10話 救出
夜の森は静まり返っていた。
姉さんの墓に最後の土をかけ終える。
僕は立ち上がり、近くに咲いていた白い花を一本だけ摘んだ。
「花が好きだったもんね」
そっと墓の上へ置く。
風が吹き、花びらが小さく揺れた。
その静けさを壊さないように、誰かが近づいてくる。
「トウヤ」
月明かりの下で、白い髪が風に揺れていた。
シロエの目は赤く腫れている。
ずっと僕を探していたんだろう。
「ごめんなさい」
その一言を聞いた瞬間、怒鳴りつけたい衝動に駆られる。
叫びそうになって、でも、奥歯をかみしめる。
「どこか行ってくれ」
シロエが肩を震わせる。
「私は……あなたを助けたくて……」
「分かってる」
シロエが顔を上げた。
「君が僕を守ろうとしてくれたことくらい、分かってる」
「じゃあ――」
「でも、姉さんは死んだ」
シロエの顔から血の気が引いていく。
「もう取り返しがつかないんだ」
長い沈黙が流れた。
夜鳥の鳴き声だけが、森に響いている。
僕はゆっくりと息を吐いた。
「もう僕の前に現れないで」
シロエの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……トウヤ」
「これ以上、シロエを恨みたくないんだ」
シロエは唇を強くかみしめた。
何か言おうとして、それでも何も言えなかった。
やがて、小さくうなずく。
「分かった」
それだけ言うと、姉さんの墓へ向かって深く頭を下げた。
そして、ゆっくりと歩き出す。
足音は少しずつ遠ざかり、やがて森の静けさに溶けていった。
僕は最後まで振り返らなかった。
「さようなら。シロエ」
※
しばらく墓の前に立ち尽くしていた。
もう二度と姉さんの声を聞くことはできない。
だけど――。
『困っている人は助けてあげるのよ』
その言葉は鮮明に思い出せた。
僕は姉さんを助けられなかった。
でもあの子なら、まだ間に合う。
「今度こそ」
僕は保管庫に向けて歩き出した。
岩山の裏にある巨大な扉が見えてくる。
数日前まで恐ろしく感じていた場所。
今は足が止まることもなかった。
錆びついた錠前を壊して、重々しい扉をひらく。
冷たい空気と鉄の匂いが流れ出す。
松明に火をつけ、迷わず奥へ進んだ。
牢の前まで来ると、少女が壁にもたれたままうずくまっていた。
服は泥と血で汚れ、腕や足には青あざがいくつも残っている。
「むかえに来たよ」
声をかけると、少女はゆっくり顔を上げた。
うつろだった瞳に、少しずつ光がもどる。
「助けに来てくれたの?」
「約束したから」
ほっとしたような少女の表情が、すぐに曇る。
僕の顔を見つめたまま、動かない。
「何かあった? そんな顔してなかった」
僕は答えなかった。
黙って錠前を握りしめる。
力を込めると、鉄が悲鳴を上げるようにひしゃげた。
牢の扉がギーっと音を立てて開く。
「立てる?」
少女は立ち上がろうとして、ふらつく。
僕は手を差し出した。
少女がためらいながら手を伸ばした、そのときだった。
通路の向こうから笑い声が聞こえてきた。
僕は少女の肩を引き、物陰へ身を隠す。
ふたつの足音が近づく。
「昨日は最高だったな」
「ああ。ユナの肉は柔らかかった」
「俺は指先しか食えなかったけどな」
下品な笑い声が響く。
頭を殴られたような衝撃が走り、視界の端が赤く染まった。
少女が何か叫んでいる。
でも、その声は耳に届かない。
気づけば、僕は通路に躍り出ていた。
「おい、誰だ――」
叫ぶ衛兵の懐へ飛び込んで、顎を蹴り上げる。
骨が砕け、歯が飛ぶ。
男の体は壁に叩きつけられて、動かなくなる。
もう一人が剣へ手を伸ばす。
その腕をつかみ、壁へ叩きつけた。
喉へ指を突き立てる。
温かい血が手を伝った。
衛兵は声も出せず崩れ落ちる。
静けさが戻る。
自分の荒い息だけが聞こえていた。
「な、なんで、殺したの」
少女の震えた声。
僕は血のついた手を見つめる。
初めて鬼を殺した。
なのに、何も感じなかった。
それどころか、まだ足りない。
姉さんを食った鬼を、一匹のこらず殺してやりたい。
そんな黒い感情が渦を巻く。
「……行くよ」
少女の手を引いて外へ飛び出す。
東の空がわずかに白み始めていた。
「すぐに追手がくる」
そう言って、裂け目のある森へ向かおうとしたとき。
「おい、トウヤ」
低く、押し殺した声。
でも、耳にこびりつくほどよく知っている声。
振り返ると、木々の影から、ジンがゆっくりと姿を現した。
いつもの笑顔は消えている。
鬼気があふれ出て、瞳がギラギラと光っている。
「人間連れて何やってんだよ」
少女が小さく息をのむ。
僕は一歩、彼女の前に出た。
――夜明け前の空の下、僕とジンの瞳だけが赤く光っていた。




