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6話 人間の少女

洞窟は思っていたよりずっと深かった。


少女は少し遅れてついてきている。


けれど、さっきから歩き方が変だった。


右足を踏み出すたびに、体が小さく傾いている。


「足、痛いの?」


「痛くない」


「じゃあ、なんで引きずってるのさ」


「引きずってない」


言った直後、少女の足が石に引っかかった。


「きゃっ」


倒れかけた体を慌てて支える。


足元を見ると、太もものあたりから血がにじんでいた。


「少し休もう」


「まだ歩ける」


「僕が疲れたんだよ」


「……そう」


少女は岩壁に背中をあずけた。


僕はとなりに腰を下ろし、自分の服をビリっと破った。


「これ使って。止血くらいはしておいたほうがいいよ」


破った布を差し出すと、少女はおそるおそる受け取った。


太ももに巻こうとするけど、手がふるえて落としてしまう。


「やるよ」


「触らないで」


「足には触らない」


少女はうつむいたまま、ぎゅっと唇をかんだ。


僕はできるだけ体に触れないよう、布を足へ巻いていった。


近くで見ると、少女は僕よりずっと細かった。


力を入れたら折れちゃいそうだ。


「きつくない?」


「……平気」


少女は巻かれた布をじっと見つめていた。


沈黙の後、ぽつりとつぶやく。


「……ありがと」


「え?」


「なんでもない」


しばらく、洞窟には水の音だけが響いていた。


少女は膝を抱え、暗闇を見つめている。


「ここ……どこなの?」


「“鬼界”だよ。君がいた人間の世界とは全く別の場所さ。君こそ、どうして暗がりの森なんかにいたの?」


聞いた瞬間、しまったと思った。


余計なことを聞いてしまったかもしれない。


「言いたくないなら――」


「村が襲われたの」


少女の声は震えていた。


「家が燃えてた。鬼が村の人を追いまわしてた」


僕は何も言えない。


「私は弟の手を引いて裏山へ逃げたわ。でも、すぐに追いつかれた。だから自分から捕まったの。弟だけでも逃げられると思って……」


最後の言葉は消えるようだった。


「ごめん」


僕のせいじゃない。


でも、ほかに言える言葉なんてなかった。


「あなたがやったわけじゃないでしょ」


少女は少しだけ僕を見つめると、小さく息をついた。


「鬼に捕まったあと、光の穴みたいなのを通って、この世界に連れてこられた」


「どうやって逃げ出したの?」


「一緒に捕まってたおじいさんが逃がしてくれたわ。見張りの足にしがみついて離さなかった。弟のところに帰れって」


胸がどくんと鳴った。


きっとあの老人だ。


少女の目に涙が光った。


「帰らなきゃ。弟が待ってる」


僕は立ち上がった。


「じゃあ、探そう」


「なにを?」


「“裂け目”だよ。鬼界と人間界をつなぐ場所。君がいう光の穴さ」


少女は目を丸くした。


裂け目がどこにあるかなんて、僕にもわからない。


もう消えているかもしれないし、探したって見つからないかもしれない。


それに、人間をかくまっていると知られたら、ただじゃ済まない。


僕らにとって、人間を助けることは最大の禁忌だ。


それでも――


「僕が君を人間の世界へ帰すよ」


少女は信じられないものを見るように僕を見つめた。


「なんで鬼のあなたが?」


「困ってる女の子を放っておいたら、姉さんに怒られるからね」


「馬鹿なの?」


「よく言われる」


「変な鬼」


「それもよく言われるよ」


少女の口元が、ほんの少しだけゆるんだ。


そのときだった。


ゴゴゴゴゴ……。


洞窟の奥から低い音が響いてきた。


「なに?」


「水の音かな」


立ち上がり、奥へ進む。


少女も足を引きずりながらついてきた。


通路を抜けた、その先だった。


「あっ!」


思わず声が出た。


遠くの岩壁の向こうに、白い光が差し込んでいる。


