1章 5話 成鬼の儀
「これより、成鬼の儀を執り行う」
長老の声が響き渡った。
ドンッ!
太鼓が鳴る。
祭壇を囲んでいた鬼たちが、一斉に声を上げた。
僕の隣では、ジンが待ちきれない様子で身を乗り出す。
「俺、最初に呼ばれねぇかな」
「順番決まってるでしょ」
「わかってるよ。言ってみただけだ」
長老が杖を掲げた。
「静まれ!」
歓声が止む。
「我ら鬼は、古来より人を喰らい、その血肉を力としてきた」
祭壇の中央には、大きな盃が置かれていた。
その中には、赤黒い肉が山のように積まれている。
何の肉なのかは、聞くまでもなかった。
「人を喰らえば、血は濃くなり、肉体は強くなる。そして今日、人の肉を口にした者は幼き鬼を卒し――成鬼となる」
再び歓声が上がった。
ジンが肘で僕をつつく。
「聞いたか? 人間を食えば強くなるんだぞ」
「知ってるよ」
「俺は誰よりも食う」
「食べすぎて吐かないでよ」
シロエが僕らの間から顔を出す。
「儀式のときくらい静かにできないの?」
列の先頭から儀式が始まった。
名前を呼ばれた鬼が、次々と祭壇へ上がっていく。
盃から肉を掴み、口へ入れる。
「もっと喰え!」
「そっちのでかいのにしろ!」
「残すなよ!」
大鬼たちが囃し立てる。
二つ、三つと平らげた鬼には、ひときわ大きな歓声が上がった。
口の周りを血だらけにした子どもの頭を、父親らしき鬼が嬉しそうに撫でている。
小さいころから何度も見てきた光景。
今日はついに僕らの番だ。
「次、ジン!」
長老が名前を呼んだ。
「よっしゃ!」
待ってましたとばかりに、ジンが列を飛び出す。
盃の前に立つと、ジンは迷うことなく手を突っ込んだ。
一番大きな肉を掴み、そのままかぶりつく。
ガブッ。
豪快に噛みちぎる。
赤い血を滴らせ、もう一度かぶりつく。
あっという間に平らげると、ジンは間髪入れずに次の肉を掴んだ。
それもたいらげ、さらに次の肉を手に取る。
「全部食うなよ、ジン!」
「腹壊すぞ!」
周りの鬼たちが面白がって囃し立てる。
それでもジンは止まらない。
六つ目へ手を伸ばしたところで――。
ゴンッ!
長老の杖がジンの手を叩いた。
「いてっ!」
あちこちから笑い声が飛ぶ。
ジンは叩かれた手をさすりながら、しぶしぶ祭壇を降りてきた。
それでも、どこか誇らしげだ。
「食べすぎよ」
シロエが呆れた顔をする。
「けっ、まだいけたのによ」
「何個食べるつもりだったのよ」
「あるだけ」
「馬鹿じゃないの」
ジンは胸を張る。
褒められてはないと思う。
「次、シロエ!」
名前を呼ばれ、シロエが小さく息を吸った。
「行ってくるわ」
「いっぱい食えよ!」
「あなたと一緒にしないで」
ジンを軽く睨んでから、祭壇へ上がっていく。
盃の前に立つと、シロエは並んだ肉を見比べ、一番小さなものを手に取った。
恐る恐る一口かじる。
少しだけ顔をしかめた。
それでも手を止めず、最後のひとかけらまで飲み込んだ。
周囲から拍手が起こった。
これでシロエも成鬼になった。
シロエは口元を押さえながら戻ってくる。
僕はシロエの顔を覗き込む。
「どうだった?」
「……おいしくない」
「そうか? 俺は結構うまかったけどな」
「ジンがおかしいのよ」
二人のやり取りを聞きながら、僕は祭壇を見た。
あとは僕が肉を食べれば、三人そろって成鬼になれる。
「次、トウヤ!」
長老の声が響く。
「ほら、行ってこい」
ジンに背中を叩かれて、列を出る。
あちこちから視線が集まった。
角なしが成鬼になるところを見たいらしい。
いいさ。よーく見てればいい。
僕は胸を張って祭壇へ上がった。
むっとするような生臭い匂いが鼻につく。
遠くから見ていたときは、ただの赤黒い塊にしか見えなかった。
でも、近くで見ると違う。
切り分けられた肉が無造作に積まれている。
白い脂がところどころに浮き、盃の底には血が溜まっていた。
「うえ」
