3章 4話 班長
森に入ってから、しばらくは細い山道が続いた。
頭上まで枝が伸びているせいで、昼間なのに薄暗い。
先頭を歩く千景は、ときどき地図と周囲を見比べていた。
僕はその少し後ろを歩き、宗介、小夜と続いている。
救助対象は、人間と同じくらいの大きさと重さに作られた訓練用の人形らしい。
見つけたあとは、それを運びながら集合地点を目指すことになる。
「今のところは一本道ね。このまま進むわ」
千景が地図を畳んだ。
宗介は何度も左右の森を気にしている。
「鬼役、本当にいるんだよね」
「いるって説明されただろ」
「そうだけどさ。どこから出てくるか分からないのが一番嫌なんだよ」
槍を握る手にも力が入っていた。
そんな宗介とは対照的に、小夜は静かだった。
後ろを歩きながら、木々の間や地面へ何度も目を向けている。
突然、その足が止まった。
「右の奥。何かいる」
千景がすぐに振り返る。
「見えた?」
「見えない。でも枝を踏んだ音がした」
宗介が慌てて槍を構えた。
僕も刀へ手をかける。
しばらく何も起こらなかった。
風で葉が揺れる音だけが聞こえる。
千景が一歩前へ出た、そのときだった。
右手の木々が揺れた。
二つの影が飛び出してくる。
額に鬼役を示す布を巻いた在校生だった。
二人とも刀を持っている。
「小夜は後ろ。宗介は離れないで!」
千景が刀を抜いた。
「桃矢は右をお願い!」
言われるより早く、右から来た一人が僕へ斬りかかってきた。
刃のない訓練用の刀を、自分の刀で受ける。
個人実技の相手と大きく変わらなかった。
続けて横から刀が来る。
身体を引いてかわし、距離を詰めようとした。
けれど、在校生は僕とは打ち合わなかった。
急に向きを変えて走る。
狙いは宗介だった。
「来るぞ!」
宗介が槍を突き出す。
在校生は身体を沈めてかわし、そのまま槍の内側へ入り込んだ。
個人実技のときと同じだ。
距離を詰められた途端、宗介の槍さばきが崩れる。
僕は後を追い、宗介へ向かった刀を受け止めた。
「下がりすぎるな。槍は構えたまま」
「無茶言うなよ!」
文句を言いながらも、宗介は槍を持ち直す。
在校生が僕へ斬り返してきた。
一撃を流し、続く刀を弾く。
そのまま押し返そうとして、小夜が弓を構えているのが見えた。
僕と宗介が邪魔で、今の位置からは撃てない。
「右に出せば狙える?」
「狙える」
なら、そこまで動かす。
在校生の刀を外へ流し、左から斬り込んだ。
相手が右へ避ける。
もう一度踏み込み、さらに位置をずらす。
射線が開いた。
「今」
小夜の矢が飛ぶ。
在校生が身体を捻ってかわした。
その先へ宗介の槍が伸びる。
相手は慌てて反対側へ跳ぶ。
そこへ僕が回り込み、肩の寸前で刀を止めた。
在校生が動きを止め、片手を上げる。
「参った」
宗介がほっと息を吐いた。
その少し先では、千景の刀がもう一人の在校生の胸元に突きつけられていた。
どうやら千景も終わったらしい。
二人の鬼役は簡単な記録をつけると、そのまま森の中へ戻っていった。
姿が見えなくなってから、宗介がその場にしゃがみ込む。
「初戦から狙われると思わなかった」
小夜が地面に落ちた矢を拾い上げた。
「桃矢って、よく周りが見えてるね」
「そう?」
「自分も戦ってたのに、私が撃てないのまで気づいてた」
宗介も顔を上げる。
「僕が近づかれて崩れたのも分かってたよな。槍を構えろって言われなかったら、そのまま逃げてたかも」
「逃げるなよ」
「あの距離まで来られたら怖いんだって」
少し離れたところでは、千景が刀を鞘へ収めていた。
「千景も強かったじゃん。一人で倒してたし」
僕が言うと、千景の眉がわずかに動いた。
「別に。あれくらいはできるわ」
地図を取り出しながら、そっけなく返す。
褒めたつもりだったけど、あまり嬉しそうではなかった。
宗介も立ち上がった。
「それで、次はどっち行く?」
なぜか僕の方を見ている。
「なんで僕に聞くの?」
宗介が僕と千景を見比べた。
千景が地図からゆっくり顔を上げる。
「班長は私なんだけど」
「あ、ごめん」
宗介が気まずそうに視線を逸らした。
千景は何か言いたげだったが、そのまま地図へ目を戻す。
「このまま北へ進むわ。次の分かれ道までは一本道よ」
