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5話 出会い

成鬼の儀が終わっても、耳の奥ではずっと太鼓が鳴っていた。


血の匂いも、鬼たちの笑い声も、頭の中にべったり張りついている。


「なあ、トウヤ!」


となりを歩くジンは、さっきからしゃべり続けていた。


「見ただろ、あれ! すげぇよな!」


両手を振り回しながら、興奮した声を上げる。


「来年は俺たちの番だぜ。俺は誰よりも血を飲んで、誰よりも強い鬼になってやる!」


「あっそ」


自分でもびっくりするくらい、冷たい声が出た。


ジンの足がぴたりと止まる。


「なんだよ、その言い方」


「別に」


「別にって顔じゃねぇだろ」


ジンが僕の前に回り込み、じっと顔をのぞき込んでくる。


「お前、泣いてたのか?」


「泣いてない」


「目、真っ赤だぞ」


「煙が入っただけだよ」


「お前のところにだけ煙が飛んできたのか?」


うるさいな。


いつもなら適当に言い返せるのに、なんだかうまい言葉が出てこない。


「……あれってさ」


気づくと、口が勝手に動いていた。


「本当にすごいことなのかな」


「は?」


ジンの笑顔が消えた。


「人間を殺して、血を飲んで、みんなで笑ってさ」


「それがどうした」


「どうしたって……」


頭の中でぐちゃぐちゃになっていたものを、どうにか言葉にしようとする。


「僕には、あれが強さだとは思えない」


ジンの眉がぎゅっと寄る。


「じゃあ、なんだってんだよ」


「わからないよ。でも、あんなに怖がってる相手を大勢で囲んで殺すのは、強いっていうより――」


「やめろ」


低い声だった。


さっきまでの興奮が、嘘みたいに消えている。


「でもさ、ジン」


「やめろって言っただろ!」


ジンの怒鳴り声に、肩がびくっと跳ねた。


近くを歩いていた鬼たちが、何事かと僕らを見る。


けれどジンは気にもしなかった。


「お前は、あいつらの味方なのか?」


「そんなこと言ってないだろ」


「鬼より人間のほうが大事なのかって聞いてんだよ!」


「だから、違うって!」


僕もつい声を上げた。


「おかしいと思っただけだよ」


「なにがおかしい」


「全部だよ」


言い始めた瞬間、自分でもまずいと思った。


だけど、もう止められなかった。


「怖がってる人を殺して、血を飲んで、笑って……それが当たり前だなんて、やっぱり変だよ。ジンだってそう思うだろ?」


ジンは黙った。


その拳はぎゅっと握られている。


「お前は知らねぇんだよ」


ジンが一歩近づいてくる。


怒っているはずなのに、なぜか泣きそうにも見えた。


「あいつらがどんな奴らか、お前は何も知らねぇ」


「ジン?」


「俺は知ってる」


「だったら、教えてよ」


ジンの目が揺れた。


一瞬だけ何かを話そうとしたように見えた。


だけど、すぐに顔をゆがめる。


「うるせぇ」


「ジン、僕は――」


拳が飛んできた。


風を切った拳が頬をかすめ、耳の横を通り過ぎる。


痛くはなかった。


でも、ジンに殴られた事実に心が痛んだ。


ジンも自分の拳を見つめている。


驚いたような、後悔しているような顔。


それでも、すぐに歯を食いしばる。


「お前……鬼じゃねぇみたいだ」


「そんな言い方……ないだろ」


「じゃあ、なんて言えばいいんだよ!」


ジンの声は怒りだけじゃなかった。


僕に裏切られた。


そう思っているみたいだった。


「もう勝手にしろ」


「ジン」


ジンは振り返ることもなく、鬼たちの輪へ戻っていった。


追いかけようと思った。


いつもの冗談だったって、謝ろうとも思った。


でも足は動かなかった。


周りの鬼はみんな笑っている。


成鬼になった若者たちは血にまみれながら誇らしそうに胸を張り、大鬼たちはそれをたたえていた。


泣いていたのは、僕だけ。


人間をかわいそうだと思ったのも、僕だけ。