思っていたより、生々しい。
まあ、生の肉なんだから当たり前か。
僕は食べやすそうな一切れをつかんだ。
ぬるっとした感触が指にまとわりつく。
「……」
ちょっと嫌だな。
でも、ジンもシロエも食べたんだ。
僕は肉を持ち上げ、そのまま口元へ運んだ。
あとは、かじるだけ。
なのに――。
手が止まった。
「あ、あれ?」
肉を持ったまま固まっていると、周りから声が飛んできた。
「どうした?」
「何やってるんだ?」
まずい。
はやく食べなきゃ。
みんなが見てる。
僕は意を決して、肉にかぶりつこうとした。
そのとき、牢の中で見た人間たちの顔が浮かんだ。
娘にパンを渡した母親。
家族を守ろうとした男。
僕に笑いかけた白髪の老人。
もしかして、この肉は――。
そう思ったら、急に吐き気が込み上げた。
「おい! いつまで待たせる!」
今度は、はっきりと怒鳴り声だった。
心臓が速くなる。
どうしよう。
食べられない。
でも、そんなこと言えるわけがない。
ただでさえ僕には角がないんだ。
ここで肉まで食べなかったら、誰からも鬼だと認めてもらえない。
僕は肉を握りしめた。
そして、覚悟を決めて口元へ運ぶ。
食べるふりだけなら――。
肉を口元に押しつけ、顔を伏せた。
何度か顎を動かしながら、右手を身体の陰へ隠す。
ごくり。
飲み込んだのは唾だけだった。
恐る恐る顔を上げる。
長老はもう、次の鬼を呼ぼうとしていた。
よかった。
ばれてない。
僕は肉を握ったまま、急いで祭壇を降りた。
シロエが満面の笑みで迎えてくれた。
「おめでとう。これでみんな一緒に成鬼ね」
「う、うん」
なんとか笑い返す。
ジンは何も言わなかった。
ただ、僕の右手を見つめていた。
※
儀式が終わるころには、空が赤く染まっていた。
あちこちで宴が始まっている。
「私、先に帰るね。お母さんがお祝いしてくれるみたい」
シロエは手を振って、人混みの中へ消えていった。
僕も帰ろうとする。
「待てよ」
振り向くと、ジンはその場から動かずに僕を見ていた。
「どうしたの?」
ジンの視線が僕の右手へ落ちる。
嫌な予感がした。
「見せろ」
「何を?」
「右手」
とっさに後ろへ隠した。
「別に何も――」
ジンが近づいてきて、僕の腕を掴んだ。
「ちょ、やめろよ!」
無理やり手を開かれる。
べちゃっ。
握り潰された肉が地面に落ちる。
ジンは黙ってそれを見ていた。
「……なんだよ、これ」
「そ、それは余ったんだよ」
「嘘つけ。ずっと見てたぞ。なんで食わなかった?」
ジンがじっと僕を睨む。
ごまかせそうにない。
「……保管庫にいた人たちを思い出したんだ」
「は?」
「肉を口に入れようとしたら、あの人たちの顔が浮かんできて……それで、食べられなくなった」
ジンから返事がない。
さっきまで聞こえていた宴の笑い声が、やけに遠く感じた。
「ふざけんな」
吐き捨てるような声だった。
「あいつらのこと、かわいそうだとでも思ってんのか?」
「そんなこと言ってないだろ」
「同じだろ。だから食えなかったんだろ?」
「分かんないって言ってるじゃん」
「だったら食え!」
ジンが一歩詰め寄った。
「お前は鬼だ! 人間なんか、俺たちの敵じゃねぇか!」
「なんでそんなに人間を嫌うんだよ。別に食べなくったって――」
ゴッ!
頬に拳がめり込んだ。
よろめいて、地面に手をつく。
「な、何すんだよ!」
顔を上げる。
ジンは拳を握ったまま、僕を見ていた。
けれど、もう一発は飛んでこなかった。
「……もういい」
ジンが拳を下ろす。
「勝手にしろ」
背を向け、そのまま歩いていく。
やがて、その姿が鬼たちの輪に紛れた。
僕は追いかけなかった。
頬がじんじん痛む。
周りでは、何事もなかったみたいに鬼たちが騒いでいる。
なんだか、ここにはいたくなかった。
気づけば、里の外へ向かって歩き出していた。
このとき僕は、ただ一人になりたかっただけなんだ。