「出口だ!」


僕は駆け出そうとして――足を止めた。


「うそだろ」


出口の手前を黒い川が横切っていた。


地下川だ。


冷たい水が洞窟いっぱいに響く音を立てながら流れている。


「渡るしかないね」


少女は川を見たまま、動かなかった。


顔が少し青くなっている。


「もしかして、泳げないの?」


「……うん」


僕は川辺へしゃがみ、水へ手を入れた。


冷たっ。


指が一瞬でしびれる。


流れもかなり強そうだ。


泳げない少女が一人で渡るのは無理だろう。


「背負うよ。僕が泳ぐから君は背中につかまって」


少女はすぐに首を横に振った。


「嫌」


「ずっとここにいるわけにもいかないだろ」


「……落とさない?」


「落とさないよ」


「本当に?」


「たぶん」


「今すぐ戻る」


「ごめん! 絶対に落とさないってば!」


少女は川と僕の背中を何度も見比べた。


やがて、ものすごく嫌そうな顔をしながら近づいてくる。


背中に少女の体がそっと触れた。


細い腕が僕の首へ回る。


少女の息が耳にかかって、心臓が変な音を立てた。


なんだこれ。


森食い熊に追われたときより緊張するんだけど。


「ちょっと」


「な、なに?」


「耳が赤いけど」


「寒いからだよ!」


「まだ川に入ってないでしょ」


「うるさいな!」


少女が首をかしげる。


僕は少女を背負ったまま、川へ足を入れた。


冷たい水が足首を包む。


一歩。二歩。


水面はすぐに腰まで上がった。


踏ん張らないと、そのまま下流へ持っていかれそうだ。


僕は川底の石を確かめながら、少しずつ進んだ。


川の真ん中まで来たところで、足元の石がぐらりと動いた。


「あっ」


次の瞬間、足が滑った。


水の中へ体が沈む。


「きゃあっ!」


少女の叫び声が耳元に響く。


慌てて足を伸ばしたけど、川底に届かない。


流れに押されて下流へ流されていく。


「つかまって!」


「つかまってる!」


少女の腕が首へ食い込む。


僕は必死に水をかいた。


でも、流れが強くて、体が横へ押されていく。


水面から突き出した岩へ手を伸ばす。


届かない。


もう一度。


指先が岩に触れた。


滑った。


「くそっ!」


力が抜けそうになった、そのとき。


少女が僕の背中から片手を離した。


「なにしてるの! 危ないよ!」


「黙って!」


少女が体を乗り出し、岩の端をつかんだ。


おかげで、どうにか足を川底へつけることができた。


そのまま水をかき、必死で向こう岸へ進んだ。


「あと少し!」


冷たさで足の感覚がなくなっていた。


腕にも力が入らない。


それでも、最後の一歩を踏み出し、岸の岩へ手をかけた。


少女を先に押し上げる。


そして、僕も続こうとした。


その瞬間、足元の流れが急に強くなった。


体が後ろへ引かれる。


「うわっ!」


岸から手が離れた。


また川へ戻される。


そう思ったとき、少女が地面へ伏せ、僕の腕をつかんだ。


「離して! 君まで落ちちゃうだろ!」


「嫌よ!」


少女は両手で僕の手首を握った。


細い腕。けがをした足。


それでも、少女は必死で踏ん張っている。


僕はどうにか上半身を岸へ乗せ、そのまま地面へ転がった。


二人そろって、しばらく動けなかった。


「はあ……はあ……」


歯がガチガチ鳴る。


服から水がぽたぽた落ちている。


「生きてる?」


震える声で聞くと、少女もおんなじ声で答えた。


「たぶんね」


「なんだよ、それ」


顔を見あわせると、不思議と笑いがこみ上げてきた。


僕が噴き出し、少女も我慢できずに笑いだす。


ふたりの笑い声が、静かな洞窟に響いた。


名前も知らない人間の少女。


でも、もう放っておける相手じゃなかった。


きっとこの子を家へ帰そう。


そう心に決めた。


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