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黒鴉の総帥は最後の刻印を継ぐ  作者: カタナワイ


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14 七翼会議

孤児院『ひだまり』がようやく静まり返り、泥のように眠るルークたちの寝息が小さく響く頃。

王都の華やかな喧騒、あるいは人々の営みから完全に遮断された地下深く。いかなる法も、いかなる光も届かない絶対的な闇の底に、その空間は存在していた。


――ギィィ……。


歴史の重みを象徴するような、分厚く、錆びついた金属音が、地下の重苦しい空気を震わせる。

漆黒の大扉がゆっくりと内側へ開かれていく。そこは王国の裏社会を牛耳る巨大組織『黒鴉』の本部最深部。黒鴉の中核人物のみが入室を許され、組織の、ひいては王国の命運を決める最高意思決定機関――『黒翼の間』。


部屋の中央には、光を吸い込むように鈍く輝く黒曜石の巨大な円卓が鎮座し、それを囲むように七脚の重厚な椅子が並べられていた。

ノア・クロードは、足音一つ立てずにその部屋へと歩みを進める。漆黒の外套をわずかに波立たせるその背中は、先程まで孤児院で見せていた「不器用な兄ちゃん」の面影を完璧に消し去っていた。数千の暗殺者を束ね、裏社会の頂点に君臨する若き支配者、その冷酷な質量だけがそこにあった。


バタン、と背後で扉が完全に閉まる。

すでに円卓の席には、常人であれば気配を察しただけで呼吸を忘れるほどの圧倒的な魔力と血の匂いを放つ、数人の人影が腰を下ろしていた。


「お帰りなさいませ、総帥」


最初に沈黙を破ったのは、低く、滑らかで、どこか冷徹な声音だった。

発言の主は、銀髪を整然と切り揃えた青年。鼻梁に載せられた細い銀縁眼鏡の奥で、切れ長の鋭い瞳が冷静にノアの挙動を追っている。仕立ての良い衣服を着こなすその姿は一見すれば宮廷学者か貴族のようだが、その佇まいの奥には、獲物を冷酷に見定める毒蛇のような底知れない知性が潜んでいた。

黒鴉≪第三翼≫、ゼノン。

黒鴉の全作戦を統括する軍師であり、集められた情報を分析し最適解へ導く参謀。



「東区倉庫街の件、ご苦労様でした。……かなり派手にやられたようですが」


ゼノンの含みを持たせた言葉に、ノアは特に表情を変えず、無言で軽く顎を引いて上座の席へとついた。


「報告を」

「承知しました」


ゼノンは即座に手元の資料を開いた。指先の動き一つにまで一切の無駄がない。


「アシュフォード商会は文字通り完全壊滅。本拠地となった倉庫街の地下施設は完全に機能停止しました。逃亡を図った関係者、および幹部連中は我が『夜烏』の実行部隊が一人残らず確保済みです。また、地下の隠し金庫から奴隷売買の取引記録、および金の流れを記録した裏帳簿をすべて押収しました。現在、アシュフォードと繋がっていた関係貴族、大教会内部の汚職関係者の洗い出しを最優先で進めています」


淡々と、実務的な事実だけが並べられる。ノアはその言葉を静かに受け止めながらも、視線を円卓の別の席へと移した。


「孤児たちは」


そのノアの問いに、待ってましたとばかりに別の声が続いた。


「救出された孤児は、計三十四名。……全員、生きています」


栗色の長い髪を後ろで一本に束ね、袖をまくり上げた女性が、机の上に山積みにされた書類からようやく顔を上げた。その手にある羽ペンは、今も恐ろしい速度で何らかの数字を書き込んでいる。

黒鴉≪第四翼≫、エレナ。

黒鴉の莫大な財務、記録管理、内部監査、そして組織の運営全般を担当する女だ。


「すでに我が組織直轄の医療班へ引き渡し、秘匿された安全な保護施設へ移送しました。極度の衰弱や暴行による重傷者は数名含まれていますが、命に別状はありません。全員、生存しています。今後の生活基盤、および戸籍の偽装についての予算編成もすでに承認ラインに回してあります」


エレナが淡々と、しかし一点の曇りもない確実な言葉でそう告げた瞬間、ノアの肩から、ほんの僅かに、本人すら気づかないほどの細さで力が抜けた。

その極小の変化に気づいたのは、長年ノアの傍らで組織の数字を管理してきたエレナだけだった。彼女はそれを口に出して指摘するような真似はしない。ただ、手元の資料の端に、羽ペンで小さく『全員生存』の文字と共にチェック印を付けた。その横顔には、主君が最も守りたかったものを無事に守り抜けたことへの、静かな誇りが滲んでいた。


その時――。


ドンッ!!


