汝が心いずこに在りや(前)
ジントは、地上に出るための準備を手際よく進めて行った。
地上への出口は、噴水の上水側のパイプ。つまり、透明な水瓶のある位置から出るって事。
ちなみに、人が出入りする時は、この水瓶がパカッと外れるようになっているので、詰まる心配は無いと言う。
まずは、上水道のパイプを止める。すると新しい水の供給が無くなるので、噴水は止まる。
下水道の方は開いている状態だから、噴水プールからは、次第に水が抜けて行く筈だ。噴水プールが空っぽになれば、下水道へと流れて行く水の流れも、止まる。それが、地下に居ながら目で見て取れる、絶好のタイミングだ。
そしたら、上水道パイプの扉を開けて、身体を押し込んで、扉を閉じる。そして噴水口につながる竪穴トンネルへと取り付き、そこから地上に出るのだ。
わたしたち3人は、いずれも体格が小さく、上水道への進入はスムーズだった。上水道に掛かる水の圧力はとても強いので、上水道が止まっていられる時間は半刻足らず。その間に、サッサと地上に出るのだ。
「わぁ。夜空が見える~」
パカッと開いた噴水口の下、メルちゃんが目をきらめかせた。結構な冒険だったし、遂に総仕上げだもんね。
「オレが先に行くよ。次にメル。オレが上からメルを吊り下げるから、姉貴はメルに捕まって上がって来いよ」
――了解!
この噴水口、出口までの高さが、かなりあるのだ。ジントとメルちゃんとわたしの身長を縦に連ねる高さだ。ただし、微妙に腕の長さくらいが余るので、上から引き上げると言う方法なら、イケるんじゃ無いかって事。
ジントは灰褐色の『狼体』に変身すると、忍者さながらの身のこなしで、わずかな出っ張りに爪を引っ掛けつつ『ビュンッ』と地上に躍り出て行った。すごい身軽だなあ。本物の軽業師みたい。
メルちゃんが素早く黒色の『狼体』に変身する。
わたしはメルちゃんを抱き上げて、腕の届く限りの高さの出っ張りに、メルちゃんを預けた。
メルちゃん狼は、少しの間バランスを取ろうとして尻尾をパパパッと振っていたけれど、すぐにコツを飲み込んだみたい。ハッハッと息を荒げながらも、よじ登って行く。
上の方で、既に『人体』に戻って待ち構えていたジントが、メルちゃん狼を捕まえるや否や、地上に引き上げた。
メルちゃんは再び『人体』に変身した。
「よーし、行くで!」
ジントは気合を入れて、メルちゃんの手首をつかんで、上からブラ下げる。メルちゃんの足首が、ジャンプすれば届く位置まで降りて来た。やれる!
――ていッ!
「グエッ」
いきなり上と下から引っ張られたショックが大きかったのか、メルちゃんが奇声を上げた。
――ゴメンよ。頑張ってね。
わたしは出っ張りを足で探り、踏ん張った。ジリジリと、上昇を試みる。
――と。
ぐぅ。きゅう。ぐ~きゅるるるる~。
ジントのお腹が、遂に限界を迎えたように、大きな声で鳴き出したのだった。メッチャ空腹で、力が出ないって事だ。
「うひ。オレ、もうダメ……」
ジントは、グッタリとなったようだった。ガクンと揺れが伝わると共に、ちょっと後戻りしてしまう。
メルちゃんのヨレヨレな黒ウルフ尾が、危機を察して『ビシィッ!』と固まったのが見える。
――うわあぁぁあああ! あと少しなのに……想定外ッ!
茫然自失の硬直状態が続いた後――やがて、上水道のパイプが開き始めた。
心臓の冷たくなるような、新しい水音が始まる。
さすがにジントも必死で引き上げてくれているんだけど、スピードが、とっても追いつかない。
「ど、ど、どうするのッ! 水が来ちゃうよ! 水が!」
メルちゃんが大声で、わめき始めた。まだ年齢が行かないから本格的じゃ無いけど、哀れな遠吠えが混ざり始める。
「わぁおぉぉ――――ん(誰か助けて~)!!」
その間にも水音は急速に激しさを増し、新しい水が足先を触り始めた。冷たい。多分、山から来る新鮮な水だからだ。氷みたいに冷え切ってる!
水位が容赦なく上がって行く。
足先から膝丈へ、膝丈からお腹へ。そして胸元まで来たかと思うや、上水道のパイプが本来の幅まで全開になったらしい。
大いなる音響と共に一気に水があふれ、わたしの頭部が沈没した。
――ゴボッ。全身、冷たい!
「やった! シッカリ、つかんでろ!」
ジントが急に力を込めた。水位が急上昇すると共に、メルちゃんの身体も、わたしの身体も、一気に上昇する。
――水の浮力だ!
ジントが、『フィニッシュ!』とばかりにグイーンと引っ張って来る。
ザバアーッ!
