汝が心いずこに在りや(後)
実際は声が嗄れていて、ひどく声量に欠けた、かすれ声になったのだけど。
わたしの本気の拒絶を悟ったのか――クレドさんの動きが、止まった。
だけど、止まっていたのは、一瞬だった。
すぐにクレドさんの手が、脇に回って来た。振り上げた腕も、いつの間にかガッツリと捉えられて動きを封じられている。
訳が分からないうちに――両手の動きを封じられたまま、大きな左腕に抱き上げられる形になった。
ビックリして、ジタバタしてみたけれど。身体の各所のポイントをガッチリ固定されているせいか、動けそうなのに、まるで動けていない。縄で縛られた訳でも無いのに、縛られた時みたいに、モダモダと身悶えする事しか出来ないのだ。
クレドさんは、暴れている人体を抑え込むのは、慣れているらしい。隊士だから当然なんだろうけど。
*****
――ルーリエ種の噴水広場では、夜間照明が皓々と灯っている。
わたしは、クレドさんに抱き上げられたまま――拘束されたまま、噴水広場まで連れ戻されたのだった。
クレドさんとわたしが噴水広場に到着するや否や、複数の人の顔が、一斉に振り向いて来た。
ディーター先生の傍、石畳の上には《拘束魔法陣》が展開されていた。その真ん中で、少年ジントが、如何にも『トホホ』と言ったような顔つきで、座り込んでいる。灰褐色の毛髪は、まだグッショリと濡れたままだ。腹の虫がしょっちゅう鳴いているし、もはや疲労困憊で、逃げ出す気力も無いのだろう。
アシュリー師匠とフィリス先生が、目を大きく見開き、息を呑む。アシュリー師匠の方は、絶句したと言う様子で、古典的な老女さながらに両手で口元を押さえていた。
フィリス先生の腕の中では、子狼なメルちゃんが、グッタリとヘタレ切ったという様子で丸くなっている。
メルちゃん狼は、全身ボロボロで傷だらけだ。ふんわかしている筈の毛並みも惨めに荒れていて、ハゲになっている箇所が多い。ウルフ尾の方も、最初の頃のわたしと同じように毛量を大いに減らしていて、ペッタリとなっているのだ。
しかし、それでもメルちゃん狼は、クレドさんを視界に入れるや否や、『ビョン!』と尻尾を跳ね上げた。
『この顔、似てるわッ!』
威嚇モードでもって、いきなり名指しされたクレドさんは、『訳が分からない』と言った様子で立ち止まる。
クレドさんの拘束がゆるんだ。
わたしは身体をくねらせて飛び降りるが早いか、此処で最も信頼できるような存在――小柄で細身の身体を銀鼠色のポンチョに包んだ鳥人の大魔法使い、バーディー師匠の元にダッシュした。
そして、ポンチョの裾の後ろにしがみついて、しゃがみ込んだのだった。
――考えての事じゃ無い。自然に身体が動いただけだ。
それだけに、今、何をしているのか――が間を置いて分かって来るようになると、我ながら愕然とした思いで、いっぱいになったのだった。
混乱しながらも振り仰いでみると、バーディー師匠は、いつものように、長い白い髪と白ヒゲの中で、穏やかな笑みを浮かべて返して来た。ポンチョの端から、鳥人ならではの細長い手を出して、わたしの頭を撫でて来る。
「ああ、今は構わんのじゃよ。落ち着くまで、そうしてなさい」
バーディー師匠の穏やかな眼差しには、やはり、あの《銀文字星》の光さながらの、不思議な透明感のある銀色が揺らめいていた。
張りつめていた何かが、一気に解けたような気がする。気が付くと、わたしは全身ガクガクと震えながら、滂沱たる涙を流していた。
わたしがボンヤリとしゃがみ込んでいる間――
バーディー師匠とクレドさんの間で、言葉のやり取りが、少しあったようだった。
「素晴らしい捕縛の腕前じゃのう、クレド隊士」
「いえ。バーディー師匠の援護が無ければ、取り逃がしておりました」
「それでも、大したものじゃよ。この子は『闘獣』として、超大型モンスター《大魔王》から生きて逃げ切った実績を持っとる。本気になって遁走すると、レオ皇帝の直属の戦闘隊士でさえ、ほとんどが対応できんのじゃからな」
そのやり取りが一段落すると、ディーター先生が口を開いた。すっかり苦り切っている。
「どうやら、メルちゃんの威嚇モードの原因を取り除く方が最優先のようですな、バーディー師匠。ルーリーの極度のパニック状態も、この少年が頑として応答しないのも、それが理由のようです」
見ると、ディーター先生は、手に灰色の宝玉を持っていた。
――あれ、ジントが持っていた、精巧な《隠蔽魔法》のための魔法道具だ。
何で、ジントが持っているのがバレたんだろう。《隠蔽魔法》は、ずっと稼働していた筈だ。噴水の出口でジタバタしている時だって、ずっと稼働していた筈なんだけど――
不意に、一条の光が差すかのように、解答が降りて来た。
――噴水の、水のせいだ!