宗介は大人しくその後についていった。
僕も歩き出す。
千景の機嫌が少し悪くなった理由は、よく分からなかった。
※
それからしばらくは、鬼役と遭遇しなかった。
坂道を上り、木の根が張り出した場所を避けながら進む。
やがて道が二つに分かれた。
右は緩やかに山を登っている。
左は木々が密集し、先まで見通せない細い道だった。
千景は地図を僕たちにも見えるように広げる。
「右から行くわ」
「遠回りじゃない?」
「左は道が狭いし、見通しも悪い。鬼役に出られたら動きにくいでしょ」
右の道を指でなぞる。
「こっちは少し遠いけど、幅もあるし足場も悪くない。四人で動くならこっちの方がいい」
確かに、さっきみたいに急に襲われることを考えれば、その方が戦いやすそうだった。
「分かった。右でいい」
僕が言うと、千景が少し意外そうにこちらを見る。
「何?」
「もっと反対するかと思った」
「理由があるなら別に反対しないよ」
千景は一瞬だけ黙り、それから地図を畳んだ。
「じゃあ行くわよ」
右の道は、千景の言った通り歩きやすかった。
木々の間隔も広く、細い道より周囲を見渡しやすい。
宗介も安心したらしく、さっきまでより肩の力が抜けている。
「このまま何事もなければいいのにな」
「試験にならないでしょ」
千景が前を向いたまま言う。
「願うくらいいいだろ」
二人のやり取りを聞きながら歩いていると、小夜が列から外れた。
道の端にしゃがみ込み、落ち葉を手で払っている。
「どうしたの?」
千景が戻ってくる。
小夜が指した先には、いくつもの靴跡が残っていた。
その周りだけ、草が広い範囲で倒れている。
「人形かな?」
宗介が覗き込む。
小夜は少し先へ進み、折れた枝を確かめた。
「たぶん。何人かで大きなものを運んだ跡がある」
千景も地図を開く。
「この先に道はないわね」
痕跡は山道を外れ、木々の間へ続いていた。
千景が辺りを見回す。
「追ってみるわ。鬼役が待ち伏せしてるかもしれないから、周りも見てて」
小夜が見つけた痕跡を頼りに、僕たちは道を外れて森へ入った。
それから二時間ほど歩いた。
跡は思っていた以上に長く続いていた。
はっきり分かる場所もあれば、途中でほとんど消えてしまう場所もある。
そのたびに小夜が足を止め、辺りを調べた。
折れた枝。
踏み潰された草。
木の幹についた新しい傷。
僕ならそのまま通り過ぎそうなものばかりだった。
「よく分かるね」
何度目かに跡を見つけた小夜へ言う。
「探してるから」
「僕も探してるけど」
「桃矢は前ばっかり見てる」
そう言われて、足元へ目を落とした。
後ろでは、宗介がすっかり疲れた様子で歩いている。
「まだ見つからないの?」
「私に聞いても分からないわよ」
千景は地図から顔も上げない。
「だって、もう結構歩いたよ」
宗介の言うことも分かる。
日は傾き、森の中も少しずつ暗くなっていた。
そろそろ野営する場所も考えた方がいいかもしれない。
そう思ったとき、小夜が足を止めた。
「向こう。何かある」
指さした先を目で追う。
木々の隙間から、布のようなものが覗いていた。
宗介の顔が明るくなる。
「人形じゃない?」
千景はすぐには近づかなかった。
刀へ手をかけ、周囲を見回す。
「鬼役がいるかもしれない。離れないで」
四人で距離を詰める。
木々を抜けると、小さく開けた場所に出た。
その端に、人影が倒れていた。
最初は救助用の人形だと思った。
けれど、近づくにつれて形がおかしいことに気づく。
額には、鬼役を示す布。
破れた制服。
その下から流れた血が、地面まで黒く濡らしている。
「……人だ」
宗介の声から、さっきまでの明るさが消えた。
小夜が真っ先に駆け寄り、しゃがみ込む。
「息してる」
僕もそばまで行った。
胸がかすかに上下している。
試験の演技には見えない。
千景が傷口を確認しようと手を伸ばした。
そのとき、在校生のまぶたがわずかに開いた。
「……逃げろ」
千景の手が止まる。
「何があったの?」
在校生は息を吸うだけでも苦しそうだった。
それでも、絞り出すように言った。
「鬼が……いる」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
森の奥で枝を踏み折る音がした。




