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1章 10話 ジン

「人間を連れて何してんだ」


ジンの赤い瞳は、少女に向けられていた。


いつものジンとは雰囲気が違う。


なんだかすごく嫌な感じ。


「答えろよ、トウヤ」


僕は少女の前に出る。


「……この子を人間界に帰すんだ」


「は?」


「北の崖に裂け目がある。そこまで送る」


ジンはしばらく黙っていた。


聞こえなかったのかと思ったけど、そうじゃないらしい。


「お前、本気で言ってんの?」


「うん」


「なんで人間なんか助けんだよ」


「この子には弟がいるんだ。人間界で待ってる。それに――」


ジンが僕らへ向かって歩き出す。


「ジン?」


そのまま僕の横を通り過ぎる。


少女の前まで来ると、右腕を振り上げた。


咄嗟に二人の間へ飛び込み、その腕を受け止めた。


「邪魔すんな」


「するよ! 何する気だよ!」


「殺す」


あっさりと返ってきた。


あまりにも普通に言うから、一瞬意味が分からなかった。


「な、なんで?」


「人間は敵だろ。見つけたら殺す。それだけじゃねぇか」


ジンは本気で不思議そうだった。


ジンにとっては、理由を考えるようなことですらない。


僕はジンの前に立ちふさがった。


ジンの口元がわずかに歪む。


「俺とやる気か?」


「やらないよ。でも殺させるつもりもない」


「ふざけんな」


胸を強く押された。


身体が後ろへ弾かれ、地面に転がる。


すぐに身体を起こした。


でも、ジンは僕には目もくれず、少女へ向かっていた。


「逃げて!」


少女が駆け出す。


けれど、怪我をした足では、すぐに追いつかれる。


「こ、来ないで!」


少女は地面の石を拾って投げる。


ジンは首を傾けただけでかわした。


「そんなの当たるかよ」


一気に距離を詰める。


「きゃっ!」


ジンの爪が少女の腕を裂いた。


血が飛び散る。


少女は地面に倒れた。


それでもジンは止まらない。


倒れた少女へ、もう一度腕を振り上げる。


「ジン、やめろ!」


僕の声なんか聞こえていないかのように、ジンの爪が振り下ろされる。


気づいたときには、僕はジンを殴っていた。


ドン!


鈍い感触が手に残る。


ジンが二、三歩よろめく。


ジンは殴られた頬に触れた。


「お前なにしてんだ?」


「ジンがやめないからだろ」


「人間のために、俺を殴ったのか?」


僕は答えられなかった。


ただ、この子が殺されるのを見ているなんてできなかった。


「……もういい」


「ジン?」


「そいつから離れろ。今ならまだ許してやる」


ジンが手を差し出す。


「だから、こっち来いよ」


何度も助けてもらった手だった。


谷から落ちそうになったときも、ジンはこの手で僕を引き上げてくれた。


「……俺の母ちゃんさ」


ジンがぽつりと言った。


「鬼狩りに殺されたんだ」


「え?」


「人間に殺されたんだよ」


初めて聞いた。


だからだったのか。


人間の話になると、ジンがあんなに怒っていたのは。


「それでも、そいつを守るのか?」


差し出された手を取ってしまいたい。


このまま三人で里へ帰って、また馬鹿みたいなことで喧嘩して。


明日になったら、全部元に戻っていればいいのに。


でも――。


「……ごめん」


ジンの手はしばらく宙に残っていた。


やがて、ゆっくりと下がっていく。


「……そっか」


それだけだった。


次の瞬間、腹に拳がめり込んだ。


「がっ!」


身体が浮く。


地面に叩きつけられ、背中に激痛が走った。


何が起きたのか分からなかった。


「この裏切りもんがぁ!」


ジンが飛びかかってくる。


咄嗟に転がり、振り下ろされた拳を避けた。


「待ってよ、ジン」


「うるせぇ!」


ジンが右腕を引く。


昔からジンは熱くなると右から来る。


頭を下げる。


拳が髪をかすめた。


「何度喧嘩したと思ってんのさ!」


「それはこっちの台詞だ!」


ジンがまた右腕を引いた。


さっきと同じようにかわそうとする。


「バレバレなんだよ」


反対側から拳が飛んできた。


地面がぐるりと回った。


「ぐっ!」


右は囮だった。


「お前が俺の癖知ってんのと同じくらい、俺もお前のこと知ってんだよ!」


悔しいけど、その通りだった。


小さいころから、何度も一緒に戦ってきた。


僕がどう避けるかも、どんなときに殴り返すかも、ジンは知っている。


たぶん――僕が本気でジンを殴れないことも。


「立てよ」


「僕はジンと戦いたいわけじゃない」


「なら人間を渡せ」


「……断る」


ジンが少女へ向かおうとする。


僕は思いきり殴りかかった。


ジンは避けようともしなかった。


僕の拳を片手で受け止める。


「何度やっても同じだ」


次の瞬間、腹へ膝がめり込んだ。


「ぐっ!」


身体がくの字に曲がる。


続けて頬を殴られ、岩の上を転がった。


「まだだ」


膝に手をついて立ち上がる。


ジンがこっちを見ていた。


「……なんでだよ」


「え?」


「なんでそこまでして人間を守るんだよ!」


「……助けたいんだよ」


それ以上の言葉が見つからなかった。


ジンが突っ込んでくる。


顎を打ち抜かれる。


一瞬、何も聞こえなくなった。


次に気づいたときには、倒れていた。


「終わりだ」


ジンの声が聞こえる。


悔しいけど、昔からこうだった。


喧嘩をすれば、最後に立っているのはいつもジン。


いつもなら、ここで終わる。


でも――。


「お前が悪いんだぞ」


腹を蹴られた。


「俺の手を取らなかったから」


もう勝負はついている。


それでも、ジンはやめなかった。


何度も蹴られ、身体を丸めることしかできない。


「ジン……もう……」


返事はなかった。


やがて攻撃が止まる。


顔を上げると、ジンが腕を振り上げていた。


指先から爪が伸びている。


あれを食らったら死ぬ。


逃げなきゃ。


そう思うのに、身体が動かなかった。


「やめて!」


シロエが僕の前に飛び込んだ。


「どけ、シロエ」


「どかない」


「お前も人間の味方すんのか?」


「違う!」


シロエは両腕を広げたまま、ジンの前に立ちふさがる。


「トウヤがやってることは間違ってる」


「だったらどけよ」


「でも、だからって――」


シロエの声が震えた。


「トウヤを殺していいわけじゃない!」


「邪魔すんな!」


ジンがシロエを押しのけようとする。


シロエはよろめきながらも、その腕にしがみついた。


「なっ……離せ!」


「離さない!」


ジンが腕を振りほどこうとする。


それでもシロエは必死にしがみついていた。


「トウヤ、早く行って!」


「でも――」


「いいから行って!」


少女が僕の服を引いた。


ここにいたら、シロエが作ってくれた隙まで無駄になる。


「……ごめん」


少女と北の崖を目指す。


「待て! トウヤ!」


後ろからジンの声が飛んでくる。


何度も呼ばれてきた声だ。


小さいころから、ずっと一緒だった。


呼ばれれば、いつだって振り向いていた。


でも、今は振り向かなかった。


そして――。


「トウヤァァァァァ!」


ジンの叫びが、暗がりの森に響き渡った。


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