だったら、変なのは僕のほうじゃないか。


僕はみんなに背を向けた。


家へ帰れば、姉さんがいる。


でも、姉さんに今の顔を見られるのは、なんだか嫌だった。


だから、気づいたら里の外へ向かって歩いていた。


少しだけ一人になりたかったんだ。



どれくらい歩いたんだろう。


顔を上げたとき、僕は里の北にある“暗がりの森”へ足を踏み入れていた。


名前のまんま、いつ来ても暗い森だ。


大鬼たちは「よくないものがいる」と言って、子どもを近づけない。


鬼と戦う人間――"鬼狩り"が出るなんて噂まであった。


いつもなら絶対に入らないけど、今日は怒られることを一つや二つ増やしても、同じような気がした。


「くそっ」


足元にあった石を思いきり蹴りとばす。


石は木の根にぶつかり、こつんと情けない音を立てて止まった。


「ジンのバカ」


今度は少し大きな石を蹴る。


そっちは全然動かなかった。


代わりにつま先がものすごく痛くなった。


「いったぁ!」


何やってるんだ、僕。


石にまで負けるなんて、今日は本当に最悪だ。


そのときだった。


ガアアアアアアッ!


森の奥から、木々を震わせる咆哮が響いた。


足の痛みなんて一瞬で消えた。


この声は知っている。


森食い熊――大鬼が何人もいなければ倒せない化け物だ。


逃げなきゃって思った。


なのに、その咆哮に混じって、細い声が聞こえてきた。


「いや……来ないで……!」


女の子の声。


今度は短い悲鳴も聞こえる。


気づいたときには、僕は走り出していた。


「なんで僕が!」


自分に文句を言いながら、木の枝をかき分ける。


木々の隙間を飛び出すと、小さく開けた場所に出た。


そこに大きな黒い塊がいた。


大きな体。泥で固まった毛。


口からは黄色い牙が何本も突き出し、よだれが地面に落ちている。


その前に女の子が倒れていた。


僕と同じくらいの年だろうか。


黒い髪は泥だらけで、髪飾りも土で汚れている。


少女は地面を這いながら、必死で森食い熊から逃げようとしていた。


そして、その額には――角がなかった。


人間っ!


昨日までなら、驚いて動けなかったかもしれない。


逃げようと思ったかもしれない。


でも、今の僕は違った。


「やめろ!」


叫ぶと、森食い熊がゆっくり振り返った。


黄色い目がぎょろりと僕を捕らえる。


ああ、やっぱりやめとけばよかったかも。


森食い熊は低くうなり、地面を蹴った。


「うわっ!」


ものすごい速さで突っ込んでくる。


周囲を見回し、足元にあった石をつかんだ。


「当たれ!」


力いっぱい投げる。


ゴッ!


石は森食い熊の目の少し上にぶつかった。


森食い熊は怒り狂った声を上げ、ぶるりと顔を振った。


その隙に少女のところまで走り、腕をつかむ。


「逃げるよ!」


少女と目が合った。


涙で真っ赤になった目が、ほっとしたように揺れる。


だけど次の瞬間、少女は僕の手を思いきり振り払った。


「触らないで!」


「え?」


少女は尻もちをついたまま、後ろへ下がる。


僕を見る目には、森食い熊に向けていたのと同じ恐怖があった。


「あなたも鬼なんでしょ!」


ああ、そうだよね。


少女から見れば、熊も僕もそんなに変わらないってわけだ。


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」


背後で森食い熊がほえた。


石をぶつけられた怒りで、さっきより何倍も怖い顔になっている。


「立って! 走ってくれよ!」


「鬼なんかに助けられたくない!」


体は震えているのに、僕をまっすぐにらんでいる。


どうやら、泣いているだけの子じゃないらしい。


「いいから来て!」


もう一度、少女の腕をつかんだ。


今度は振り払われなかった。


というより、振り払う力が残っていなかったみたいだ。


少女を引っ張って走り出す。


すぐ後ろから、木が折れる音が響く。


ドオンッ! バゴンッ!


