2章 2話 新たな鬼狩り
「へぇ、その子が桃矢君?」
黒髪の若い女が僕を見ていた。
黒を基調とした服は胸元が大きく開き、腰には細身の刀を差している。
長い髪をかき上げると、ゆっくりと僕の前まで歩いてきた。
ふわりと甘い香りがする。
「誰?」
「あら、知らないの?」
「知らない」
「そう。黒津燈子よ。燈子って呼んで」
燈子と名乗った女は、そのまま距離を詰めてくる。
近い。
僕はとっさに身を引いた。
燈子が意外そうに目を瞬かせる。
そして、また一歩近づいてきた。
僕も一歩下がる。
「ちょっと、近いって」
「嫌なの?」
「嫌って言うか、警戒するだろ。普通」
燈子は一瞬きょとんとして、それから口元を緩めた。
「ふふっ、気に入ったわ、この子」
「桃矢君をからかわないでください」
紅羽さんが僕と燈子の間に入る。
その後ろから、大柄な男が歩いてきた。
「燈子。遊びに来たんじゃない」
低い声だった。
傷の残る険しい顔に無精ひげ。
がっしりとした身体に、使い込まれた鬼狩りの装束。
燈子とは違う意味で、近寄りがたい雰囲気がある。
男は僕の前で足を止めた。
「門倉源十郎だ」
「桃矢」
「…………」
「…………」
門倉が僕を見る。
僕も門倉を見る。
「ふっ」
横から声が漏れた。
見ると、燈子が口元を押さえている。
「ごめんなさい。門倉さんを前にして、そんな態度の子、初めて見たもの」
「そうなの?」
「普通はもう少し怖がるのよ」
僕は改めて門倉を見る。
「確かに怖い顔してる」
「あはははっ!」
今度こそ燈子が吹き出した。
紅羽さんが小さく息を吐いた。
「とりあえず、中で話しませんか?」
門倉がうなずく。
「ああ。任務の話がある」
その一言で、紅羽さんの雰囲気が変わった。
鬼狩り――神薙紅羽の顔になる。
門倉と燈子が家へ入っていく。
僕も当然ついていこうとした。
「お前は来なくていい」
門倉が振り返った。
「なんで?」
「仕事の話だ」
「聞いたらだめなの?」
「子供には関係ない」
「もう14歳だ」
「なら子どもだ」
邪魔者みたいに扱われるのは気に入らない。
門倉を無視して部屋に入ろうとすると、紅羽さんがたしなめるように名前を呼んだ。
「桃矢君、悪いけど、お茶をお願いしてもいい?」
「……分かりました」
紅羽さんに頼まれたなら仕方ない。
しぶしぶ返事をすると、からかったような燈子の声が飛んでくる。
「あら、紅羽には素直なのね」
「うるさい」
「私にはずいぶん冷たいじゃない」
燈子の楽しそうな声を背中に聞きながら、僕は台所へ向かった。
※
お茶を四人分用意して居間へ向かう。
襖を開ける前に、門倉の声が聞こえてきた。
「失踪したのは三人。いずれもこの一週間以内だ」
僕は襖を開けた。
座卓の上に大きな地図が広げられている。
その周りには何枚もの写真。
「ありがとう、桃矢君」
「はい」
紅羽さんの前に湯呑みを置く。
燈子、門倉の順に置いていく。
そして、僕は紅羽さんの隣に座る。
門倉が僕を見る。
「なぜ座る」
「お茶、四つ用意したから」
「自分の分も入れたのか」
「うん」
「……」
門倉が紅羽さんを見る。
紅羽さんが申し訳なさそうに言う。
「すみません。聞くだけですから」
「甘やかすな」
「ちゃんと静かにできるよね、桃矢君?」
「もちろん」
門倉は何か言いたそうだったけど、諦めたらしい。
地図へ視線を戻した。
「場所は奥多摩の山中。最初の失踪者は五日前。二人目が三日前。そして昨日、三人目が消えた。現時点では鬼による捕食事件と判断されている」