ルーリエ種の影響下にある水は、魔法成分を除去し、鎮静化する効果を持つ。その効果は、《隠蔽魔法》の魔法道具にも、恐らくは作用するのだ。灰色の宝玉が、ルーリエ水に濡れたせいだ。ルーリエ水に濡れて《隠蔽魔法》が沈静化して――解除された形になってしまっていたんだろう。
それに、メルちゃんは遠吠えしていた。ディーター先生の研究室からの距離であれば、聴力の鋭いウルフ耳なら、間違いなく聞き付ける事が出来る。
この人たちが、この噴水広場に駆け付けて来た時。
――わたしたち3人は、噴水プールに満ちあふれたルーリエ水に全身を浸して、狂ったように笑い転げている真っ最中だったんだろう。
灰色の宝玉がルーリエ水に濡れている時間は、充分にあった。《隠蔽魔法》も、完全に切れた状態だった筈だ。地上に這い出て来ているところが、一目瞭然だったに違いない――
「メルちゃん、何か言いたい事あるんでしょ」
フィリス先生が、腕の中に収まったメルちゃん狼に、発言を促している。
全身ボロボロなメルちゃん狼は、それでも攻撃的角度にウルフ耳を傾けていて、ギンッとした目つきで、クレドさんを睨んでいた。スッカリ惨めな毛並みになったウルフ尾だけど、シッカリ威嚇モードでもって、ピンと立っている。
やがてメルちゃん狼は、身の安全を確信したのか、フィリス先生の腕から飛び降りるなり、《変身魔法》を発動して人体に戻った。水に濡れて、まだ乾いていない黒髪が、ペタッと顔周りに張り付いている。《雷攻撃》によるパンチパーマ化の名残が、各所に見えた。
――どうしよう。
下手に要点を喋ったら、地下水路でクレドさんを目撃した事が、バレちゃうよ。マズいよ。超・マズいよ!
ジントも『ゲッ』と言わんばかりに、目を見開いている。『狼体』の時の喋り方で、『喋んなよ!』と百面相しているけど、それ、却って、この人たちの疑惑と確信のゲージを、尚更に高めてるよ!
でも、メルちゃんは――わたしとジントの想像以上に、殺る気、満々だった。
メルちゃんは、手を掲げて、ビシッと立ちポーズを決めた。それは――まさに、地下水路の中で見かけた、あの紺色マントの隊士の、立ちポーズそのものだった。メルちゃんの目は、スッカリ据わっている。
そして、おもむろに、決定的なセリフが紡ぎ出された。
「これ程に高い魔法陣スコアの髪紐、やはりタダ者じゃ無かったか」
――メルちゃん、記憶力と演技力、凄すぎる。口調と言い振付と言い、まさに完璧コピペッ!
まさに要点の中の要点。直撃ストレート。
わたしとジントは、一気に全身をピシッと硬直させた。無意識のうちに、再び逃走態勢になる。
一方。クレドさんは。何故か、『訳が分からない』と言った様子だ。
――あれ? 白を切っている……?!
メルちゃんは、腰に手を当てて仁王立ちになると、改めてクレドさんを『ギンッ』と睨み上げた。
「死にたくなきゃ、この一幕、そっくり再現すんのよ! 口調も、振付もね!」
――ひえぇ! クレドさんを脅迫してるけど、この場合、メルちゃんの方が、秘密裏の内に返り討ちされる方だよ!
緊張と、呆然が、交差した後。
クレドさんは、無表情で頷いた。そして、ゆるりと片手を掲げた。え、やるの?!
メルちゃんの演技を、そっくり映した、クレドさんの立ち姿。
――クレドさんも、演技力が相当に高いみたい。『斥候』という役割の中で鍛えられた物なんだろうか。
「これ程に高い魔法陣スコアの髪紐、やはりタダ者じゃ無かったか」
――わたしが、最も聞きたくなかった言葉だ。あの滑らかな低い声で、改めて再現されると、胸をえぐられるような気持ちになる。
そろりと、ジントとメルちゃんの様子を眺めると。
――おや?
ジントとメルちゃんは、揃って、ポカンとした顔になっている。何で?
「……声が違うわ! あそこに居たのは、誰よ?!」
「同じ《霊相》生まれの、双子なのかよッ?!」
バーディー師匠とアシュリー師匠が、感心したように言葉を交わしている。
「機転の利く子じゃのう。この手段を思いつくとはな」
「どうやら《変装魔法》が関わっているみたいね。幾ら外見や所作を似せていても、全く同じ姿勢、全く同じ口調を並べると、全身の筋肉と喉の筋肉のわずかな個人差が、ウルフ耳で聞き分けられるレベルで表面化するから」
バーディー師匠が訳知り顔で、ゆっくりと頷いている。
「獣人の子供たちが、最初に叩き込まれるセキュリティ教育じゃな。親兄弟の振りをした人攫いに、騙されないようにな。人身売買マーケットで、獣人の子供たちは、良い値段で売れてしまうからのう」
そして、バーディー師匠は穏やかな様子で、わたしを振り返って来た。何でもない様子で居ながらも、わたしの状態に注意していたらしい。
「最大の懸念事項が解決したらしいのぅ、ルーリー」
わたしは、恐る恐る、クレドさんの居る方に、目を向けた。
地下水路の中に居たのは、クレドさん本人じゃ無くて――クレドさんに良く似た、赤の他人。そう、信じて良いのだろうか。
わたしは、まだウルフ耳が生えていない――わたしの『人類の耳』では、全く判断が出来ない。それに記憶喪失のせいで、バーディー師匠の言う『セキュリティ教育』に関する知識が無い。ジントとメルちゃんのように、確信は持てないままだけど。
クレドさんの眼差しは、わたしの視線をシッカリ捉えていた。
――静穏と不動を兼ね備えた深い眼差しだ。
幾ら白を切るのが上手くても、あれが本人だったのなら、メルちゃんの直撃ストレートは衝撃的な筈だ。
どれ程わずかであっても、『あれを見られていたのか』という動揺の色が浮かんでいると思うけど――
――そういう動揺の色は、あの切れ長の、黒く冷涼な眼差しの中には、全く、無い。
次第に、目の前の光景が――ボンヤリと遠くなった。身体がグラリと傾ぐ。
クレドさんがハッと息を呑んで、駆け寄ってきたような気がするけれど――
――わたしは遂に、その続きを直接に見聞きする事は、出来なかった。