「もっと速く!」


「走ってるわよ!」


「それで!?」


「うるさい!」


こんなときに怒鳴り返せるんだから、どうやら元気はあるらしい。


少女が木の根につまずく。


倒れそうになった体を、腕を引いて支えた。


「離して!」


「離したら死んじゃうだろ!」


僕が叫ぶと、少女は一瞬だけ黙った。


その後、さっきより少しだけ強く地面を蹴り始める。


前方に大きな岩の隙間が見えた。


あそこなら、森食い熊は入れない。


入れないよね?


入れないでほしい。


「こっち!」


少女の手を握ったまま、岩の隙間へ飛び込む。


僕らが転がり込んだ直後、森食い熊が入口へ突っ込んできた。


ドガアアアンッ!


洞窟全体が揺れ、天井から小石が落ちてくる。


入口に挟まった森食い熊は、牙をむき出しにして暴れまわる。


「入ってこないわよね?」


少女が息を切らしながら言った。


「たぶん」


「たぶん?」


「熊に聞いたことないから」


「なによそれ」


少女が声をあげた直後、森食い熊が再び体当たりした。


また洞窟がぐらりと揺れる。


少女は小さく悲鳴を上げ、僕の服をつかんだ。


僕は少女をかばうように横穴へと進んだ。


「大丈夫。ここなら簡単には来られないよ」


僕は壁に背中をつき、その場へ座り込んだ。


少女は少し離れた場所に座り、両腕で自分の体を抱きしめる。


うす暗い洞窟の中で僕をじっとにらんでいる。


「なんで助けたの?」


「え?」


僕は考えた。


どうしてだろう?


かわいそうだったから?


老人の言葉を思い出したから?


どれも正解なようで、少し違う気もする。


「わかんない」


そう答えると、少女がきょとんとした。


でも、すぐにブンブンと首を振る。


「どうせ食べるつもりなんでしょ」


「食べないよ」


「嘘」


「嘘じゃない」


「嘘よ! さっき見たんから! みんな殺されて、血を飲まれて……!」


少女は歯を食いしばっていたけど、目からどっと涙があふれた。


どうやら、成鬼の儀を見たようだ。


もしかすると、殺された人たちの中に、この子の家族や友達がいたのだろうか。


何を言えばいいのかわからなかった。


僕が殺したわけじゃない。


でも、僕も鬼だ。


「僕は食べない」


さっきより、ゆっくり言った。


「君のことも、ほかの人間も」


「どうしてよ」


「食べたくないんだ」


自分の髪をかき上げ、額を見せる。


「ほら、角もないだろ」


少女は僕の額を見つめた。


「鬼の中じゃ、僕は欠け者って呼ばれてる。弱くて、変で、鬼らしくないんだってさ」


言っていて、少し悲しくなった。


笑ってごまかそうとしたけど、うまく笑えなかった。


そのとき、森食い熊の咆哮が洞窟に響いた。


少女はびくりと体を震わせる。


「ここを離れよう。別の出口を探すんだ」


僕は立ち上がり、暗い奥を指さした。


「あなたについていけっていうの?」


「ほかに誰かいる?」


しばらく迷ったあと、少女はゆっくりと立ち上がる。


「変なことしたら石で殴るから」


「はいはい」


僕らは暗い洞窟の奥へと並んで足を進めた。


この日――僕はただ、泣いている少女を助けたかっただけなんだ。


だけど、鬼の世界はそんな優しさを許さない。


この出会いは救いなんかじゃない。


奇跡なんかじゃない。


ただの落下の一歩目だった。


僕と少女の先にある道に、光なんてひとつもなかった。


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