黒曜石の美しい円卓の上に、これみよがしに泥のついた革靴の踵が乗せられた。大きな音が『黒翼の間』の静寂を暴力的にぶち破る。


「で? 報告はどうでもいいんだよ」


赤髪の大男が、鋭い犬歯を剥き出しにして、獰猛な肉食獣のようにニヤリと牙を剥いた。

黒鴉≪第五翼≫、レオン。

前線で敵を蹂躙する実戦部隊を率いる、組織最強クラスの武人であり、戦うこと以外に興味のない生粋の戦闘狂だ。


「その、アシュフォードの奥にいたとかいう化け物、キメラ・ゼロだっけか? そいつは強かったのかよ、総帥。俺より強かったか? ああ?」


レオンは身を乗り出し、獣のような瞳をギラギラと輝かせてノアを睨みつける。自分を置いて総帥がどんな「美味い獲物」を喰らったのか、それが知りたくて堪らないという風に、その全身から煮え立つような闘気が漏れ出していた。


対するノアは、その圧倒的な威圧感をそよ風程度にしか受け止めず、表情一つ変えずに言い放った。


「弱かった」


一ミリの躊躇もない、完全なる即答。

一瞬の静寂の後、レオンは一拍置いて、天井が震えるほどの豪快な爆笑声を上げた。


「ギャハハハハハ! だろうな! 言うと思ったぜ、クソッタレが! 総帥にしてみりゃ、有象無象の肉の塊なんてただのかかしと同じかよ!」


レオンは面白そうに机から足を下ろし、背もたれに深く寄りかかって笑い続ける。

その横で、ゼノンがこれ以上ないほど深い溜め息をつき、白い指先で自身の額を強く押さえた。


「レオン。ここは最高幹部の会議室です。少しは脳味噌を静かにさせてください。声のボリュームが不快です」

「嫌だね。俺は嬉しい時は笑うし、戦えなくてイライラしてる時は怒るんだよ。お前みたいに年中冷えたツラして生きてられるかっての」

「……でしょうね。期待した私が愚かでした」


いつもの、息をするように繰り広げられる幹部同士のやり取り。ノアはその光景を静かに見つめていた。


だが、次の瞬間。

会議室の空気が、一瞬にして鉛のように重く変わった。


「総帥」


今度は、円卓の奥に座る老紳士の声だった。

丁寧に整えられた白髪に、右目にはめられた片眼鏡。上質なスーツを完璧に着こなしたその上品な微笑みは、どこからどう見ても大貴族に仕える執事にしか見えない。

黒鴉≪第六翼≫、オズウェル。

組織の魔導技術、兵器開発、そしてあらゆる呪術や毒物の研究開発を司る責任者だ。


オズウェルは微笑みを崩さないまま、しかしその片眼鏡の奥にある瞳から一切の温度を消し去り、静かに一つの資料、そしてその上に置かれた「物体」を円卓の中央へと差し出した。


「問題はこちらです」


全員の視線が、円卓の中央へと集まる。

そこに置かれていたのは――黒く、焼け焦げた、親指ほどの大きさの金属片だった。

アシュフォードの地下牢の最奥、あのベルグという男が謎の黒い炎によって消滅した跡地から、カインが回収してきた唯一の遺留品。


ゼノンが眼鏡のブリッジを押し上げ、冷たい声で口を開く。


「……解析結果が出ました」


エレナが手際よく、その金属片の表面を正確に複写した資料を全員が見えるように広げた。

そこに描かれていたのは、あまりにも奇妙で、歪な紋章だった。

完璧な円環。その内部で、鋭く重なり合う三つの不揃いな三日月。そして、それらを貫くように複雑に交差する、無数の幾何学的な線。

いかなる美術的な美しさも感じさせず、ただ見た者の脳裏に直接、ねっとりとした不快感を植え付けるような、禍々しい図形だった。


「一致する記録は?」


ノアの低い問い。

ゼノンは、ほんの数秒だけ沈黙した。情報網の王たる彼が、言葉を濁すこと自体が異常な事態だった。


「――我が黒鴉の『特級秘匿記録』の中に、数件ほど、該当するものがあります」


その言葉が発せられた瞬間、会議室の空気が張り詰めた。

さっきまで大笑いしていたレオンが完璧に表情を消し、その獣の瞳を細める。エレナの羽ペンが止まり、オズウェルも静かに手元の紅茶のカップをソーサーへと置いた。


ゼノンは次々と、古びた羊皮紙の資料を円卓に並べていく。


「約二百年前、王国北部で起きた、領民が村ごと消失した『集団失踪事件』。百四十年前、大教会の聖堂が内側から焼き尽くされた『異端宗教事件』。そして、わずか七十年前……当時の王弟が引き起こしたとされる、大規模な『貴族反乱』。これらの歴史の特異点とも言える大事件の現場から、すべて、この紋章が刻まれた触媒が確認されています」