地図の三か所に印がつけられている。
「全員、この山道の近くですね」
紅羽さんが指を滑らせる。
「ああ。現場には血痕が残っていた。これを見ろ」
門倉が一枚の写真を出した。
地面に黒っぽい染みが広がっている。
「結構な量ね」
燈子が写真を手に取る。
「でも、ここで殺されたわけじゃなさそう」
「なぜ分かる?」
「これだけ血が出ているのに、争った跡がほとんどないもの」
「一撃でやられた可能性は?」
「それなら、死体をわざわざ運んだことになるわね」
紅羽さんが別の写真を見る。
「三人とも遺体は見つかってないんですよね?」
「ああ」
「なら、まだ生きてるかもしれません」
「期待はするな」
門倉はすぐに答えた。
「でも――」
「生存を前提に動けば判断を誤る。救助は行う。ただし、最優先は鬼の討伐だ」
紅羽さんが黙った。
ほんの少しだけ、空気が重くなった気がした。
三人は写真を見ながら話を続ける。
ふと、一枚の写真が目に留まった。
「あれ?」
二人目の現場写真。
大木の幹に三本の傷が写っている。
「どうしたの、桃矢君?」
紅羽さんが僕を見る。
僕は写真の端に写る傷を指さした。
「これ。人を襲ったときについたものじゃない」
門倉が写真に目を落とす。
「じゃあなんだ?」
「縄張りの印だよ」
「縄張り?」
「他の鬼を自分たちの巣に近づけないためにつけるんだ」
「つまり?」
「この近くに鬼の巣がある」
「……なるほど。なら、捜索範囲をかなり絞れる」
門倉が地図を見る。
さっきまで子供扱いしていた門倉が、僕の話を真剣に聞いている。
悪い気はしなかった。
どうだ、と門倉を見る。
「お前、なぜそんなことを知っている?」
しまった。
「……本で読んだ」
「どの本だ」
「えっと、忘れた」
「忘れただと?」
門倉の目がスーッと細くなる。
そこで、燈子が口を挟んだ。
「子供を尋問するのはその辺にしたら?」
「桃矢君は鬼についてよく調べてるんです」
紅羽さんが言った。
「鬼狩りになりたいって、ずっと勉強してますから」
「……そうか」
門倉はそれ以上追及しなかった。
ほっと息をつく。
そのとき、燈子と目が合った。
燈子は頬杖をついて、僕を眺めていた。
「なに?」
「ううん」
燈子が意味ありげにほほ笑む。
会議が終わると、門倉は地図を片づけだした。
「明日の早朝から捜索に入る。準備しておけ」
その言葉を聞いて、僕は紅羽さんを見る。
「紅羽さん」
「ダメ」
「まだ何も言ってません」
「顔を見れば分かる」
「僕も連れていってください」
「ダメ」
即答だった。
「いいんじゃない? 連れていってあげれば」
燈子が口を挟んだ。
紅羽さんが眉をひそめる。
「危険です」
「この子のおかげで巣の場所を絞れたでしょう? 私たちが知らないことを、この子は知ってる。その知識が役立つかもしれない。ねぇ、門倉さん」
門倉が僕を見る。
「……確かに、こいつの知識には価値がある」
「門倉さん!」
紅羽さんが驚いたように声を上げる。
「ただし、戦闘には参加させん。危険と判断した時点で即座に撤退させる」
「待ってください。桃矢君は――」
「紅羽」
門倉が遮った。
「お前が守れ」
紅羽さんは何も言わなかった。
心配そうに僕を見る。
「……絶対に私から離れないこと」
「はい!」
思わず声が大きくなった。
ようやく、鬼狩りの任務に行ける。
姉さんを殺したあいつらを、この手で斬れる。
そう思うと、明日が待ち遠しかった。
でも、僕はまだ知らなかった。
鬼狩りの仕事が、どんなものなのかを。




