかくまったことに間違いはないか」
「ありません」
広場が静まり返る。
父さんはしばらく姉さんを見つめていた。
娘を見る父親の目ではなかった。
ただ、掟を破った鬼を見る目だった。
「よかろう」
その一言だけだった。
迷いも怒りも悲しみもない。
父さんは静かに一歩踏み出した。
「ユナ。お前を粛清する」
「父さん! やめてよ!」
僕は叫んだ。
でも、父さんは僕を見ようともしない。
父さんの腕が動く。
次の瞬間、姉さんの胸から赤い血があふれた。
姉さんの体がぐらりと揺れる。
倒れながら僕を見た。
苦しいはずなのに、姉さんは微笑んでいた。
父さんは血の付いた腕を振るい、淡々と言った。
「粛清しろ」
鬼たちが一斉に飛びかかる。
「やめ――」
無数の影が姉さんを覆い隠す。
見えないけど、聞こえてくる。
肉を引き裂く音。
骨を砕く音。
獲物を奪い合うような笑い声。
最後に見えたのは、姉さんの手だった。
細くて白い手が鬼たちの隙間から力なく伸びる。
指先が震え、そのまま動かなくなった。
僕は衛兵に押さえつけられたまま、その光景を見つめることしかできなかった。
やがて、鬼たちは満足そうに離れていく。
審ノ台には何も残っていなかった。
まっ赤な血だけが黒い石を濡らしている。
父さんが姉さんを殺した。
鬼たちが姉さんを喰った。
誰も助けてくれなかった。
それが鬼の掟だった。
僕はずっと思っていたんだ。
鬼の中にも優しいやつはいるって。
でも、それは間違いだった。
この夜、僕は姉さんを失った。
そして――鬼を憎んだ。