エレナがその冷たい視線を並べられた資料へと落とし、低く、呪うような声で引き継いだ。


「ただし。これほどの大事件でありながら、犯人の正体は一切不明。事件を引き起こした組織の名称も不明。彼らが何を目的としてそれを行ったのかも、すべてが不明。歴史の教科書には、ただの自然災害や、突発的な狂人の犯行として処理されています。……残っているのは、常にこの紋章だけです」


不気味だった。

王国のあらゆる闇を網羅し、王族の寝室の会話すら盗み聞くことができる『黒鴉』の情報組織が、数百年もの間、その足跡を追い続けていながら、未だに正体はおろか、尻尾すら掴めていない相手が存在する。


レオンがガリッと、自身の鋭い犬歯を苛立たしげに噛み鳴らした。


「ケッ、気に入らねぇな……。俺は見えねぇ敵、殴れねぇ敵が一番嫌いなんだよ。どれだけ強かろうが、そこにいるならブチ殺せば済む話だろ。幽霊相手にどう戦えってんだ」

「珍しくレオンに同意します。情報の繋がらない敵ほど、戦略上、厄介なものはありません」


ゼノンが忌々しげに、銀縁眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせる。

オズウェルは静かに、円卓の中央にある黒い金属片を見つめながら呟いた。


「あのベルグなどという、己の欲に目が眩んだ小悪党風情が扱える代物ではありませんな。……この背後には、歴史の底で息を潜める、本物の『何か』がいます」


最高幹部たちがそれぞれの反応を見せ、未知の脅威に対する警戒を高めていく中。

ノアはただ一人、黙ったまま、その黒い金属片をじっと凝視していた。

光を一切反射しない、夜の闇をそのまま物質化したような黒。歪な円環。三つの三日月。


その時だった。


――ズキッ。


ノアの胸の最深部、心臓のすぐ裏側あたりに、焼けた鉄を直接押し当てられたかのような、鋭く、激しい痛みが突如として走った。


「……っ」


ほんの一瞬。本当に、瞬きをするほどの刹那。

全身の血液が沸騰するような、異常な熱。

それと同時に、脳裏に直接、何百キロも離れた遥か彼方の深淵から、自分をじっと「覗き込まれている」ような、おぞましい視線の感覚が突き刺さる。誰かが、暗闇の奥から、自分の名を、あるいは自分ではない『何か』を激しく呼んでいるような――そんな錯覚。

しかし、ノアが小さく息を呑んだ次の瞬間には、その感覚は霧散するように綺麗に消え去っていた。


「……総帥?」


隣に控えていたカインが、ノアの僅かな身体の硬直と、その魔力の不自然な揺らぎを敏感に察知し、ハチミツ色の眉をひそめて顔を覗き込んできた。影の中に潜むソフィアの気配も、ピきりと鋭く尖る。


ノアは静かに目を閉じ、胸の奥に残る熱を抑え込むようにして、小さく首を振った。


「……問題ない」


そう答えながら、ノアはもう一度、円卓の上の金属片へと視線を落とした。

何も起きない。ただの、黒く焼け焦げた奇妙な金属の破片。それなのに、胸の奥に残された奇妙な拒絶感と違和感だけは、冷めない残り火のように確かに燻り続けていた。


ゼノンが全ての資料をパタンと、手際よく閉じた。


「現時点では、これ以上の追跡は不可能です。圧倒的に情報が不足しています。……総帥、この件に関する調査を我が第三翼で継続する許可を」

「認める。徹底的に洗え」

「御意」


ノアは静かに席を立ち上がった。それが、今日の会議の終了を告げる合図だった。

レオンが不満げに鼻を鳴らしながら立ち上がり、エレナはすでに次の実務に向けて書類を整理し始め、オズウェルは一礼して席を離れる。


だが、部屋を出ていく最高幹部たちの誰も――そして、ノア本人すらも気付いていなかった。


誰もいなくなった『黒翼の間』。

冷たい黒曜石の円卓の上にポツンと残された、あの黒い金属片の表面を。

ほんの一瞬だけ、まるで生物の血管が脈打つように、微かな赤い光が走ったことを。



千年前の神話の時代から続く、血と呪いに塗れた因縁の歯車。

ノアの胸の奥で燻る違和感。

世界の真の闇の底で、巨大な運命が、今度こそ完全に噛み合って回り始めようとしていた。

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