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4話 成鬼の儀

夜が明けきるころ、僕はふらふらの足で家までたどり着いた。


里のはずれにある小さな石の家。


扉を押すと、薬草と焚き火の匂いがふわっと広がる。


「トウヤ?」


寝間の奥からユナ姉さんが顔を出した。


次の瞬間、血の気がすーっと引いていく。


「その傷……どうしたの?」


「だ、大丈夫。ちょっと転んだだけで――」


「嘘」


姉さんの声はするどかった。


ああ、この声はごまかせないやつだ。


「こっちに来て。座って」


僕は言われるまま、石台に腰をおろす。


姉さんは、慣れた手つきで薬草をすり潰しはじめる。


「服、脱いで」


「ほんと平気だって、ほら、見た目より――」


「トウヤ」


その一言で、僕は逆らえなくなった。


昔っからそうなんだ。


姉さんにだけは逆らえない。


僕が服を脱ぐと、姉さんはぎゅっと眉をひそめた。


「こんな……ひどい……」


ひんやりした薬草が背中に触れた。


「痛っ!」


「我慢」


「わかってるよ」


姉さんが優しい手つきで薬草を塗りこんでいく。


「誰にやられたの?」


「……」


僕はきゅっと口をむすんだ。


だけど、姉さんにだんまりって通用しないんだよね。


「“許しの部屋”ね」


思わず背中が震える。


ほらね、やっぱり隠せなかった。


「掟を破ったの?」


「ちょっと……その……見てみたかっただけ」


「なにを?」


灯の火がゆれて、僕らの影が長くのびる。


「保管庫」


姉さんの手がピタリと止まった。


なんだか落ち着かなくなって、僕は意味もなく足をもぞもぞさせる。


「どうして?」


本気で心配している声だ。


この聞き方はずるい。


こんなの、正直に話すしかなくなるじゃないか。


「人間を見たかったんだ」


姉さんが息を飲む。


僕は早口で続けた。


「ほら、僕って角がないだろ? 人間みたいだってよく馬鹿にされるし。だから、どんな生き物なのか、ちょっとだけ気になったんだ」


姉さんの手が肩に触れた。


優しくて、でも、どこか必死な感じ。


「トウヤ、あなたには角がない。でも、あなたは“鬼”なのよ。それを忘れちゃいけない」


「わかってるよ。そんなこと」


姉さんの言葉は、いつだって正しい。


だけど、どうしても、あの老人が頭から離れない。


「姉さん、人間ってさ、みんなが言うように、醜くて、弱くて……僕らに食べられるだけの家畜なのかな?」


姉さんは、すぐには答えなかった。


ゆっくりと、しぼりだすように口を開く。


「どうして、そんなこと聞くの?」


「僕にはそう思えなかった。僕らとあんまり変わらないんじゃないかな」


姉さんは目を閉じ、小さく息を吐いた。


「トウヤ、もう人間には近づかないで」


「どうして?」


「お願い。あなたが傷つくのは……嫌なの」


泣きそうな声だった。


姉さんがこんな顔をするのを、僕はほとんど見たことがない


「……うん」


うなずくしかできなかった。


姉さんはほっとしたように笑って、僕の頭をポンポンとなでた。


「いい子ね」


「子ども扱いしないでよ」


「まだ子どもでしょ?」


「あと1年で成鬼だよ」


「じゃあ、あと1年は我慢ね」


姉さんはくすくすと笑った。


「もう休みなさい。朝になれば、もっと痛むはずよ」


寝間で横になっても、姉さんの手の温かさが背中に残っていた。


物心つくころから、いつもそばにいてくれたのは姉さんだった。


母さんは僕が生まれる前に死んでいるし、父さんは遠くから何度か見かけたくらい。


だから僕にとって、家族といえば姉さんだけだった。


姉さんが側にいてくれる。


そう思うと、まぶたが重くなり、意識は静かに落ちていった。



数日後。


太鼓が地面を震わせていた。


中央には巨大な石壇。


そのまわりを鬼たちが取り囲み、火柱が空へ噴き上げる。


――成鬼の儀。


14歳を迎える鬼が“血”によって真の鬼になる日。


縄で縛られた人間たちが壇の中央に並べられている。


大人も、女も、子どもも。


みんな力なく俯き、ガタガタと震えていた。


その中に、見覚えのある顔があった。


牢で出会った白髪の老人。


細く乾いた体。灰にまみれた髪。


なのに、やっぱり瞳だけは澄んでいた。


老人は炎をじっと見つめていたけど、やがてゆっくり顔を上げた。


視線をめぐらせ――僕を見つけた。


胸の奥がぎゅっと縮む。


老人の唇が、声もなく動いた。


――目をそらすな


そう聞こえた気がした。


いやだ。


どうして見なきゃいけないのさ。


そう思ったけど、どういうわけか視線が外せなかった。


老人の口元がかすかにほころぶ。


――恐れるな


そう言っているような気がして、かえって息が苦しくなった。


「見ろよ、トウヤ!」


ジンが興奮した声で僕の肩をこづいてくる。


「すげぇな! 来年は俺らも血をなめて……本物の鬼になるんだぜ!」


ジンの瞳は期待と憧れで輝いていた。


「始めよ!」


長老の鋭い声とともに太鼓が鳴り響く。


壇上の鬼たちがいっせいに人間に群がる。


人間は悲鳴をあげる。


鬼たちは笑って、踊って、血をあびた。


生臭い匂いが、風に乗って運ばれてくる。


そして――かすかなすすり泣きが聞こえた。


誰だろう?


あたりを見回す。


でもすぐ気づいた。


泣いているのは――僕だ。


涙の理由はわからなかった。


ただ胸が、壊れそうに痛かった。


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