豪勢な水音と共に、噴水プールに水があふれた。
水の浮力と圧力に押される形で、メルちゃんの身体も、わたしの身体も、噴水プールの端へと押し出されて行く。
噴水プールの水位が見る見るうちに上昇して行った。絨毯のように広がっていたルーリエ種の水中花が、その植物ならではの浮力でもって、わたしたちの身体を、更に水面の上へと押し上げる。
わたしたち3人は、水面に顔を出すなり、一斉に笑い出した――笑い転げた。
同時に、泣き笑いした。強い恐怖と緊張が弾けて、弾けるように笑うしか無かったのだ。
「み……水の精霊王、偉大なり……! 浮力と水圧、スッカリ忘れてたぜ……! 母さんが話してたのに!」
そして。さすが、魔法成分を鎮静化する、ルーリエ種の水中花だ。
新しい水がルーリエ種の水中花の影響下に入るや否や、《雷攻撃》でパンチパーマになっていた髪型が、スルスルと元に戻って行く。何気にビリビリしていた感覚も、あらかた取り除かれたようだ。その代わり、物理的なスリ傷や出血の痕が、思い出したように痛むけれども。
「さっさと出ようぜ。こんなに冷たくちゃ、風邪ひいちまう」
「ひえぇ、寒い、夜風が凍みる~!」
わたしたちは、噴水の真ん中にある透明な水瓶を元通りの形に戻した後、ヨロヨロと噴水の外に這い出た。文字通り、暗い水の底から化けて出て来る、幽霊さながらに。
噴水プールの地上部分の段差が、低い位置まで繰り下げられていて良かった。高い段差だったら、這い出るのも一苦労だったろう。
身体全身が、今や懐かしさすら感じる地面の上に出たところで、わたしたち3人は、ヒイヒイと息をついたのだった。
――それは、突然だった。
「夜間水泳を、お楽しみ中だったようだな」
不穏な気配をまとう男の、低い声が不気味に轟いた。ぎょっ?!
わたしたち3人は、一斉に振り向いた。
5つばかりの、大小の『何か』。
頭部にあるのは、一本角と二本角か。真夜中の闇の中、一対の目玉のような物が、各々、ギラリと光っている。バーサーク化の獣人か、モンスターか!
「でッ出た~ッ!!」
「お化け~ッ!!」
わたしたちは一斉にパニックになって、てんでバラバラに逃げ出した。
もう頭の中がゴチャゴチャで、何が何だかだ。
もう、限界だ、たくさんだ。
とにかく、安全な場所で、安全にならないと!
「待てぃ!」
「待ちなさい!」
「おい、こら、走るで無い」
「えぇい、《拘束》!」
背中から、何やら人間に似た声が飛んで来るけど、お化けで妖怪だ、無視だ、無視ッ!
「あれあれあーッ!」
メルちゃんの物らしきパニックの叫び声。
そして『バサッ』と言う不思議な音。
わたしは、ひたすら、何処へ向かうのかも分からずに、闇の中へと足を動かしていた。
後ろから何か、恐ろしい何かが、追っかけて来る! とにかく、遠くへ……遠くへ!
ギョッとする程に近くで、再び『バサッ』と言う不思議な音が響いた。
有り得ないまでに謎の突風が足に絡みつき、実体を持った糸でもあるかのように、もつれる。
わたしの身体は、走っている勢いのままに前方へと放り出された。ひえぇ!
放り出された先の地面は――幸いな事に、みっしりと生えた、柔らかな緑の芝草だ。身体全身が転がりながらバウンドしたらしく、ボフン、ボフン、という綿のような衝撃が返って来る。
うつ伏せに横倒しになった態勢を起こす間も無く、背中の上に、人体サイズを優に超える大きな何かが、ドカッと落ちて来た感触が来た。
毛足の長い、美しい毛皮の持ち主らしい。やたらとキューティクル状態の良い、暖かくて滑らかなモフモフが全身を触って来た。
――真っ黒?! 黒い毛皮って事?!
ジタバタしたけれど、わずかに身体が浮くや、すぐに抑え込まれた。どうやら動物の口と思しき物が、うなじを巡るチュニックの端をガッチリと取り押さえているらしい。
――ひぃぃ。取って食われる。食べられる!
不意に、白いエーテル光が閃く。
手甲を装着した大きな人間の手が、わたしの手を捉えて芝草の上に押さえつけていた。もう一方の手は肩に掛かっているらしく、肩の方に、ズッシリとした体重を感じる。
「取って食いはしません。落ち着いて下さい、ルーリー」
聞き覚えのあるような、滑らかな低い声だ。切羽詰まってるのか、わずかながら、かすれてるけど。
「さすが、元・闘獣ですね。バーサーク体どころじゃ無い。先ほどの逃げ足は、見事でしたよ……もう少しで、ルーリーを取り逃がすところだった」
クレドさんだ。クレドさん――この事実。恐ろしい事態だ。だってクレドさんは――
打ち上げ花火さながらに、直前の記憶が、スパークした。時系列を混乱させながらも。
ボンヤリとした夜間照明の中、背中を見せて立っている紺色マント姿の、黒髪の――スラリとした長身の立ち姿が、白い髪紐を掲げ持って、相手を挑発している情景が。
――あの日の『女コソ泥・ルル』のように、次に水路に浮かぶのは、貴様の死体かもな――
全身の毛が逆立った。死に物狂いでジタバタする。近付いて来た恐ろしい手を払いのけるべく、力いっぱい爪を立てて、ガリガリと引っかく。
過呼吸で消耗し尽くした喉が、痙攣しながらも、言葉を絞り出した。
「キライ、嘘つき、ヒトデナシ~ッ!」




